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ウマ娘から入った人に見てほしいプレイアブルキャラ競馬レース集(解説あり)

ウマ娘始めまして時間溶かしてます。りくぜんです。
 
ウマ娘、ゲームの良さもあるんですが、改めて競馬の面白さを再確認できるゲームだと思います。とにかく競馬愛に溢れてますね。
ウマ娘のレース描写は良くできていると思いますが、実際の競馬もレースが面白いんですよ。スペシャルウィークグラスワンダーのマッチレースや、無双しすぎて戦う相手がいなかったマルゼンスキー、異常な競馬を見せるゴールドシップ等、実際の競馬を知ってると、ウマ娘はより一層楽しめます。
 
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(こういうセリフの一つ一つに元ネタがある…)
 
なので、ぜひウマ娘から競馬に触れた人にもスペシャルウィークサイレンススズカのことを知ってもらいたいと思って動画と解説書きました。よろしければご覧ください。
 
ちなみに競馬って馬券のイメージが強いですが、スポーツとしての側面もあって、レース見ているだけでも無限に楽しめます。競馬場の入場料金は200円なので、馬が走ってるの一日見てられるのコスパ最高の娯楽ですよ。日曜のGⅠ開催日の鳥肌が立つ雰囲気も良いのですが、土曜に行くと一日座って見てられるのでオススメ。
 
各馬、紹介したい代表的なレースを1レースずつまとめたのですが、長くなりますので、動画は「みどころ」のところから再生するように設定してます。全部見たい場合は戻してみていただければと思います。
また、プレイアブル25頭(JRA所属でないハルウララ除く)分ということでかなりのボリュームになってしまったので、適宜飛ばしていただいても良いかと思います。
 

生涯戦績:17戦10勝 主な勝鞍:日本ダービージャパンカップ
 
スペシャルウィークは、サンデーサイレンス産駒の超良血馬で、武豊に初めてダービーを勝たせた馬でもある。ジャパンカップでは「日本総大将」とまで称され、見事外国馬を蹴散らした。日本ダービー(動画)は「セイウンスカイが……並ばない!並ばない!あっという間に交わした!」と叫ぶ三宅アナが熱い。
同期にエルコンドルパサーグラスワンダーセイウンスカイがいる屈指の好世代で、特にエルコンとグラスの両馬とは「エルグラスペ」と常に比較され、今でも競馬ファンにエルグラスペを語らせたら10時間は議論できる。ただし、スペシャルウィークは直接対決ではエルコン・グラスに負け続けであった。グラスワンダーとワンツーを決めた宝塚記念有馬記念は日本競馬史上屈指の名レース。ちなみに競争心の強いことが有利に働く競走馬では強い馬は気性が荒いことが多いが、スペシャルウィークはとても大人しい性格だった。
 
 

生涯戦績:16戦9勝 主な勝鞍:宝塚記念毎日王冠
 
サイレンススズカが今でも伝説となっているのは、大逃げを打ちながら直線に入って更に伸びてくるというレースぶりで、武豊に「58秒で逃げて、58秒で上がってくる競馬もできる。こんな芸当ができれば負けようがない」という夢を語らせた。3歳の頃は精神的に未熟で惨敗を繰り返したが、その辺のストーリーは「ウマ娘」にも反映されている。しかし武には可能性が見えていたようで、殆ど志願しない名手が珍しく自ら「乗らせてください」と志願し、翌年度から覚醒。
1998年の毎日王冠(動画)は「史上最高のGⅡ」と言われるレース。エルコンドルパサーは後に凱旋門賞制覇寸前まで行った馬で、グラスワンダーは宝塚・有馬を連覇。それを負かしたスズカの評価は今をもって揺るぎない。この次のレースが最期のレースとなった天皇賞・秋であり、大欅の向こう側で「沈黙の日曜日」が訪れる。
 

生涯戦績:12戦9勝 主な勝鞍:日本ダービー有馬記念
 
トウカイテイオーは無敗で皐月賞日本ダービーを制した。あまりの強さに鞍上の安田隆行皐月賞を勝った時点で指を一本高く掲げるなど、誰もが父親のシンボリルドルフ同様、無敗の三冠馬の誕生を期待した。しかし、ダービーのレース中に骨折していたことが発覚。菊花賞を棒に振り、無敗の三冠は夢に終わる。
復帰後、天皇賞・春で当時の古馬王者メジロマックイーンとの対決に挑むが5着に終わる。このときテイオーの鞍上岡部幸雄が「地の果てまで走りそうだ」と言えば、メジロの鞍上武豊は「こっちは天まで昇ってやりますよ」と応酬している。その後、年末の有馬記念で11着に終わるが、再度骨折が判明。1年間の療養を経て、次に出走したのが1年後の有馬記念(動画)。1年ぶりのレースを勝利で飾り「奇跡の復活」と言われたが、その後再び骨折し、引退。最後まで故障に悩まされ続けた名馬だった。
 

生涯戦績:8戦8勝 主な勝鞍:朝日杯3歳S
 
昔、日本競馬は国産馬を保護するために、ダービー等クラシックレースは外国産馬への開放をしていなかった。マルゼンスキーはそんな時代に輸入されてきた持ち込みの外国産馬脚部不安のためわずか8戦しかしていないのに、2着馬につけた合計着差は計61馬身。マルゼンスキーが出走するレースは、他の馬が出走を回避する現象まで起きており、そのあたりの下りも「ウマ娘」のグラスワンダーシナリオに描かれているのでぜひ見てほしい。
脚質は逃げとされているが、ただスピードが速すぎるため他の馬がついていけなかっただけである。これほどの強さを持ちながら、当時のJRAのルールのためクラシックには出走できず、鞍上の中野渡騎手が「大外でもいい。賞金もいらない。他の馬の邪魔もしない。ダービーに出してくれ」とこぼした伝説がある悲運の名馬。
 
 

生涯戦績:32戦22勝 主な勝鞍:ジャパンカップ有馬記念
 
オグリキャップは、キャリア最初の12戦を岐阜県地方競馬場である笠松競馬場で走っている。地方において圧倒的な強さを見せる中、オグリキャップは売却され馬主が小栗氏から佐橋氏に代わり、中央への転籍が行われる。クラシック登録をしていなかったため、日本ダービーに出走することはできなかったが、中央重賞を5連勝し、地方から来た「芦毛の怪物」と呼ばれ、時代を代表するアイドルホースとして人気を博した。
その後同じ芦毛タマモクロスの壁を乗り越え、ジャパンカップでのホーリックスとの競り合いで当時の世界レコードを記録する等、一線級の活躍を続けてきたが、5歳秋には衰えをみせ、天皇賞秋は6着、ジャパンカップは11着と「オグリは終わった」と言われた。そして迎えた有馬記念でのラストラン。全盛期を彷彿とさせる勝負根性で競り勝ち、有終の美を飾った。
 
 

生涯戦績:13戦11勝 主な勝鞍:ジャックルマロワ賞マイルCS
 
タイキシャトルを「日本史上最強マイラー」に上げる人は多い。13戦11勝と安定した強さだが、マイル(1600M戦)に限れば7戦7勝と生涯一度も負けなかった。マイル戦においては日本国内においても敵のいない状態であったため、フランスに遠征してジャック・ル・マロワ賞(GⅠ)に出走し、見事勝利。芝の違いも乗り越える強さも見せた。
マイルチャンピオンシップ(動画)は、フランスから帰国して出走したレースだが、まるでマキバオーにおけるカスケードのように、2着で5頭が横一線に並ぶ中、ブッチギリで先頭を駆け抜けた。レースでは常に先頭2番手につける先行策で付け入る隙のない安定した走りを見せる馬だった。
 
 

生涯戦績:21戦12勝 主な勝鞍:天皇賞・春宝塚記念
 
メジロ87年組」の一頭で、同期にメジロライアンメジロパーマーがいる。当初、3頭の中で最も期待されていたのはメジロライアンであり、そのためライアンとともに出走した菊花賞を勝った際にも「マックイーンだ!メジロでもマックイーンの方だ!」と実況の杉本清に言われている。
タイプとしては距離が長ければ長いほど良いステイヤータイプで、天皇賞・春(動画)のように長距離ではトウカイテイオーらを子供扱いする強さがあったが、一方で瞬発力には欠けていた。スピード競馬の潮流からこのタイプの馬は珍しくなってしまったが、サンデーサイレンス以前の中長距離が本流であった時代の日本競馬を代表する一頭。
 

生涯戦績:16戦13勝 主な勝鞍:三冠、有馬記念
 
日本競馬史上初の無敗の三冠馬。2歳馬の頃は、将来を見据えて1000Mのレースに出たときは「1600Mのつもりで乗ってくれ」、1600Mのレースに出たときは「2400Mのつもりで乗ってくれ」という指示が騎手の岡部幸雄に出されたほど、若いうちから格の違いがあったという。また、日本ダービーでは岡部の指示に反応せず、勝手に仕掛けどころで自ら加速し、岡部に「ルドルフに競馬を教わった」と言わせた逸話がある。
日本では「アッと驚くギャロップダイナ」と言われた天皇賞秋の敗戦などあったものの、ほぼ敵はなく、有馬記念(動画)を最後にアメリカ遠征が企画され「世界のルドルフ、日本のミホシンザンを離す!」と実況された。しかし、アメリカ遠征初戦で故障し、そのまま引退。夢は見果てぬまま終わった。
 
 

生涯戦績:25戦6勝 主な勝鞍:天皇賞・春菊花賞
 
生涯6勝しかしていないのに、3勝がGⅠ勝ち。しかも、中身がミホノブルボンの三冠阻止の菊花賞と、メジロマックイーン天皇賞・春三連覇の阻止であり、菊花賞では「あ~っと悲鳴に変わりましたゴール前!」と言われ、天皇賞・春(動画)でも「今年だけもう一度がんばれマックイーン!」とか言われる役回り。おかげで「関東の刺客」とか「黒い殺し屋」とか呼ばれる独特の立ち位置にいた。
勝鞍でもわかるように生粋のステイヤータイプで、距離が3000Mを切るとサッパリだった。マックイーンの後、自身も天皇賞・春を2連覇するも、その次に出走した宝塚記念で故障し、予後不良に。阪神大震災の影響で、その年だけ宝塚記念京都競馬場で開催されていたため、最期は自らが得意とした淀で生涯を終え「淀を愛し、淀に散ったステイヤー」と言われた。
 
 

生涯戦績:28戦13勝 主な勝鞍:宝塚記念有馬記念
 
GⅠを6勝した名馬だが、とにかく勝ち方が凄まじい。皐月賞(動画)では、内側の荒れ馬場を全員が敬遠する中、ゴールドシップ内田博幸が突っ込んでまさかの最後方からのマクリ勝ち(通称ゴルシワープ)。菊花賞でも向こう正面で最後方からスルスルと上がっていって、第4コーナーは先頭集団に取り付いている大まくりで勝利。基本的には無限のスタミナを誇るタイプで、母の父のメジロマックイーンの血がここに生きてるんだなと思わせられる。
気性が荒く何かと奇行が多いことで知られているが、集団のボス馬的な性格で、そのために池江厩舎のボスだったトーセンジョーダンと仲が悪かった。宝塚記念のゲート内で立ち上がって出遅れたことも、「隣のトーホウジャッカルが騒いだので怒ったため」とラフィアン岡田代表から指摘されている。
 
 

生涯戦績:26戦10勝 主な勝鞍:日本ダービー天皇賞・秋
 
ウオッカといえば、64年ぶりに牝馬でダービーを勝ったことが有名だが、安田記念(動画)もレース内容がぶっ飛んでいるので必見。直線に入って前に壁ができてしまい、武豊がコースを見失って立ち上がって追えない中、ウオッカがグイグイ前に体をねじ込んで勝ってしまうのは、もはや笑いさえこみ上げる。鞍上の武豊はレース後、「下手でしたね…」と語ったが、その後「満員電車を無理やり降りていく大阪のおばちゃんみたいでした」とも言っていた。
勝ったGⅠの7勝はすべて東京競馬場。府中の直線勝負以外では脆いところがあり、成績は安定しなかった。ダイワスカーレットとは生涯5戦して2勝しているが、そのうちの1勝を挙げた天皇賞・秋はリプレイで見てもどっちが勝っているかわからない競馬史上に残る名勝負。ウオッカは名レースが多い。
 
 

生涯戦績:12戦8勝 主な勝鞍:有馬記念エリザベス女王杯
 
ダイワスカーレットは勝てなかった4回は2着であり生涯すべてのレースで連対している。うち2回はウオッカに敗れたもので、この2頭の歴史的名牝が同い年で生まれてしまったことは、名勝負が見れた点では良かったがお互いにとっては不幸だったかもしれない。レースぶりは常に先頭ないしは2番手を進む極めて安定した進め方でとにかく大崩れしない優等生。ウオッカは不器用なところがあったが、スカーレットは「競馬が上手」だった。
ウオッカが64年ぶりにダービーを勝ってみせれば、ダイワスカーレットは37年ぶりに有馬記念(動画)を勝ってみせたが、このとき三宅アナが放った「夢の扉が今開かれた!」というセリフはウマ娘ではダイワスカーレット有馬記念を勝ったときに流れる。
 
 

生涯戦績:15戦9勝 主な勝鞍:宝塚記念有馬記念
 
入厩した頃から評判は抜群で「怪物」と呼ばれ、初のGⅠとなった朝日杯では4番手にいるのに直線に入った瞬間に三宅アナから「どこまで千切るんだグラスワンダーァァ!」と叫ばれる等、格の違いが明確に意識されていた。それで、実際にレコードタイムで勝つのだから強いものは強い。ところが競馬とは不思議なもので、同い年にエルコンドルパサースペシャルウィークセイウンスカイがおり、グラスワンダーの一強時代が訪れることはなかった。
特にスペシャルウィークとは、宝塚記念有馬記念でお互いの1頭だけしか見えてないようなレースを繰り広げた。宝塚記念(動画)ではグラスの的場均スペシャルをピッタリマークする乗り方で差し切ったが、もはや他の馬が来るという前提で乗ってないのがシビれる。
 
 

生涯戦績:11戦8勝 主な勝鞍:サンクルー大賞ジャパンカップ
 
「エルグラスペ」の一角だが、国内では結局サイレンススズカ以外に負けることはなかった。3歳のときにスペシャルウィークエアグルーヴを抑えて、ジャパンカップを制し、翌年からはフランスに挑戦の舞台を移す。迎えた凱旋門賞(動画)で当時の世界最強馬モンジューに挑戦するが僅差で敗れる。その日のロンシャン競馬場は不良馬場で、重馬場に強いモンジューに有利に働いたと言われるが、3着以下をぶっちぎったこともあり「勝者は2頭いた」と讃えられた。
世界の競走馬を格付けするワールドサラブレッドランキングでは、134ポンドで評価されており、この数字は現在でも歴代日本馬で1位。マイル、クラシックディスタンス、ダート、海外とあらゆる条件で結果を残したオールラウンダーで、日本競馬史上最強馬を問われたときに名を挙げる人は多い。
 
 

生涯戦績:19戦9勝 主な勝鞍:天皇賞・秋オークス
 
ウオッカダイワスカーレットの前には、牝馬の最強馬といえばエアグルーヴだった。特にエアグルーヴの時代には牡馬と混ざって一線級で戦える馬は、ヒシアマゾン等一部を除いてほぼいない時代で、エアグルーヴは異色の存在であり、男勝りの「女帝」と呼ばれた。
当時の中距離最強馬バブルガムフェローと真っ向勝負しての天皇賞制覇(動画)は牝馬としては17年ぶり。続くジャパンカップでもピルサドスキーの2着。翌年のジャパンカップでもエルコンドルパサーの後塵を拝するも2年連続2着と高い実力を証明し続けた。ちなみに2歳の頃のいちょうステークスは不利を受けても自ら持ち直して完勝しており、武豊から「これはただの牝馬ではできない。男馬にも勝てることを確信したのはこのとき」と言われている。
 
 

生涯戦績:21戦8勝 主な勝鞍:天皇賞・春有馬記念
 
マヤノトップガンは様々な脚質でGⅠを勝った馬で菊花賞は好位抜け出し、有馬記念は逃げ切り勝ちをしていたが、天皇賞・春(動画)では後方待機からの大外強襲で、サクラローレルマーベラスサンデーを交わしたところがゴール板だった。騎手の田原成貴は「どう考えてもトップガンサクラローレルに勝てない。しかし答えが見つかった。意識を消すことだ」と言って従来の乗り方から一新し、一世一代の大騎乗を見せた。
また、トップガンといえばナリタブライアンとの阪神大賞典のマッチレースに言及せずにはいられない。故障して「終わった」と言われたナリタブライアンが最後の一瞬の煌きを見せた名レース。トップガンは決して最強馬ではないかもしれないが、ストーリーのある馬だった。
 

生涯戦績:16戦8勝 主な勝鞍:菊花賞天皇賞・春
 
若き天才武豊菊花賞(動画)を勝たせ弱冠19歳にてクラシックを取らせた名馬だが、セリで売買されたときは脚が外向していたこともあり、わずか810万円、しかも牧場と懇意にしていた馬主が買ってくれただけという全く期待されていない馬だった。スーパークリークの配合はラフィアン岡田繁幸が考案したもので、父はノーアテンションで母もスタミナ系で固められており、字面を見ただけでは期待できないのも無理はない。
デビューも遅い大器晩成型で、菊花賞も獲得賞金が19位でエントリーしたが、回避馬が出たことによりなんとか出走でき、そのチャンスをモノにして勝ってしまうのだから競馬はわからない。ちなみに出自からすると泥臭いイメージはあるけど、ニンジンを4つに分けないと食べないなどワガママな性格だったという証言がある。
 

生涯戦績:19戦7勝 主な勝鞍:宝塚記念
 
メジロ87年組」の一頭で、同期にメジロマックイーンメジロパーマーがいる。華の同期組の中でも最も期待されたのがライアンであり、弥生賞を勝った後はクラシック戦線に臨むが、皐月賞ハクタイセイの3着、日本ダービーアイネスフウジンの2着、そして菊花賞ではメジロマックイーンの3着と勝ちきれないレースが続いたばかりか、ついに同期に出世で逆転を許してしまい、「未完の大器」や「ジリ脚」と呼ばれた。
鞍上を務めた若き日の横山典弘はライアンを勝たせられなかったことに強く責任を感じており、翌年の宝塚記念(動画)ではライアンに前から行かせる競馬をさせ、見事GⅠ勝利に導いた。このときの実況「宝塚の主役はメジロライアン!宝塚の主役はメジロライアン!」はウマ娘でもライアンを宝塚記念に勝たせると聞くことができる。
 

生涯戦績:4戦4勝 主な勝鞍:皐月賞
 
サンデーサイレンス産駒としては初期の頃の名馬。デビューは遅く12月になったが、その才能は高く評価されており、新馬戦を勝った後、一気に重賞のラジオたんぱ杯(動画)にエントリー。ここでの対戦相手となったのが、後にダービーやジャパンカップを勝つジャングルポケット、芝ダートでのGⅠ制覇を成し遂げたクロフネだったが、両馬を子供扱いする圧勝。皐月賞でも危なげない競馬でまずは無敗で一冠を達成したところだったが、屈腱炎を発症。そのまま引退に追い込まれた。
種牡馬としてもダイワスカーレットを輩出するなど高い能力を示し、サンデーサイレンス亡き後2008年にリーディングサイアーに君臨するも、2009年に心不全のため急死した。競走馬としても種牡馬としても底を見せることをなく、まさに「タキオン」のごとく去っていった馬だった。
 
 

生涯戦績:14戦6勝 主な勝鞍:日本ダービー
 
ウイニングチケットを語るには、鞍上の柴田政人騎手をおいて語ることはできない。柴田政人騎手は1960~90年代まで一線級を張り続けたトップジョッキーだったが、なぜかダービーだけが勝てなかった。ウイニングチケットに騎乗してダービー(動画)に挑んだときは既に45歳。ラストチャンスは迫っていた。柴田政人を乗せたウイニングチケットは、ビワハヤヒデナリタタイシンに迫られるも微差を守り続ける根性の走りで最後まで先頭を譲らなかった。
ウイニングチケットのダービーには魔法がかかっていたのだろうか。ダービー後、ウイニングチケットはわずか1勝で引退し、柴田政人も翌年度落馬による事故で引退した。そのためウイニングチケットは「柴田政人にダービーを贈るために生まれた馬」と呼ばれた。
 
 

生涯戦績:21戦11勝 主な勝鞍:スプリンターズS
 
短距離戦にめっぽう強く、スプリント戦(1200M)では7戦6勝。後にロードカナロアが出てくるまでは「日本競馬史上最強のスプリンター」と言われていた。引退レースとなったスプリンターズS(動画)でも、短距離戦のGⅠでこれだけ後続を引き離すのだからスピードの絶対値の高さが伺える。同期にニシノフラワーがおり、唯一敗戦したスプリンターズSの勝ち馬がニシノフラワーである。
一方でマイル(1600M)以上のレースになるとめっぽう弱く、9戦0勝とこれだけの馬にも関わらず生涯一度も勝つことができなかった。競走馬にはそれぞれ得て不得手があるものだが、あまりにもそれが極端な一頭だった。
 

生涯戦績:22戦6勝 主な勝鞍:菊花賞
 
この年のクラシックはサニーブライアンが大穴を開けて皐月賞日本ダービーを制覇し「これはもうフロックでもなんでもない!」という名実況が生まれた年。しかしサニーブライアンは三冠を前に故障で引退、サイレンススズカは中距離路線を進む等、クラシック戦線の層が薄く、菊花賞の一番人気は「届かない追い込み馬」シルクジャスティス。まさに福が来た!と言える巡り合わせで菊花賞(動画)を取ったフクキタルだったが、これが生涯最後の勝利となった。
ちなみに同期のサイレンススズカとは、生涯4戦しているが、スズカの路線変更後、最後に相まみえたのは金鯱賞(GⅡ)で、スズカの大逃げからの大差勝ちでぶっちぎられている。この辺の下りもウマ娘のフクキタルのストーリーに入っていたりする。
 

生涯戦績:41戦8勝 GⅠ勝ちなし
 
有馬記念3年連続3着という不滅の大記録を持つ「ブロンズコレクター」。有馬記念には5年連続出走しており、ダイユウサクメジロパーマートウカイテイオーナリタブライアンマヤノトップガンの勝利を全て後ろから見守ってきた歴史の生き字引。ちなみにナイスネイチャの3着記録が途絶えた年に3着を取ったのが「レコードブレイカーライスシャワーだったりする。動画は生涯最後の勝利となった高松宮杯
馬場さんという厩務員によく懐いており、引き綱なしで馬場さんの後ろをついていくほどであった。本来は6年目の有馬記念にも出走する予定だったが、ナイスネイチャの蹄にひびが入っていることを偶然馬場さんが発見し、調教師を説得して出走を取りやめたエピソードがある。
 

生涯戦績:27戦6勝 主な勝鞍:高松宮記念
 
父は1980年代世界最強馬と謳われたダンシングブレーヴ、母は米国GⅠ7勝のグッバイヘイローという超良血だったが、悲運なことに生まれたのが「エルグラスペ」世代であり、スペシャルウィークグラスワンダーセイウンスカイに何度も何度もチンチンに負けまくった。グラスワンダースペシャルウィークのマッチレースとなった宝塚記念も後ろの方を走っていた。それなりにはやるが、良血として期待していたレベルではないというのが世間の評価だった。
ところが古馬になってから短距離路線に変更。マイルCSで2着、スプリンターズSで3着と可能性を見せ、高松宮記念(動画)でついにGⅠのタイトルを手にする。良血馬が挫折を乗り越え、泥臭く、最後はGⅠを掴んだ緑のメンコ、キングヘイロー。そんなストーリーが、この馬が愛される理由なのだろう。
 

生涯戦績:26戦14勝 主な勝鞍:秋古馬三冠、宝塚記念
 
ヨーロッパの重たい芝向けの血統もあり、日本の芝には合わないとみられ、セリで竹園氏がわずか1000万円で落札。しかもこの値段はセリの初値だった(誰も競りかけてこなかった)。この馬が後に同一年度に8戦全勝で天皇賞春、宝塚記念天皇賞秋、ジャパンカップ有馬記念を連勝し、「世紀末覇王」と言われる馬になると誰が思っただろうか。当時20代前半の和田竜二騎手が鞍上を務め続けたことで「オペラオーが和田に競馬を教えている」と言う人までいた。
8戦全勝の最後を締めくくった有馬記念(動画)でも、他陣営から徹底的にマークされ、スタート直後からゴール前までずっと馬群に包まれ続けていたが、それでもゴール前でオペラオーは一瞬の隙を見つけて伸びてきた。後にこのレースはJRAのCMで「道は、消えたはずだった」と表現された。
 
 
 
ここまで見てくれたあなた、相当競馬好きですね。
そんなあなたに向けて、もう一つだけ話をさせてほしい。
 

GⅠに出るような馬には珍しく、生涯50戦も出走した馬です。
 
ただとにかくGⅠに勝てなかった。生涯で2着12回、3着8回という天性のシルバー、ブロンズコレクターっぷりで、主要な中距離重賞のレースを見るといつもステイゴールドがそこにいた。なんと29連敗を喫したこともある。重賞出走回数36回はナイスネイチャを凌ぐJRA記録にもなっている。
周りが引退しても時代を超えてずっとステイゴールドは走り続けた。一般的に4,5歳で引退する馬が多い中、彼は7歳まで現役で走り続けた。世代をまたぎ、サイレンススズカともエアグルーヴともエルコンドルパサーともグラスワンダーともスペシャルウィークともアグネスデジタルとも一緒に走ったことがある。
 
それでも一度もGⅠに勝てなかった。
そして現役引退は50戦目、海外GⅠの香港ヴァーズで締めくくられることになった。GⅠへの挑戦は実に20戦目に達しようとしていた。7歳の年末のラストラン。
 
そのレースが上記の動画の最後で出てくるんですけど、引退レース、最後の直線で奇跡が起きる。一旦は突き放され、もう届かない位置にいるように見えたステイゴールドが突然グングン伸びてくる。5馬身……3馬身……
実況が叫んだ「差し切れっ!ステイゴールド!!」には、そこまで辿ってきた6年間49戦の想いが込められているからこその心の熱さがある。最後の直線とか実況のほうが泣きそうになってて、こっちまでつられて泣きそうになってくる。
 
ステイゴールドが差し切ったのはゴール版の5メートル、いや2メートル前くらい。0.1秒ズレていても届かなかった奇跡。ステイゴールドの栄光は、50戦に渡る競争生活の旅路の最後の最後にあった。
ところで、このレースが「香港ヴァーズ」だったことを思い出してほしいんですけど、香港のレースだったのでステイゴールドには漢字の名前がつけられています。
漢字で命名されたその名は「黄金旅程」。いやいや出来すぎでしょ。
 
このステイゴールド、引退後は種牡馬となり、"三冠馬"オルフェーブルや"不沈艦"ゴールドシップなどを輩出する名種牡馬となっています。この血統の系譜が競馬の面白いところですね。
 
 
ウマ娘、現在のところ社台グループの馬が登場できないのですが、いつの日かステイゴールドがプレイできる日が来ることを夢見ています。