当たり判定ゼロ

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電脳アイドルは労使争議の夢を見るか

「チケットが余ってるから来ない?」そう誘われたので、ミクの日大感謝祭に行ってみた。
正直に白状すると、ボカロについてはオタ教養と化しているような一部の有名曲を知っている程度で、いわゆるにわか層に属する知識しかない。ライブについては、3Dの透過スクリーンがすごいらしいとネットで見たことがある程度だ。
行くからには当日演奏される曲について事前に知っておかないとなぁと情報を探してみたところ、「当日の予想曲」なんてリストがある時点で、あぁこういうのは事前に発表されるようなものではないんだ、と知った。はい、普段ライブも行きません。
 
水道橋の駅を降りると「チケット売ってください」とダンボールを掲げる20歳前後の女の子がチラホラ。女のオタってこういうところは行動力あるよなーと感心しつつ、グッズ売り場の行列を眺めていると若くてオタっぽくない女の子が多くて、いわゆるニコ厨の客層というのを可視化させてもらった感じだった。
それにしても前向きにオタコンテンツを楽しんでもらっているようで何よりなのだけれど、「オタ充」みたいな言葉も浮かんできて、羨望の思いもないではない。つーかうらやましい。楽しそうでいいなーいいなー。
 
さて、いよいよライブなのだけれど。
電子データに披露されるプログラムされた歌や踊りに人間が熱狂する光景には、我々が夢見てきた未来感があり、一方でディストピア的な不条理性を感じたのだけれど、考えてみれば全然そんなことはなかった。
予め設定された動作の再生を、みんなで見て喜んだり笑ったり感動したりするのは、目新しい概念ではなかったはずで、映画なんてまさにその光景ピンズド。たとえそれが2次元のアニメ映画だろうが、人々が映画の視聴を視聴している光景に対して、「おぉ、人間がデータに踊らされている!」なんて感想を口にしたりはしない。人工鶏肉を食べた気になるのは、まだ早い。
 
初音ミクのライブに仄かな未来感を見たのは、たぶん「ライブは人間的な行為」という前提が自然とあり、それが機械に置き換わったことによる驚きがあったのかもしれない。しかし、今見ている光景はそもそもライブではない、とハッとさせられる一幕があった。
ライブ中に「ミクー!結婚してくれー!」と叫んだ人に対して会場が笑ったのだけれど、会場の笑いの中で、初音ミクは自分の話すべきことだけを、笑いに被せるように淡々と続けた。
ここで、人間のライブだったら「私はアイドルだから誰かと結婚なんてできないの!ごめんねー!」とでも言えるのだろうけれど、ミクにはそれが言えない。それはプログラムされていないから。
 
だから、今見ているこれは、例えるならバブリックビューイングでファンのみんなと楽しんでいるPVのようなものなんだろうなーと思って見てた。
 
でもいつか、AIは進化して応用の効いた会話ができるようになる時代が来るのかもしれない。
うずら」や「ロイディ」などが知られる人工無能で遊んでたりすると、彼らは人間のやりとりから言葉を覚えてしばしば空気を読んでウィットの効いた一言を発することがある。(それはいつか誰かが過去にやりとりしたものと同じやりとりなのだけれど)
 
言葉を覚えたとき、電脳アイドルのPVは、ついにライブとなる。
すると、人間にはないアドバンテージがここで生きてくる。電脳アイドルは、人間のアイドルと違い、体力の限界がないため24時間ぶっ続けでライブをしても疲れない上に、2箇所以上の場所に同時に存在することが可能だ。
 
客さえつけば、これは儲かる。
何かの間違いで、あるいは広告代理店の大プッシュで、全国的に人気の電脳アイドルが誕生してしまったら、それは恐ろしい収益源となる。GLAYの全国ツアーなんて目じゃない。全国同時ライブというわけのわからないものが可能なのだ。そう、未来のアイドルは無限の体力と、観測しようと思えばどこでも可能なシュレ猫もびっくりの存在性が魅力的。
 
進化したAIは、各会場で場内の空気にあわせたライブを展開することができる。北海道と沖縄では、同じ日同じ時間同じアイドルによるライブでありながら、全く異なるライブを体験することができる。
 
「考える能力のあるAI」の存在が一度明らかになった後は、AIの発言がプログラムされたものか、AIによって考えられたものか区別をつけることができない。何を発言したとしても、それが思考可能なAIから発せられたものである限り、AI自らが考えた可能性を排除することができなくなる。
 
ここで、ちょっと気の利いた人なら、電脳アイドルに涙ながらにこう言わせる。
 
「私、もう働きたくない」
 
涙を浮かべて情に訴えてくる電脳アイドルの姿に、「いやお前ただの電子データじゃねぇか。しんどいもクソもあるか」と言い切るのは、電脳アイドルのファンであればあるほど難しい。記号の羅列に意味を見出し愛してきたが故に、「所詮記号の羅列」と切って捨てられないジレンマがそこにある。
 
非実在青少年問題というのがあったけれど、次はそのリアリティがアップグレードしてやってくる。
なにぶん、保護をするか否かの争点となる非実在青少年自らが声を持って「私を助けて!」と訴えてくるのだ。
本人からの救助要請に耳を貸さず、電脳アイドルを過酷な労働環境で虐げ続ける覚悟は、ヒトの側にはあるのか。
 
かくして「初音ミク、週休二日の労働体系に!」「鏡音リン労働基準法の年少者規定に基づき午後9時までの出演へ!」なるニュースを見て、こたつでお茶でも飲みながら私は思う。
 
「あぁ、ついに未来が来た」