口を開けながらVRができない
百聞は一見にしかずオブザイヤーの近年における頂点として君臨しているのがVRというコンテンツだと思うんですけど、「面倒くせえ」というハードルを乗り越えてみてみると、支払った面倒臭さの対価以上のリターンは得られます。
特に大型筐体は視覚聴覚だけじゃなくて体感が乗ってくるので、向こうの世界に持って行かれる感が1段階上がって良いです。でも、どこもそうなんですけど、風を演出するために筐体の前にサーキュレーターが置いてたりして、ゴーグル付ける前に目に入ってくる光景の手作り感が一番良さみある…。
前にハウステンボス行ったらVRコンテンツ面白かったんで、東京戻ってから渋谷の『VR PARK TOKYO』と池袋のサンシャイン60(なぜか展望台登ると大型VR筐体がいくつか置いてる)行ってきたんすよ。
大型筐体のVRって、クソビジネスライクな話をするとそれほど儲かるとは思えなくて、遊ぶための工程やルールが複雑すぎることが要因で、1人2人の人間が遊ぶのにスタッフも専属で同じように1人2人ついているような状況なので、それでいてサンシャイン60の1回400~600円だったり、『VR PRAK TOKYO』の90分遊び放題3,000円前後だったりするのは破格の安さ!
大型筐体も汎用品じゃないので安いものではないし、何より世の中で一番高いのは人間っすからね。多分人間側のマス層が当たり前に使えるほどVRの使い方が普及するか、VR側の使いやすさが進化して誰でも使える道具になるかのいずれかの状況にならない限り手間がかかりすぎるので、VRはビッグマーケットにならないと思われるんですが、ともかくも現状ではこんな値段でやっていけるのかと心配してしまうほど安い価格で専属スタッフがついて、関口宏のフレンドパークのゲスト並に手厚いサービスを提供してくれているわけです。
『VR PARK TOKYO』だとレーシングや鉄骨渡りのコンテンツそれぞれにスタッフさんが付いてくれて、遊び方について随時指導してくれるし、野球のゲームだと実況までしてくれるわけです。こんな値段しか払ってないのに、一体儲けはどうなっているのか。この3,000円からスタッフさんの時給、渋谷の高い地代、筐体の減価償却費、光熱費、小道具の諸経費……それらを引いてようやく利益……。他人事なんでどうでもいいですけど、社畜根性が勝手にそろばんを弾いてしまう…。休日なのにつらい…。
そんなわけで現状大型筐体VRはかなりお得な価格で提供されていると思うので、ぜひ遊ぶと良いのではないでしょうか。
ただこの手の体感VRにはひとつ大きな問題があるんすよね。
とても、とても大きな問題が…。
これ。
なんでVR遊んでる人の絵ってどいつもこいつも口をポカーンと空けてるのか問題。インタビュー受けてる時にろくろ回すIT企業の経営者並に定型化しているところがある。
広告の絵面的な話だと、顔のうち外に出ている部分が口しか無いから口で楽しさを表すしか無いというのがあるのでしょう。口だけで楽しさを表現できるのが上手い人には、手タレみたいな需要もあることでしょう。
しかし我々はどうすればよいのか。
「うおおおすげええ!」みたいに叫びながら楽しく遊べるかというとムリなわけです。いや、実際たまにそうやって遊んでいる人見かけるんですけど、ムリなわけです。内心「うおおおすげええ!」ってなりながら「ん? これがVR? おお、すごいね。うんまぁまぁいいんじゃない」くらいのリアクションしちゃうでしょ。ゴーグル付けて大騒ぎするの恥ずかしいという気持ちがすべての行動を押しとどめようとしてくる。
一方で、大型筐体のVRには、必ず専属のスタッフが付いてくれて遊んでいるところの実況までしてくれるんですよ。何というか「楽しいです!」ってしておかないとスタッフさんに申し訳なさあるじゃないですか。無表情でコンシュマーゲームやっているのとわけが違うんですよ。相手がいるんやで!
そう、これが『スタッフさんが親切にサービスしてくれてるので楽しんでいるようにしなきゃという気持ち』と『内心冷めてる気持ち』という、外部と内部の心のコンフリクト問題……。この問題を適切に解決し、正しい振る舞い方を身に着けない限り、我々は心から体感VRを楽しむことはできない……。
人に気を使わずにすむVRの世界に入るために人に気を使っている不思議。
バーチャルリアリティというのはね、誰にも邪魔されず、自由で、なんというか救われてなきゃあダメなんだ。独りで、静かで、豊かで…。
入ったこと無いからわかんないですけど、きっと老人ホームでも同じ問題があることでしょう。
老人ホームってボケ防止のために「き~ら~き~ら~ひ~か~る」とか子どもの歌を歌わせたりするみたいですけど、やっぱりあれも「俺は○○商事の専務までやった男だぞ」とか思う心と「でもここで事を荒立てたら頑張ってるスタッフさんに申し訳ないし」と思う心が衝突しながら「き~ら~き~ら~ひ~か~る」とかクッソ冷めた心で歌ってるんじゃないかと思うんですよね。
つらい。未来にはつらさしかない。でもそうしなければならないのだ。
どうか一人でVRに入ってそのまま死ぬまで楽しめる機械が、老人になるまでに完成されていますように。
そんなわけで自分の中に体感VRプチブームが来てたんで色々調べてたんですけど、その中で今一番アツいのがこれ。
FIRST AIRLINESは、地上にいながら航空・世界旅行の体験を味わうことのできる世界初のバーチャル航空施設です。およそ110分のフライトの中で、NY、パリ、ローマ・ハワイ様々な国の様々なアクティビティを五感を使い、楽しみながら現地料理にあわせ、一流のシェフが趣向をこらした機内食をお楽しみいただけます。VRで世界旅行を楽しめる『FIRST AIRLINE』というサービスです。そりゃVRというのはある種の「ごっこ遊び」みたいなところあるんでしょうけど、VR海外旅行を集団でやるというのはエッジが効きすぎてもはや一種のアート性まで生まれてやしませんか。
明らかに自分の脳は今いる場所が池袋だと認識している中で「お客様、ニューヨークに到着いたしました」という声を聞いてどんな顔をすればいいのだろう。間違いなく地上にいる状態で出された機内食に機内食を感じることができるかどうかは、もはや自分自身にかかっているのだ。
自分は試されている。これは現実がVRに再現されているシステムではない。VRの情報が現実を侵食し、VRの世界を現実でも維持するために自分自身が適応しなければならないシステムだ。
この現実とVRの複合により作られた「ごっこ遊び」の世界を守るためには、『VR PARK TOKYO』で気を使うというレベルではない配慮が要求される。ゴーグルを外しても気を抜くことが許されないのだ。お前は今ニューヨークにいる。
これはルールの転換。自分がVRに行くのではなく、VRが現実に来るのだ。
ただ、なぜその発想を池袋で機内食を食べるサービスに使おうと思ったのかが最大の謎なんですが、技術の黎明期には往々にしてこういう試みが生まれて良いですね。