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2045年のファイナルファンタジー7

(CM)
神羅カンパニーからミッドガル市民の皆様へお知らせです。
この先には『FINAL FANTASY Ⅶ  REMAKE』のシナリオへの言及があります。
物語を新鮮に楽しみたい皆様は、このままテレビの電源をお切りください。
神羅カンパニーは、市民の皆様の明るい生活と未来を応援しています。
(CM終わり)
 
(CM)
君は、クラウドを覚えているか? 
君にとって、今でもバレットは頼れる仲間か? 
君の選択は、星を救うことか? エアリスを救うことか?
ーー ファイナルファンタジー7 2045年12月 再始動...
(CM終わり)
 
2045年の今、3度目のFF7がリリースされようとしている。往年のファンを中心にネットスフィアは大盛りあがりだ。ゲームシステムはどうなるのか? どういう演出でミッドガルが描かれるのか? 今度はエアリスを助けられるのか?
 
不思議なことに、リメイク作というものは、それを遊んだことがなく全ての要素を新鮮に楽しむことのできるはずの新規ファンよりも、既に結末を知っているはずの既往プレイヤーの方に人気がある。
大河ドラマと似ているかもしれない。明智光秀山崎の戦いで破れ、落ち武者狩りにあって殺される結末を知っているにも関わらず、人々は光秀の物語に興味があるし、光秀は家康の側近「天海」となって江戸時代まで活躍したというifまでも楽しんでいる。なぜだろうか。
 
それを語るには、少し昔話をさせてほしい。
 

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前作である2度目のFF7がリリースされたのは、ちょうど今から25年前にあたる2020年だった。
 
FINAL FANTASY Ⅶ  REMAKE』(以下「FF7R」)と銘打たれた同作は、初めてFF7をプレイする層を取り込みつつも、特に原作をプレイしたファンを中心に盛り上がりを見せた。人が生きる限り歳をとるならば、ファイナルファンタジーというブランドも少しずつ歳をとるということだ。
 
FF7Rのシナリオは、オリジナルのFF7の存在を前提として書かれている。
オリジナルのFF7には存在しない「フィーラー」という存在が登場し、FF7Rの歴史が原作の「正史」から外れることのないように導いていく。当然FF7Rに登場するクラウドたちは正史などという存在を知っているわけがないから、フィーラーたちの行動のワケがわからない。
では、なぜそもそもシナリオで「正史」を匂わせる必要があるのか。それは「正史」を知っている人間がここにいるからだ。クラウドではない。正史を知っているのは、画面の前のプレイヤー、そう、あなたのことだ。
 
ミッドガルからの脱出シーン、一本道の高速道路でエアリスは「ここ、分かれ道だから。運命の分かれ道」と言う。ここがなぜ分岐点になるのか、知っているのはクラウドではない。プレイヤーだ。ここで分岐を選ばなければ、エアリスはセフィロスに殺され、ホーリーはメテオを防ぎ、星の未来は守られることをプレイヤーは知っている。
しかし、エアリスはクラウドを通じて、ここから「正史」と異なる未来を選択できることを画面の向こうのプレイヤーに提示している。
 
そしてセフィロスだ。FF7Rの最終決戦において、セフィロスクラウドと剣を結びながら「覚えているか?」「懐かしくはないか?」と呼びかける。当然背景に流れるのは「片翼の天使」だ。しかも、序盤の強めのアレンジから徐々にオリジナルの曲調に寄せてくる遷移は聞き手の心情を読み尽くしているとしか思えないほどで、曲を聞きながら必ずこう思うはずだ。「覚えていないわけがないだろうが…」
セフィロスもまた、クラウドを通じてプレイヤーに対して話しかけている。
 

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2020年から更に遡ること23年。1997年に発売されたオリジナルの『FINAL FANTASY Ⅶ』は日本では約400万本もの販売本数を記録し、多くの若者、子どもたちに遊ばれた。それから23年が経っても、その体験は彼らの人生の一部であり、中盤でエアリスが離脱して驚いた思い出であり、セフィロスがカウンターのマテリア一撃で死んで笑った経験であり、早く先のシナリオを見たくてダッシュで家に帰った記憶なのだ。
 
「懐かしくはないか?」という言葉は、セフィロスの声を借りて発された1997年からの声だ。
23年の歳月の有無によって、この言葉の重みは全く違う。クラウドがフィーラーを打ち破る文脈も「正史」の知識がシナリオの前提となっており、FF7Rは明らかに1997年を通過してきたプレイヤーの方が楽しめるように作られている。
 
さて、このまま2023年にPS5で発売されたFF7Rの完結作についても語りたいところだが、長くなってしまったので昔話はここまでにしよう。
 
 
話を2045年に戻す。
 
わざわざ25年前の話をした理由は、「リメイク作は、当初の顧客に接着し続けていく」ということを伝えたかったからだ。
今作『FINAL FANTASY 7』は、前作のFF7Rとは全く違う演出・シナリオを展開することを伝えるために、あえてオリジナルの『FINAL FANTASY 7』と同名のタイトルとして発売される予定だ。以下、オリジナルと混同するので本作を『FFⅦ 2045』と記載する。
 
FFⅦ 2045』の発売元であるスクエニカプコン(SEC)の広報担当はこう語る。
「もちろん若い方々に新たに『FFⅦ2045』の世界を体験してもらうことも期待していますが、今作のメインターゲットはオリジナルのFF7やFF7Rを遊んだ40代以上の層を想定しています。オリジナル、FF7Rと遊んできた方々に、昔の良かったところはそのままに、新たな解釈での神羅アバランチ、ミッドガル、そしてクラウドたちの物語を体験してもらおうと考えています」
 
ゲームを遊んでいた子どもたちが大人になり、中年になり、ゲームの顧客層の年齢層が上にシフトしたことで、「中高年層」という新たな市場が誕生した。そして、彼らをターゲットとしたゲーム群が生まれ、それらは(若者からは揶揄する意味も込めて)「時代劇もの」と呼ばれた。
「時代劇もの」とは、リピーター層を支持基盤とするリメイク作のことだ。
 
リメイク作が「時代劇もの」と呼ばれたのには理由がある。
 
ゲームとは言え、過去に描写され、存在した世界設定やキャラクターである。それら過去の舞台装置を現代に再びフィクション化することは、ちょうど時代劇をやることに似ていたからだ。しかし、「時代劇もの」といえど、単純に過去作をそのまま再現しただけでは面白くない。今のテクノロジーでの映像技術や違う切り口でのシナリオ解釈によって味付けすることで、新たな作品として昇華して、はじめてプレイヤーに満足を提供することができる。映像作品の「関ヶ原」が作られるたびに、シナリオや演出を変えて提供されるのと同じことだ。
関ヶ原」は、歴史としての関ヶ原の戦いを知らなくとも楽しむことができるが、東軍が西軍を打ち負かすという大筋と、その中の小早川秀秋の裏切りや大谷吉継の奮闘を知っていればより楽しさが増す。時代劇とは、過去に得た知識の文脈の延長線上にあるエンターテイメントだ。
 
同様の楽しみはゲームにも生まれた。ファイナルファンタジーのみならず、2030年にはクロノ・トリガーのリメイク、2032年ゼノギアスのリメイクが作られ、新時代の演出が付け加えられて大ヒットしたことを覚えておられる方もいるのではないだろうか。それらの主要購入顧客層は40~50代の中年世代だった。
もちろん原作を大幅に改変したシナリオにより物議を醸したこともあった。だが、織田信長が本能寺で逃げ延びた歴史のifを描いてもいいように、原作のシナリオに従うだけがリメイクではない。時代劇に大事なのは皆が同じ文脈で共有している舞台装置を使うことであって、ゼノギアスのリメイクに不満であれば、同じ舞台装置を使って別のリメイクを作ってもよいのだ。
そして、脈々と続いたゲームの時代劇化の流れの中に『FFⅦ 2045』のリリースは位置づけられるだろう。
 
日本初の職業映画監督であり、日本映画の父と呼ばれた牧野省三は、映画製作の三要素として「1.スジ(シナリオ) 2.ヌケ(映像技術)、3.ドウサ(演技)」を掲げた。これはゲームにおいてもリメイクの観点としても使うことができる。シナリオを変えるか、新しい映像技術により演出を変えるか、キャラクターの描き方を変えるか、そこに演出における工夫の余地がある。
 
FFⅦ 2045』を、牧野省三の映画製作三要素を借りて順番にチェックしていこう。詳細は明らかにされていないものの、シナリオ面では神羅カンパニーの特殊工作員タークスにスポットを当てるストーリーが考えられているという。また、技術面ではVisionEyeに対応しており、より強いミッドガルへの没入感を体験できるということだ。キャラクターも、他人への目線の向け方が人によって違うなど、「無意識のレベルでのリアリティ」に力を入れているとのことだ。
 
FFⅦ 2045』は、FF7Rよりもオリジナルに似ていると考えられているが、シナリオ上で起きる出来事が同じだったとしても、その間はミッシングリンクであり、出来事と出来事を繋ぐイベントを描くことは演出の自由だ。
特に、タークスの出番が多そうだと示唆されていることで、過去作よりもイリーナの描写に掘り下げがされるのではないかと期待されている。「美人でおっちょこちょい」なイリーナは、第4のヒロインとなれるポテンシャルを秘めていると一部のファンは大盛りあがりだ。
しかし、昔には考えられないことだったが、彼らファンの主要な年齢層は40代を超えている。
 
かつて、中高年層向けには、ゲームはボケ防止や健康維持などのヘルスケアとして機能することになるだろうと考えられていた。
 
それも間違いではない。が、それ以上に彼らは「物語」を求めたのである。
彼らはクラウドのこともエアリスのこともセフィロスのことも知っているし、原作で彼らがどんな運命を辿ったのかも知っている。
それでも新たに作られる『FFⅦ 2045』でのティファやエアリスのデザインがどうなるのか彼らは楽しみにしているし、イリーナの掘り下げた描写にも期待している。そして、ゴールドソーサーではどんな遊びが提供されるのかワクワクしているし、セフィロスと再び戦えることを待ち望んでいる。
 
そして『FFⅦ 2045』で初めてFF7に触れたプレイヤーは、『FFⅦ 2070』のリリースを楽しみに待つ日が来るかもしれない。
 
時代劇は死なず。ただデジタルに形を変えるだけだ。