もう一度袁紹に叱られたい
孤独というのはそれ単体で見ると悪いものではないですが、こと「集団の中での孤独」となると途端に寂しさを感じたり、居場所がなくて落ち着かない感覚になることがあります。人間は一人だから孤独になるのではなく、周りに自分以外の人がいてはじめて孤独を感じるのです。
その点でいうと、三國無双8はただひたすら孤独なゲームです。とにかく一人で静かで救われています。
プレイヤーが選択した武将はただひたすら馬に乗って広い中華の野をかけ、崖を登り、気が向いたら戦場に乱入し、最後は敵城に単騎で乗り込んで敵将を暗殺します。
味方は放っておくと進軍せず、またプレイヤーが戦場を放ったらかしてオープンワールドの広い世界を旅していても総大将が負けるようなこともありません。というかそもそも敵は攻めてきません。
味方はプレイヤーが進路の敵を倒すまで道端で敵とじゃれているだけですし、プレイヤーが順に敵を倒していって味方の進路を開けてやると嫌々進軍していきますが、何とか敵城門前まで誘導してプレイヤーが城門を開けても城外でじっとしていて攻め込む素振りも見せない有様。
ここまでくると、もはやこいつら本当に城を落とすつもりあるのか?と感じますが、おそらくないのでしょう。城を落としたいと思っているのはプレイヤーのみ。城外の敵を一掃しても城門が開かなかったりするので鉤爪で一人城壁をよじ登って侵入する必要があったりしますし、城門が開いたら開いたで味方は城になだれ込むこともなく場外からボーッと見守る中、プレイヤーが一人で突撃していき場内にひしめく敵兵を草刈りしていくのはもはや滑稽ですらあります。
味方からはおそらくこう陰口を叩かれているんじゃないでしょうか。
「あいつ何一人で必死になってんの?」
孤独だ…。
赤壁は今作の孤独の極地です。プレイヤーで使用する場合の曹操は一人で小舟に乗って呉の地に殴り込みますし、敵として攻めてくる曹操も大船団は対岸に停泊させたまま3人くらいの武将と僅かなお供で攻めてきます。しかし赤壁の戦いが雑兵に煽られた曹操が単騎突撃してきて負けた戦いだったとは衝撃の事実だったなぁ…。
たとえ船の上で水軍戦になっても敵は雑兵含めて10人程度。荒川でもんじゃ焼きが食べられる屋形船の方がまだ人が乗っています。
曹軍百万と言えども誰もついてきてくれない。孤独だ…。
ともあれ良いこともあります。
三國無双8はとにかく景色の綺麗なゲームです。いかにもな中華城壁の前に敵兵の大軍が並んでいる光景や、蜀の桟道なんかには確かにあの憧れた三国志の世界がそこにありますし、広い中国各地に景観の良い景勝地があって戦場と関係なしに山を登ったり城を眺めたりすることができます。それがゆえ、三国時代の古代中国を観光するゲームとして考えると、ほかに並び立つもののないほど素晴らしいゲームです。
君主とか戦場のことをすべて忘れて愛馬とともに中国全土を駆け回ってると、江陵がイメージより南にあったり、白馬がかなり洛陽の近くにあったり、長安と漢中がすぐそばにあって魏延が「直接長安攻めようぜ」と言った気持ちがわかったり、これまでコーエー三国志で見てきた中国のマップをよりリアルに感じることができます。
しかしこうやって地理を覚えていく感覚、どこかで覚えがあるような…。
そう、桃太郎電鉄だ。三國無双8をやると桃鉄やったあとに無駄に日本の地理に詳しくなって試験で役立つみたいな感じで中国の地理を覚えられます。
ここに我々は無双8はチャイニーズ桃鉄であることを発見するのです。
コンボ…士気…洛陽…曹操…全部忘れた…。ただ馬とともに中国全土を周り、観光を楽しもう…。
たまに人里に降りると「魏」とか「呉」とか旗を掲げた奴らが戦っている。あれは甘寧、確か同僚だった。私が戦場を捨てて中国全土を巡っていても相変わらず戦いは続いているし、誰も声をかけてはくれない。私がいてもいなくても世の中は回っている。
そうだ、私は孤独だった…。
おそらく一人の人間を集団の一員だと認識させるに足り得るために必要なのは「同じ目的」なのだと思いますが、三國無双8には「同じ目的」のために頑張る仲間が誰もいないのですよね。
同じ場所で戦っていても、味方は「本当にこいつら同じ目的を持った仲間なのか?」と思うくらいやる気なくて、プレイヤーは高校の文化祭で一人だけやたらやる気ある奴みたいになりますし、違う場所で戦ってても別ルートから味方が進軍していって「お前も頑張ってるな!」ってことは全くなくて、頑張ってるのは自分だけ。魏の五方面進行とか、結局全部自分で五方面回って敵を倒さないといけないのびっくりしたよ!ファストトラベル使って瞬間移動しながら五方面から攻めてくる奴、相手から見たら恐怖しかないだろ!
初期の三國無双は味方が自分の意志で進軍したり、または敗北したりして、自分は「三国時代の戦場で戦う組織のワンオブゼム」であることを感じることができたのが、今や敵にも味方にも目的や意志がなく、ただ自分一人で目の前の敵を倒していくだけの三国ファイナルファイトになっているため、無双からは三国時代の戦場の一員として戦っている感覚が失われてしまったのですよね。
そうしていつからかプレイヤーが好き勝手に振る舞っても注意してくれる人は、誰もいなくなってしまいました。
だってもはやプレイヤーは軍隊の組織の一員ではなく、一人なのだから。
組織に属するというのは、ある種の快感を体験させてくれます。
人の指示に従うのが好きな人もいるでしょうし、ゲームメーカーとなって仲間に成功させて局面を動かす楽しみも味わえます。
これは複数の人間の関係性があってはじめて体験できることであって、決して一人では味わうことのできない喜びなのです。
いつも開始直後でやられるあの武将が今回は粘って頑張ってるな!とか、張遼めっちゃつええ!一人で戦場を切り裂いている!とか、細けぇ注意ばかりしやがって袁紹うるせぇな!とかそういう関係性から生まれる感情はもはや生まれないのです。
指示をしたり怒ってくれるというのは、すなわち自分に対して関与をするつもりがあるということであり、嬉しいことなんですよね。だって自分を組織の一員として認めてくれているということだから…。
今や無双の世界では、敵の城に攻め込むのに誰もついてきてくれないし、戦場を捨てて山野を一人で駆け巡ってても誰も相手してくれないし、一人飛び出して軍の足並みを乱しても誰も怒ってくれない。プレイヤーと目的を同じくする人は誰もいない。誰もプレイヤーを同じ組織の一員と認識していない。誰もプレイヤーに興味がない。
孤独だ…。三国志の世界で孤独を味わいたかったわけじゃなく、ただ曹操の部下として、あるいは劉備の部下として、三国志の世界の組織の一員として仲間とともに戦いたかっただけなのに。
だからこそ、お前も同じ軍規のもとで戦う仲間なんだからルールに従えよ、とこの言葉で叱られるのがとても懐かしく思えるのです。
「出過ぎだぞ!自重せよ!」と。