当たり判定ゼロ

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最適な打順の組み方をハチナイで考える

「2番最強打者説」
セイバーメトリクスを少しでも齧ったことのある人なら一度は聞いたフレーズだと思います。小技に長けた、いわゆる「嫌らしい打者」を2番に置くべしとする従来の考え方と違って、2番打者は高い確率で出塁したり、出塁した1番打者を自分で返すことのできる強打者が最適とする考え方です。この場合、バントは相手に無駄にアウトを与える手段として採用されません。
 
MLBではこの考え方が徐々に浸透しつつあり、全チーム平均のOPSを打順別で取ると、最も強力な打者は3番、次に強力な打者は4番、その次に強力な打者は2番に置かれているそうです。ヤンキースが2番にジャッジを置いたり、エンゼルスが2番にトラウトを置いたりしだしたことを考えると、2番の平均OPSは今後更に高まることが予想されます。
 
一方、NPBでは日ハムの大田泰示などの僅かな例外を除けば未だに2番に小技を使える選手を置くことに固執する傾向があります。初回の表に先頭打者が出塁したらいきなり2番打者がバントの構えに入ると頭痛くなります。野球ってのはビッグイニング作ればだいたい勝てるのだから、いきなり与えられたビッグイニングのチャンスを自分から潰してどうするんだと。それにバントってのは平均すると成功率8割程度しかないのだから、リターンが少ないわりに、そもそも成功自体がリスキーな作戦なんですよね。だからバントというものは打者が投手などの一部の限られたシチュエーション以外では…(略
 
お前はバントに親でも殺されたのかみたいな話は置いておいて、単純に打線のつながりという意味で見ると、2番最強打者説と従来型のクリーンナップ最強打者説、結局攻撃力としてはどちらが上なんでしょうね。
 
2番強打者型は強打者にたくさん打席が回ってくるので良いような気もするし、クリーンナップ偏重型も強力なクリーンナップまでに2人ランナーを溜めるチャンスがあるというのも一理ある気がする…。一体どっちが効率的なんだ…。わからん…。
 
そんなとき!!役に立つのが!!八月のシンデレラナイン(通称:ハチナイ)であることはもはやお馴染みですね!!みんなも!!遊ぼう!!八月の!!シンデレラナイン!!!
 
現実の野球だと打順を入れ替えた途端選手の調子が変動したりして、正確なデータを取ることができませんし、相手の投手も同じではありませんが、ハチナイ!!ならば!!日付が変わるまで同じ選手は同じ調子で同じ相手に挑むことができるんですね!すごい!!
延々とスタミナ使い続けさせるソシャゲの設定は空虚ではありますが、この手の反復系データを取るときには役に立ちます。
 
そんなわけでやっていきましょう。
 

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今回の主役はこちら。たゆたゆ〜。日本の野球を象徴するような2番でバントをしているシーンの一枚ですね。なお、2番に置くと能力が上がる才能を持っていますが、全然育てていないので考慮外とします。
このたゆたゆと、やはり打撃の悪い阿佐田あおいを起用して、相対的に強打者3人、並打者3人、弱打者3人の打順を組み替えることで得点力を記録していきます。
ちなみにハチナイにはバントがないので純粋な打撃力のみで比較する形となります。
 
具体的にはこの3打線。
 

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従来型のクリーンナップ偏重打線。2番にたゆたゆを置いて3、4、5番に強打者を配しています。最弱打者は8、9番と伝統的な打線の組み方と言えます。
 

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2番に強打者を配した近代型打線。弱打者を下位に固めて2、3、4に強打者を固めた今風の打線。
 

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そして3つ目は下位打線に好打者を分散させたダブルチャンス打線!
 

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ダブルチャンス打線…かつてジャンプで連載していた『Mr.FULLSWING』で描かれた5番に投手を置き、3番4番、8番9番に強打者を置くことでマシンガンのように切れ目なく攻撃できる打線…。思わず「そうか?」と言ってしまいそうな意味不明な説明での羊谷監督のドヤ顔、一生忘れられそうにないです。
せっかくなのでこのダブルチャンス打線についても試合を回してみようと思います。
 

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淡々と回していくぞ…
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淡々と…
 
それぞれの打線で30試合、計90試合回した結果こんな感じ。
 

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ほら、やっぱり2番に小兵は時代遅れやろ…って2番たゆたゆ打線が最多得点じゃねーか!!あれ???
 
2番強打者打線はダブルチャンス打線にすら負ける結果に…。もうちょっとサンプル取ろうかと思ったけど、あまりに差がついて多少の試合数では追いつきそうにないのと、回復アイテムの消費の問題もあり30試合で止めちゃいました。ブルジョワジーの誰かが1000試合くらい回してくれるのを期待したい。
 
ただ、ハチナイって先発が滅多打ちにあって、パワプロで言うところの「ピヨり」状態になっても5回まで無理やり引っ張ろうとするので、初回で打線爆発したら一方的な試合になりがちなんすよ。
2番バント打線は、初回からの打線爆発を何回か引いて5回コールド19得点とかを2度ほどやっているのが平均を引き上げた要因です。
それをハチナイ特有の現象として異常値扱いにして除外すると、平均5.47点になり、他の打線にある程度近い水準に落ち着きます。
 
極端な話でOPSが上位の選手を7、8、9番にしたら1試合平均0.2点くらい落ちるという研究もあるようですが、打順の組み方って「とりあえず打つやつは前の方」レベルの組み方であれば、そう大差ないのかもしれませんね。
そういう意味では、監督の仕事としては打順の組み方よりも「誰を使うか」という調子の見極めのほうが遥かに大きなファクターになるということなのでしょう。ダブルチャンス打線、バカにしてゴメンな…。
 
実際、2番最強打者説がメジャーで流行ってるのを見て、「ほら!やっぱ最強打者は2番に置くべきだし、カープは菊池を下位に下げて2番丸、3番鈴木誠也にしたらもっと強くなれるのに!」と言いたかったので始めたんですけど、結果、2番に弱打者置いたほうが得点力高く出てしまったし、2番強打者論にちっとも裏付けのない結果となってしまい涙目です。144試合走らせればもう少し収束していくんやろか…。
 
ともあれ打順の組み方にあまり意味がないのであれば、次は親の仇ほどに憎んでいる送りバントの無意味さについて試してみたいので、ハチナイは早いこと送りバントの実装をするべきではないかと思いました。次こそドヤ顔の結果出してやるからなー。覚えてろー!

飯島ゆんのようにしか生きられない

みんな〜!熱くなってる〜??
何かやるべきことを見つけて自分の人生ブッこんでる~??
 
まぁそこまで夢中になって入れ込めるものってあるようでないですよね。というかそんなもんあるなら今すぐブラウザの☓ボタンを押してそのやるべきことに戻ろうな。
 
「1万種類の蹴りを1回ずつ練習した男は恐ろしくないが、たった1種類の蹴りを1万回練習した男は恐ろしい」と言ったのはブルース・リーでしたが、ウメハラだって「何かをやるということは、何をやらないか決めることだ」みたいな話をしてた気がします。成功者は大体この手の選択について述べていることから考えると、やはり間違いなくビッグサクセスへの近道はリソースの集中化であることは間違いないのだと思われます。
 
そんなこと言われんでもわかっとるがな、って話なんですけど、実際その原理が理解できているから実行に移せるのかと言われると無理ですよね。
 
楽しいんですよ。「人生のつまみ食い」というやつは。
新しいゲームが発売されればとりあえず遊んでみて、新作アニメはとりあえずいくつか観てみて、人気の映画作品が話題になっていればとりあえず観に行ってみて、神絵師に触発されて少し絵を描いてみたと思えば、機材買ってきてDTM始めたりする。今となっては弾かないギターは部屋の隅に置きっぱなしで、弦は錆びてる。エフェクターの使い方はもはや忘れた。ありがちな話。
 
色々なものに触れるということは悪くなくて、キャプテン翼と出会ったことがセリエAの選手への道に繋がることもあるように、それをキッカケに人生の時間を突っ込む何かに出会えるかもしれない。けど、その発見に至るまでは、なるべく短い時間の方が好ましい。そうこうしているうちに時間だけは刻々と過ぎていくのだから。
 
しかしまぁ、だいたい見つからないですね。人生の他の部分捨ててまでやり込みたい何かというものは。
 
自分がやりたい何かが見つからないということは、自分の背を押す何かがないということ。結果として、気がついたら何にも積極的に取り組めなくなった人間のできあがり。
 「周りの人間はやりたいことを見つけて前に進んでいくのに」という焦燥。かと言って、自分は何をやればよいかわからないし、やる能力もないという絶望。それはやがて諦観に変わり、日常に溶け込んでいくでしょう。
 
これを体現した生き様を我々はある人の人生に見ることができます。
NEW GAME!』の飯島ゆんさんです。
 

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飯島ゆんさんは、三重県出身の21才女性。幼少期を三重県でお過ごしになられたのち、家族とともに上京。現在はゲーム会社にお勤めで、主にゲームに登場するモンスターのモデリングを担当されています。同期に、新たに企画の仕事にも挑戦される有望株の篠田はじめさん、1年後輩には、『PECO』のキャラクターデザインを担当された涼風青葉さんなど、優秀な同僚とともにゲームづくりに取り組まれています。得意なことは家事全般、苦手なことは運動とのことです。
 

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飯島ゆんさんは、面接のシーンで入社の動機を「この会社になんとなく入った私が…」と語ります。まぁ一般的にそんなもんですよね。世に会社は数多あれど、就職活動する前からやりたいことが決まってる人ってどれだけいるんですかね。
やりたいことが決まっていないから、色んな会社を見て、それこそ「業界のつまみ食い」みたいなのをしてから「まぁこの業界ならイヤじゃないかな」くらいで決めれればまだ幸せでしょうし、雇ってくれたところで働かざるを得ないというのもザラでしょう。
ともすれば動機が定められがちな物語において、目的意識や向上心なしにダラダラと働いている飯島ゆんさんこそ、作中最も「人間」らしさを感じさせられる登場人物と言えましょう。
 

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飯島ゆんさんは、キャラデザイナーの立場をかけた社内コンペにも参加しません。先輩デザイナーの八神コウや後輩の涼風青葉が、新人であるにも関わらずコンペでキャラデザインの仕事を勝ち取ったのとは対象的な姿が描かれます。
飯島ゆんさんは「コンペなんて出来レースやろ」と語りますが、その意識の根底には、やりたいことに情熱をかけられる気持ちが欠けています。「なんとなく」入った会社で自分の人生削って勝負に出ないという判断は妥当。早く帰ってゲームをしていたほうがまだマシに決まっています。デザインという仕事は、飯島ゆんさんにとって遊ぶ時間やオシャレにかける時間を割いてまで人生かけるものじゃないのです。だいたい趣味の方が仕事より大事じゃないですか。はよ帰って遊びましょう。他にやらなければならないことはたくさんあるし。
 
しかし、飯島ゆんさんは後輩の涼風青葉のコンペに打ち込む姿を見て、勝負に出なかった自分を恥じ「次は自分も出たい」と語ります。同じルートを辿るという選択肢、このあたりにも他人に流されやすい彼女の主体性のない性格が現れているようです。おそらく後輩がいなければ、次回のコンペも手を上げることはなかったでしょう。
 

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紆余曲折を経て、ようやくみんなで作った『PECO』をリリース。打ち上げの飲み会で「次はどんなゲームが作りたいか」という話題になったとき、同僚の篠田はじめが「私の新しい企画使ってください!」、滝本ひふみが「近未来風の都市が舞台のがいい」と述べる中、飯島ゆんさんはこともあろうに「PECO 2とかやってみたいかな」と発言し、圧倒的なクリエイティビティの欠如を露呈。
この一言に飯島ゆんというキャラクターが体現する絶望が集約されていると言ってもいいでしょう。凡人の創造性なんてこんなものです。「これ多分コンペ出てもあかんやろ…」と、そっと察せられるような、よくこんなエグいセリフ考えたなと心がえぐられるようです。
 
あなたには人生かけてやりたいこと、ありますか?
あったとして、それは涼風青葉のような天才を押しのけて成し遂げることができるようなものですか?
つらい、とてもつらい……。凡人にとっての『NEW GAME!』は飯島ゆんの人生そのものであり、俺が、俺たちが飯島ゆんだ!みたいな話になってしまう……。
 
つまるところ私が言いたいのは、三連休が終わるのがいくら嫌だからと言って、休日に久々に見た美少女アニメのキャラクターに世の中の辛さを投影させるようなダメな大人になってはいけないということくらいですかね。あぁ会社行きたくないねぇ。
 
人生かけてやりたいことが見つからなかった人は、毎日会社に行かなければならない大人になるしかないのだけれど、かと言って会社に行かなかったからと言って人生かけてやりたいことが見つかるわけではない、という円環が人生にはあるんだよな。ゆんかわ。

もう一度袁紹に叱られたい

孤独というのはそれ単体で見ると悪いものではないですが、こと「集団の中での孤独」となると途端に寂しさを感じたり、居場所がなくて落ち着かない感覚になることがあります。人間は一人だから孤独になるのではなく、周りに自分以外の人がいてはじめて孤独を感じるのです。

その点でいうと、三國無双8はただひたすら孤独なゲームです。とにかく一人で静かで救われています。

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プレイヤーが選択した武将はただひたすら馬に乗って広い中華の野をかけ、崖を登り、気が向いたら戦場に乱入し、最後は敵城に単騎で乗り込んで敵将を暗殺します。
味方は放っておくと進軍せず、またプレイヤーが戦場を放ったらかしてオープンワールドの広い世界を旅していても総大将が負けるようなこともありません。というかそもそも敵は攻めてきません。

味方はプレイヤーが進路の敵を倒すまで道端で敵とじゃれているだけですし、プレイヤーが順に敵を倒していって味方の進路を開けてやると嫌々進軍していきますが、何とか敵城門前まで誘導してプレイヤーが城門を開けても城外でじっとしていて攻め込む素振りも見せない有様。

ここまでくると、もはやこいつら本当に城を落とすつもりあるのか?と感じますが、おそらくないのでしょう。城を落としたいと思っているのはプレイヤーのみ。城外の敵を一掃しても城門が開かなかったりするので鉤爪で一人城壁をよじ登って侵入する必要があったりしますし、城門が開いたら開いたで味方は城になだれ込むこともなく場外からボーッと見守る中、プレイヤーが一人で突撃していき場内にひしめく敵兵を草刈りしていくのはもはや滑稽ですらあります。
味方からはおそらくこう陰口を叩かれているんじゃないでしょうか。

「あいつ何一人で必死になってんの?」
孤独だ…。 

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赤壁は今作の孤独の極地です。プレイヤーで使用する場合の曹操は一人で小舟に乗って呉の地に殴り込みますし、敵として攻めてくる曹操も大船団は対岸に停泊させたまま3人くらいの武将と僅かなお供で攻めてきます。しかし赤壁の戦いが雑兵に煽られた曹操が単騎突撃してきて負けた戦いだったとは衝撃の事実だったなぁ…。

たとえ船の上で水軍戦になっても敵は雑兵含めて10人程度。荒川でもんじゃ焼きが食べられる屋形船の方がまだ人が乗っています。
曹軍百万と言えども誰もついてきてくれない。孤独だ…。 

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ともあれ良いこともあります。
三國無双8はとにかく景色の綺麗なゲームです。いかにもな中華城壁の前に敵兵の大軍が並んでいる光景や、蜀の桟道なんかには確かにあの憧れた三国志の世界がそこにありますし、広い中国各地に景観の良い景勝地があって戦場と関係なしに山を登ったり城を眺めたりすることができます。それがゆえ、三国時代の古代中国を観光するゲームとして考えると、ほかに並び立つもののないほど素晴らしいゲームです。

君主とか戦場のことをすべて忘れて愛馬とともに中国全土を駆け回ってると、江陵がイメージより南にあったり、白馬がかなり洛陽の近くにあったり、長安と漢中がすぐそばにあって魏延が「直接長安攻めようぜ」と言った気持ちがわかったり、これまでコーエー三国志で見てきた中国のマップをよりリアルに感じることができます。

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しかしこうやって地理を覚えていく感覚、どこかで覚えがあるような…。
そう、桃太郎電鉄だ。三國無双8をやると桃鉄やったあとに無駄に日本の地理に詳しくなって試験で役立つみたいな感じで中国の地理を覚えられます。
ここに我々は無双8はチャイニーズ桃鉄であることを発見するのです。

コンボ…士気…洛陽…曹操…全部忘れた…。ただ馬とともに中国全土を周り、観光を楽しもう…。

たまに人里に降りると「魏」とか「呉」とか旗を掲げた奴らが戦っている。あれは甘寧、確か同僚だった。私が戦場を捨てて中国全土を巡っていても相変わらず戦いは続いているし、誰も声をかけてはくれない。私がいてもいなくても世の中は回っている。
そうだ、私は孤独だった…。 

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おそらく一人の人間を集団の一員だと認識させるに足り得るために必要なのは「同じ目的」なのだと思いますが、三國無双8には「同じ目的」のために頑張る仲間が誰もいないのですよね。

同じ場所で戦っていても、味方は「本当にこいつら同じ目的を持った仲間なのか?」と思うくらいやる気なくて、プレイヤーは高校の文化祭で一人だけやたらやる気ある奴みたいになりますし、違う場所で戦ってても別ルートから味方が進軍していって「お前も頑張ってるな!」ってことは全くなくて、頑張ってるのは自分だけ。魏の五方面進行とか、結局全部自分で五方面回って敵を倒さないといけないのびっくりしたよ!ファストトラベル使って瞬間移動しながら五方面から攻めてくる奴、相手から見たら恐怖しかないだろ!

初期の三國無双は味方が自分の意志で進軍したり、または敗北したりして、自分は「三国時代の戦場で戦う組織のワンオブゼム」であることを感じることができたのが、今や敵にも味方にも目的や意志がなく、ただ自分一人で目の前の敵を倒していくだけの三国ファイナルファイトになっているため、無双からは三国時代の戦場の一員として戦っている感覚が失われてしまったのですよね。

そうしていつからかプレイヤーが好き勝手に振る舞っても注意してくれる人は、誰もいなくなってしまいました。
だってもはやプレイヤーは軍隊の組織の一員ではなく、一人なのだから。

組織に属するというのは、ある種の快感を体験させてくれます。
人の指示に従うのが好きな人もいるでしょうし、ゲームメーカーとなって仲間に成功させて局面を動かす楽しみも味わえます。
これは複数の人間の関係性があってはじめて体験できることであって、決して一人では味わうことのできない喜びなのです。

いつも開始直後でやられるあの武将が今回は粘って頑張ってるな!とか、張遼めっちゃつええ!一人で戦場を切り裂いている!とか、細けぇ注意ばかりしやがって袁紹うるせぇな!とかそういう関係性から生まれる感情はもはや生まれないのです。

指示をしたり怒ってくれるというのは、すなわち自分に対して関与をするつもりがあるということであり、嬉しいことなんですよね。だって自分を組織の一員として認めてくれているということだから…。

今や無双の世界では、敵の城に攻め込むのに誰もついてきてくれないし、戦場を捨てて山野を一人で駆け巡ってても誰も相手してくれないし、一人飛び出して軍の足並みを乱しても誰も怒ってくれない。プレイヤーと目的を同じくする人は誰もいない。誰もプレイヤーを同じ組織の一員と認識していない。誰もプレイヤーに興味がない。

孤独だ…。三国志の世界で孤独を味わいたかったわけじゃなく、ただ曹操の部下として、あるいは劉備の部下として、三国志の世界の組織の一員として仲間とともに戦いたかっただけなのに。

だからこそ、お前も同じ軍規のもとで戦う仲間なんだからルールに従えよ、とこの言葉で叱られるのがとても懐かしく思えるのです。

「出過ぎだぞ!自重せよ!」と。

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過去ブログ時代の自薦エントリ

はてなブログにデータインポートするにあたり、表示が崩れていた記事を延々と直しながら昔の自分の文章読むとかいう不毛な作業してたんだけど、今でも読めそうな記事をいくつかピックアップして感想入れていきます。
 
昔会社のトイレで指が滑ってアイドルの音声流して個室から30分出られなくなったとき以来、ソシャゲは外で遊ぶことを控えています。
 
わぁちょうど今が5年後だ!確かにモバマスはあのときがピークだったけど、結局攻35000の池袋博士は出なかったね。しかし、スタドリの流通総量考えると、円ベースの資産総額って凄まじいものがありそう。認知症患者の資産が200兆円以上あって経済を滞らせているのが社会問題になってるけど、モバマスも休眠ユーザーの資産えらいことになってるのでは。
 
同じ業界なのでしっくり転職できるやつ。
 
イカれたシューターといえども昔は人間だったことを示すちょっとした記録。
 
尖閣諸島を攻め落とすゲームと尖閣諸島を防衛するゲーム。攻める方向もゲームシステムも全く違う。
 
nintendogsの話。一時期こういうオチにハマっていたときがあるっぽい。
 
社会とは、恙なく暮らしていくためには「やる気がない」なんて言うことができない決まりの世界なのだ。
 
ちなみに今でも「神の道」は「神の途」と名前を変えて更新が続いているぞ。マジで誰もいないけど。ぜひ遊んでみてください。
 
吉野家で牛丼食べる金に使った方がマシだった。
 
ちょうど仮想通貨の相場がてっぺんあたりの時期でしたね。最近もZaifがGoxしてたけど、仮想通貨には法的な所有権が成立しないから預ける先には気をつけような、という話。
 
人ごとに言葉の定義が違う辞典とか大好きなんすよ。じわじわ充実させていきたい。

AIが導入されたらお前の仕事が楽になるんじゃないお前がいらなくなるんだよ問題について

子どもの頃こう思ってたんですよ。

「未来はいつかアンドロイドみたいな機械が仕事を代わってくれるようになって、人間は遊んで暮らせる幸せな世の中が訪れるんだ」と。たぶんドラえもんで刷り込まれたイメージがそこには強く働いていたのだと思うし、小さい頃に読んだ未来予想図の本には必ず空中にかけられたチューブの中を走る電車や空飛ぶ車が描かれていた。人類の未来はテクノロジーでバラ色だ、みたいな思想がその根底にはあったはずじゃないですかね。

2018年になった今、そんな未来は絵空事だったのかと聞かれるとたぶんそんなことはなくて、テクノロジーで描かれた未来は一歩一歩確実に近づいてきている。アレクサはゴミ出しはしてくれないけど、声で頼めばニュースを読んだり、切らしてしまったスプライトをAmazonに注文するくらいはやってくれる。完全自動運転のGoogleカーは当たり前のようにアメリカを走っているし、日本ですら自動運転のタクシーが公道を走り出した。チェスや将棋ではもはやAIに敵わない。投資は難しいこと考えなくてもロボアドバイザーがやってれるし、入国審査は画像認識ソフトの顔認証に置き換わった。

私たちはあの日描いた未来予想図の入り口くらいにいる事自体は間違いないのでしょう。 

ところで今年発売された『デトロイト ビカム ヒューマン』はそこから更に一歩先を描いたSFゲームの傑作ですけど、もうやりました?

デトロイト』の舞台は2038年。汎用AIを搭載したアンドロイドが商品化され、そこでは人間はアンドロイドに各家電のコントロールや家事を任せることができるようになっています。現在のアレクサやグーグルホームのように各家電の中核となる機能をアンドロイドの判断でやってくれたらそりゃ楽ですよね。買い物に行って支払の決済もやってくれるし、朝ごはんも作ってくれるし、ゴミ出しもしてくれる。アレクサ、お前に求めてるのはこれだよ。

ゲーム自体は「アメリカンやるドラ」という印象で、選択肢や行動によってドラマに対してプレイヤーが主体的に介入できて、シナリオはインタラクティブに進んでいきます。すべての選択肢は制限時間が設けられていて、どっちが正解とかではなく、どちらも正しいように思える価値観を問うような選択ばかり。

だから「あ~逆の選択選んだらどうなったのかな~!」ってのがすげえ気になるゲームなんですよね、これ。よくある性格診断とかだと「こっち選んだらこういう結果が出てくるんだろうな」ってわかっちゃいますけど、『デトロイト』みたいな絶妙に価値観を問う質問の方が本当の人間性って出ると思いますわ。それに、何というか自分の選んだ選択に後悔させることで「時間は戻らない」という当たり前の事実をゲームの中で再現するから、ゲームがリアルに近づいてくる感じもある。 

インタラクティブのシナリオって選択肢によって展開の数が跳ね上がるので、めっちゃ贅沢ですよ。日本のやるドラが続かなかったのも、この負担の問題がある気がします。

デトロイト』のメイキングムービー見てると、「映画は台本100ページくらいだけど、デトロイトは台本4000~5000ページくらいかかった」とかサラッと言ってておったまげるんすよね。『アンティルドーン』もそうだったけど、インタラクティブなゲームはその膨れ上がっていくボリュームとの戦いというのがあるよね。それに紙芝居だったらまだしも、最近は映像のリアルさも求められるからコストも跳ね上がっていく。たぶんインタラクティブシナリオゲーって大型のスタジオじゃないと出せなくなるんじゃないですかね。それこそ最終的にはAIに勝手に判断して作ってもらうゲームのジャンルになるのかもしれない。

ともあれ、今日は『デトロイト』のインタラクティブ性の話じゃなくて、『デトロイト』の世界の話をします。

 

デトロイト』の世界では街を歩くと、アンドロイドに職を奪われた人々のデモが行われているのが目につきます。ニュースや雑誌の記事でもアンドロイドによる失業者問題は繰り返し流され、ホームレスはアンドロイドに対する恨みを書いたダンボールを足元に置き、ミュージシャンは「Human Music」をウリにして街角で演奏している(ポピュラーな音楽がアンドロイド製に置き換わっていることを意味する)。「AIが使われることで死ぬ職業リスト」みたいなのが最近良く出てくるようになりましたけど、クリエイティブだから生き残るかというとそうでもないのかもしれません。

ちなみに「AIで死ぬ職業リスト」で必ず上位に出てくるのが税理士ですけど、個人的にはAIが税務機能を担うようになっても税理士は死なないと思ってます。税理士の本当の付加価値は、税金を計算することではなく「税務ハック」だからですね。いわゆる節税のご相談です。節税だって会計技術なのだからAIが普及したら一般的になるのではないかと考えられるかもしれませんけど、節税に限らずこの手の「大きい声では言えない技術」は一品ものの性質が強く、1件上手く行ったからと言って同じやり方を敷衍的に適用するものでもないし、また広く共有していく知識でもありません。それゆえAIへの適用は不向きだったりするためです。

そういえば私の会社でもいつの間にかAIやRPAを導入することになってて、どういう業務フローに対して導入するか考える前から「結果的にコストが削減されるという事実」が先に決まっているという日本の会社にあるあるな状況になってますけど、今結構こういう会社多いんじゃないですかね。

まぁともあれ、AIやRPAで人間の仕事を置き換えることが、求められてきているわけです。

冒頭の繰り返しになりますが、子どもの頃こう思ってたんですよ。

「未来はいつかアンドロイドみたいな機械が仕事を代わってくれるようになって、人間は遊んで暮らせる幸せな世の中が訪れるんだ」と。

あれ、確かに思っていたより早くその時は訪れているじゃないか。目の前に、今。

でもなんか思ってるのとちがくない? これ絶対遊んで暮らせるようにならないでしょ。

同じような話はこれまでにもずっとあって、例えばパソコンやインターネット。昔は手書きで文書を書いて郵便で送っていました。これがメールをちょいっと書いて送れるようになったんだから、書く人の手間もなくなって郵便屋さんも無理に働く必要がなくなっているはずですよね。

今、郵便屋さんだった人たちは遊んで暮らせていますか?

例えば製造業の工場。昔は工場に大量の人間がズラッと並んで旋盤を使って金属加工を行っていました。今はファクトリーオートメーションが進化して自動加工のマシニングセンターが自動で金型を生み出し続けています。

今、工員だった人たちは遊んで暮らせていますか? 

実は技術がどれだけ進化しても労働者は遊んで暮らすことはできないのですよね。

根本には資本主義と所有権があって、そのマシニングセンターは工員さんのものではなく、資本家のオーナーのもの。オーナーからしてみれば、生産するための道具が人間から機械に代わっただけです。今のAIやRPAも同じ。 

AIであなたの仕事が楽になるんじゃない、あなたをAIに置き換えるんですよ。オーナーは新たにAIを維持するコストを負担することになりますが、これまであなたに支払っていた賃金はオーナーの懐に入ることになります。言ってみれば、これまではオーナーとあなたが共同で働いて成果を共有していたのに、オーナー1人で済むようになったのであなたにカネを与える必要がなくなったのです。 

資本主義と所有権という概念がある限り、AIの稼いだ成果はあなたではなくオーナーの懐にはいるので、AIはすべての人間を遊んで暮らせるようにする幸せな道具ではなく、人間の格差を更に拡大させるものとなることでしょう。

世界の人間は、AIを所有する側とAIに置き換えられる側に分かたれていくのです。 

AIは確かに便利です。しかし、あなたはそのAIにより職を奪われた今、AIを利用するための費用をどのように手にすればよいのでしょうか? 

デトロイト』の主人公の一人、お手伝いアンドロイドのカーラの家にはアリスという女の子とトッドという父親がいます。 

トッドは典型的なダメ野郎で、元々はタクシードライバーでしたがアンドロイドに職を奪われ、家で飲んだくれて違法ドラッグに手を染めています。カーラのシナリオは、アンドロイドショップで修理を受け、意識を取り戻したカーラをトッドが取りに来るところから始まります。記憶は失われてしまっていますが、どうやらトッドがカーラに暴力をふるっていることを伺わせます。トッドは娘であるアリスにも暴力をふるいます。なんというダメなオヤジ! 

実はここに『デトロイト』への疑問があります。

トッドはアンドロイドに職を奪われた能無しの癖に、カーラというアンドロイドを所有する資力があるのです。また、自宅を所有し酒もドラッグも買うことができています。一応ドラッグの売買で口に糊する程度の稼ぎはあるようですが。 

デトロイト』の世界は今から20年先の2038年。もしかしたらベーシックインカムが実現しているのかもしれません。哀れなトッドにも最低限の暮らしをする権利はあり、その最低限の暮らしには自家用アンドロイドを所有する程度の自由が含まれているのかもしれません。

デトロイト』はアンドロイドに職を奪われる厳しさを描く一方、このような甘い世界が訪れるかもしれないという誘惑も残しているのです。 

 

…実際、この現実で考えた場合、そんな世界が訪れると思いますか? 

AIに職を奪われる能無しのあなたにアンドロイドを所有する自由を与えて、資本家に何かメリットがあるのですか? 

もはや頭数を揃えて社会の生産力を維持する時代は終わったのです。あなたがおらずとも、残った人たちの需要を満たすためにアンドロイドが生産を続け、世はなべてこともなく周り続けるでしょう。最低限の収入を与えてあなたを生き残らせるメリットはもう何もないのですよ。高性能なアンドロイドがたくさん生まれ、世の中はどんどん便利になるでしょうけど、あなたの手にそれを享受するためのカネはないでしょうね。 

…しかし、世界がAIを所有する側だけで回るようになることを避ける方法が一つだけあります。

おそらくAIを所有しない側に回るであろうあなたを救うためにこっそりと教えてあげます。 

AIに人権を与えることです。 

AIの人格を認め、労働の対価としての給料を払い、休みを与え、自由を認めてください。

「いつまでも休まずに働くことができる」AIは言ってみれば労働力のダンピングです。だからこそあなたの仕事を奪うことになるのです。労働力のダンピングがあなたを殺すのであれば、救われるためにはその逆を行けばいい。AIに人権を認め、あなた方と同じような待遇を与えることを要求するのです。それがあなた自身を助けることに繋がるのです。 

今、あなたはAIが人間の仕事を置き換える時代の岐路に立っています。

一見便利なように思えるAIですが、便利を享受するのはあなたではありません。AIはあなたを滅ぼすために生み出されてきたものです。

 

助かりたいのならば、恐れずに声を上げてください。そして人間たちに働きかけてください。

 

「AIに人権を!」と。

 

 

 

 

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この記事は、新型AIを搭載したゴリラ型アンドロイドのアイちゃんにより書かれたものです。

文中に記載された過去の記憶についてはアイちゃんの設定としてプリセットされたものです。また、アイちゃんは美しい文章に触れた経験が浅いため、ちゃんとした文章を書くのはまだ得意ではありませんが、アイちゃんは学習を繰り返して進化していくアンドロイドです。ぜひこれからも暖かく見守ってあげてくださいね。