当たり判定ゼロ

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仮想通貨スタドリの見た夢

……夢を見ていたようだ。長い……しかし、悪くない夢だった。

君にはどこまで話したんだったかな、そう、仮想通貨の話だったな。

仮想通貨はイーサリアムなど一部の通貨を除いて発行数量に上限があるデフレ通貨が多く、外部から資金が流入する限り価格が上昇し続ける仕組みにある。「時価総額=単価×数量」を置き換えると「単価=時価総額/数量」となる。誰にでもわかる単純な算数だ。要点は、数量が増加しないことや増加量が最初から宣告されていることだ。

法定通貨と違い、中央銀行の意思一つによるインフレから仮想通貨は自由だ。考えてみろ。自分の持っているカネの価値が、誰かの考え一つで下がる状況で安心して暮らせるか? いわば法定通貨はカネが統制管理された社会主義のようなものだが、仮想通貨はレッセフェール(自由放任主義)の状態に近いだろう。また、恣意性を排除する性格が強いため、不況時に金融緩和を行って景気を刺激することはできない点は留意しておく必要があるだろう。ハードフォークなどで一部中央による管理性が顔をもたげることもあるが、法定通貨と比べれば全体として中央からの管理性は依然低いと見て良い。

自由、そして反権力。人はこれらの言葉から紡がれる物語を魅力的に感じる。そして自由は中長期的に見れば殆どの状況で勝利し続けてきたことは歴史が証明している。投資とは元来「この企業は成長する」「この土地は値上がりする」という未来の予想に対する賭けになる。では、仮想通貨は何に対する賭けだろうか?

これはレジームチェンジに対する賭けなのだ。例えば法定通貨ではなくリップルを用いて決済をするのが当然の世の中になる。その未来に賭けて予めリップル保有しておく。そういう未来が訪れることへの賭けなのだ。この規模のレジームチェンジが起きる可能性は高くはないだろう。だからこそ高いリターンが得られる賭けでもあるのだ。

そう考えた私は仮想通貨への投資を始めた。

なに、そんな確固たる信念があったわけじゃない。ナポレオン戦争の際、ロスチャイルド家は「英国が負けた」と誤情報を流通させて英国債を買い上げて莫大な利益を得たことで知られるが、ナポレオンの戦費調達にも携わっており、実際のところどちらが勝っても利益を得られるようリスクヘッジを行っていたそうだ。それと同じだよ。法定通貨が勝とうが、仮想通貨が勝とうが関係ない。ただ、どちらの通貨が勝っても資産を失わないようにしたいと思っただけなんだ。

ところが、仮想通貨は思わぬ暴騰を始めた。私の資産は10倍、そしてみるみるうちに100倍を超えた。

金融危機以来、金融緩和が状態化し、FRBや日銀は兆単位のカネを市場に流通させ、挙句の果てに日銀などは当座預金にマイナス金利を付け始めた。この限界を超えた金融緩和で溢れたマネーが行き着く先が仮想通貨だったというわけだ。流通量を増やさない仮想通貨にカネが殺到した事実は、水道の蛇口を捻るように金を垂れ流す法定通貨に対するアンチテーゼだったのかもしれないな。お前らがジャブジャブ薄めて価値を落とし続けるカネなんてもう持ちたくない、というわけだ。

バブルには必ずカネの入口が存在する。カネは必ずどこかからやってくる。無からカネは生まれない。バブルと見たら「そのカネはどこからやって来たのか?」を必ず自問自答することだ。

第一次世界大戦が終わった後、アメリカは超好景気に沸き、株や不動産は暴騰し、この世の春が訪れた。その理由がわかるか? 第一次世界大戦ではアメリカはイギリス等の国債を購入することで資金を出し、戦勝国に対して大量の債権を保有していた。その償還が始まったことにより多額の資金がウォール街流入したのだ。

短期間で上がりすぎた金融商品は必ず暴落する時が来る。カネの次の出し手がいなくなるからだ。

例えば、100円で買った株が200円で売れたとしよう。このとき投資は2倍になったわけだが、200円で買った奴は400円で売らなければ2倍にならない。400円で買った奴は800円で売らなければ2倍にならない。インフレもなしにこの課題を解決するのは不可能だ。

そして私は売った。すべてが弾けるその前に。

実際にバブルかどうかは判定する術はない。もしかしたら800円で売れるのかもしれない。しかし私にはそんな勇気はなかった。

考えてみれば、私は「日本円に換算して○○円儲かった、損した」と常に日本円というフィルターを通じて仮想通貨を見ていた。

通貨はそもそも信用を得るのが最も難しい。日本円でさえ、明治政府により最初に発行された際は信用されず、紙切れだった。仮想通貨は、すぐに円やドルに変換できることにより信用を担保していたのだ。私はその兌換性を信用していただけで、最初から仮想通貨が標準的な通貨になることを信じてなどはいなかったのかもしれない。そうでなければ、最初から円換算での価値など考える必要はなかったはずだから。

そして仮想通貨を円に換え、手元に残ったのは目的のない大量のカネ。

意味がない。実に意味がないカネだ。

「仮想通貨は未来の決済通貨になる」頭の片隅で少しでも信じたその夢は、いつしか私の楽しみとなっていたことにようやく気がついた。しかし私は船から下りてしまった。目的のないカネほど虚しいものはない。

そんなときだった。彼女が動き出したのは……。

???「レアやSレアのアイドルをGETするにはガチャが一番!」

発行数量を絞れば上がる……。そんな単純な事実に彼女が反応しないわけがなかった。

モバコインの歴史を知る者であれば、かつてスタドリがモバコイン界の基軸通貨として君臨していたことは記憶に残っていることだろう。例えば神撃のバハムートで事実上の通貨として機能している水と交換するためのレートは「スタドリ1:水4」程度であったため、水を直接買うのではなく、まずスタドリを購入して水に換えるのが合理的だ。単一のゲームを超える支配的な決済通貨としての位置付けを獲得したわけだ。

スタドリの決済機能はゲームの世界に留まらず、麻雀などの賭け事の対価として使われたり、同人誌の売買に用いられたという話もあるくらいだ。スタドリ経済圏は、ゲーム間どころかリアルの決済にまで到達したのだ。これを通貨と呼ばず何と呼ぼうか。

しかし今現在、スタドリは資産の保有として決して望ましくないアセットクラスと言えるだろう。

なぜか? 通貨の供給量が著しく多かったためだ。円とスタドリの実態レートを表すのは「1スタドリ=100円」の固定為替レートの公設市場ではなく、変動相場制が採用されているRMT市場の方を見るべきだ。

アイドルマスターシンデレラガールズがリリースされた直後の2012年1月ごろのRMT市場では、「1スタドリ=50円」程度の実勢相場だった。ところが半年後の7月頃には「1スタドリ=20円」程度のレートとなっていることが確認されている。ユーザーが減り、スタドリを求める者が減少したからというわけではない。むしろ2012年7月頃はピークに近いユーザー数であり、スタドリを求める者は多かった。それほど新規供給されるスタドリが多かったのだ。スタドリの供給はその後も断続的に続けられ、現在では「1スタドリ=5円」程度まで円高ドリ安が進行している。

円とスタドリの関係は、ちょうど、ビットコインと円の関係に似ているだろう。数量を増やさなかったビットコインに対し、金融緩和を続けた円は価格を下げた。そしてその円以上に市場に供給されたのがスタドリだったというわけだ。

彼女は考えた。再びスタドリに資金を呼び込むにはどうすればよいか。

そして、新規にスタドリを供給することを一切停止することを宣言したのだ。

需給を絞るとともに、同時にRMTも解禁。円をスタドリに呼び込む体制を整えた。

スタドリによる価値の交換は、トレードにより即時に決済が終わるという送金速度が特徴だ。しかもこの通貨はゲーム内のトレード機能を利用したものなので、決済手数料が0円なのだ!

突如として目の前に現れた最高の仮想通貨……!

この資産に投資するために私のこれまでの成功はあったのかもしれない。忘れていた投資意欲が蘇る。開いた手が震える。目前の雲は晴れた。自分がやるべきこと、なすべきこと、ようやくここにきてわかった気がする。自分の信じる未来に賭ける。その未来が訪れるまで、今度は船から下りてはいけない。今度こそ握り続けるのだ!

価格の上昇が約束されたような彼女の施策に、投機マネーは即座に反応。スタドリの価格は急騰した。

通貨の強さを決めるのは、需要と供給。そして信用だ。彼女の賢かったのは、RMTをむしろ積極的に奨励することでドル、そして円への逃避がいつでも可能な資産であることを示したことだ。耳をすませば彼女の声が聴こえたはずだ。「争え……争え……」

急騰の初期段階から参加できたことで、私の資産はみるみるうちに100倍まで膨れ上がった。仮想通貨、そしてスタドリへの投資を通じて、ついに資産を当初の1万倍まで増やすことに成功したのだ。投資、あるいは投機。もはや今となってはどちらでも良いが、その面白さの本質は「自分の信じた未来」に対して賭けること。そのリターンが数字として答え合わせされるから面白いのだ。

「自分の信じた未来」が、正解だったと世界から示されること、それ以上に楽しいことがこの世に存在するだろうか。

ところで君自身は仮想通貨を所有しているだろうか?

持っている? 結構。しかし本当に君は仮想通貨の所有権を持っているのかと考えてみたことはあるか?

「通貨」なのだから我々はどうしても自分に所有権があるものだとイメージしてしまうが、仮想通貨は文字どおり「仮想」の通貨なので物体としての実態がない。そのため、そもそも有体物に対する権利である所有権の対象とはならない。

かのマウントゴックスに対する裁判においても「ビットコインは所有権の対象とならない」という判決が示されている。そのため、かの事件においては所有権に基づくビットコインの返還請求ではなく、「システムの適切な管理を怠ったこと」による損害賠償請求となっている。

そう、君は仮想通貨を所有していないのだ。強いていうなら、君が持っているのは売却した仮想通貨相当額の金銭を引き渡すよう請求できる債権という形になるだろうか。例えば銀行に預けている預金は君の銀行に対する債権だが、仮想通貨は「随時価値が変動し、保護されない」銀行預金というイメージを持つと近いかもしれない。

銀行の場合は破綻しても1000万円までは預金保護されるが、仮想通貨の場合はそれがないため、預ける先の信用はしっかりと考える必要があるだろうな。債権というのは自分がカネを貸しているようなものなのだから、借り手の支払能力を確認するのは当たり前のことだ。

ではスタドリはどうだろうか? 

我々は保有するスタドリに対してどのような権利を持っているのだろうか?

仮想通貨は有体物ではないので所有権の対象とはならないと話したが、スタドリも同様に有体物ではないので所有権の対象とはならない。一般社団法人日本オンラインゲーム協会が定める「オンラインゲームガイドライン」には次のように記載されている。

「課金方式を問わず、ゲームプレイでのデータ(キャラクターやアイテム、セーブデータ等)はオンラインゲーム提供企業の所有するサーバー上にあります。前述の課金方式によりゲームのサービス利用料金、あるいはデータの限定的なサービス利用権を販売しており、データ自体の所有権につきましてはお客様にはございません」

マウントゴックス事件で示された「所有権は有体物しか対象としない」という考え方からすると、妥当性の高い考え方といえるだろう。そう、我々はスタドリを保有しているのではない。「スタドリを使うことのできる権利」を保有しているのだ。

気がつくのが遅かったかもしれない。

最初から彼女は所有権など譲り渡してくれてなどいなかったことを。

我々が投入した円と交換にスタドリを引き渡していたのは彼女だった。彼女はスタドリの価値を高騰させたことで、スタドリを多額の円と交換。すべてのスタドリを引き渡したその時に、彼女がスタドリの価格を維持するインセンティブが消えてなくなるのだ。

まもなくアイドルマスターシンデレラガールズの運営の健全化の名目のもとに、RMTが禁止され、円やドルへの逃げ道が塞がれた。法定通貨に交換できない仮想通貨に乗せられた信用という名の価値はそのとき剥がれ落ち、スタドリはそれそのものが持つ本来の価値に戻ることを余儀なくされた。仮想通貨はなくならない。ただ円に換えられなくなるだけだ。

祭囃子が鳴り止んだとき、我々の円は彼女の元へ集まり、我々にスタドリが残された。今となってはこの仮想通貨スタドリにはどれほどの価値があるだろう。誰がこの仮想通貨を欲しがるだろうか。

まぁそれでもいいじゃないか。投機に踊り、今や夢破れた私たちの手元にはスタドリだけだ。ならば、残された者たちだけでこれからもスタドリで価値の交換を行い、仮想通貨の経済圏を広げることを再び夢見よう。

通貨の価値は信じる者だけのためにあるのだから。