当たり判定ゼロ

シューティング成分を多めに配合したゲームテキストサイトです

予想もしないから面白い

ゲーマーという人種はいつだってゲームに自由度を求めるし、報道の自由度に対する興味と比べ物にならないくらいゲームの自由度に興味を持っています。ロマサガとかもそうですけど「自由度が高い」はそれだけで褒め言葉として認識するし、ゲームにプレイヤーの意志が自由に反映できることが好きで好きで仕方がありません。
 
ゼルダBotWでもそうだったように、「こういうやり方でも解決できるんじゃないか」という挑戦を正解として認容してくれるのはプレイヤーに自由を感じさせるし、自分が考えたやり方に対して「こういう解法しかダメです」というのは、「3人のグループが5グループあります。合計何人いるでしょうか?」という問題に「5×3=15」と書いて「ダメです。3×5=15と書きましょう」と言われるような息苦しさに近い。「どっちでもいいよ、正解。頑張ったね」と言われたい。細かい理屈は置いておいて。
 

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そういう点から言うと、レッド・デッド・リデンプション2では、例えば「その辺に歩いている人を縄で縛って焚き火に投げ込んだら燃えるのかな?」という素朴な疑問を実行してみたら、焚き火は食料を作るためだけのものじゃないことを教えてくれるし、「犯罪の目撃者をワニに食べてもらおう」というアイディアに対してワニはバッチリ答えてくれます。釣りがしたいなと思い立ったら、川を進んでいるボートに岸から投げ縄を放ることで人を釣ることもできます。
もちろんストーリーはあるので、ミッション中に仲間の主要キャラクターを殺したりしたりすることはできませんが、オープンワールド部分においてはプレイヤーの工夫に答える自由を感じさせてくれます。なんと懐の広い。
 
そんなゲームのオンライン化なのに、レッドデッドオンライン、いわゆるRDOはひたすら淡白。現状のオンラインモードはオープンβなので、GTA5がそうであったように、まずは広いサンドボックスを置いておき、徐々にイベントを作って埋めていくという流れなんじゃないかと思いますが、ただでさえ広大なRDR2本編マップのなかに僅かに点在するミッションを回るという、広い宇宙で惑星巡りをするという移動メインのゲームになっていて、ナメック星に向かう途中の悟空もこんな感じで暇だったから高重力室で特訓してたんじゃないかと思うくらい。
あと、市街地怖い。現状銃弾ぶっ放して遊ぶくらいしかすることがないから、動物の毛皮とか仕入れて街に降りてきたらひっきりなしに街のどこかから銃声が聞こえてきて怖い。保安官も機能してないし、治安悪すぎてシリアかよってなる。人が近づいてくるとドキドキする。
 
もちろんオープンβなので遊べるだけありがたいレベルなのですが、しかし、現状でもRDOには一ついいところがあります。
 

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RDOのミッションはいずれも最大4人までが同時に参加する形となっていて、シナリオの結末は多数決で決定されます。
有名なのが、縄で捕らえた強盗を依頼主の要請に応じて線路の上に並べた後、強盗たちの命乞いに応じて助けるか否かという選択。もちろん「始末する」を選択すると強盗は全員列車に轢かれて死ぬし、「助ける」を選択して列車が来るまでに縄を解けば強盗たちの命は助かる。RDO式トロッコ問題。
 
決定は多数決なので、つまるところこれは「自分の意志が確実にゲームの決定に反映されない」状態となります。これは社会です。
 
「人生の生きる楽しみは何か」という問いに対しては「自分が予想もしなかった何かが起こるのを見て楽しむこと」という一つの答えがあるのですが、「自分が予想もしなかった何か」はいつだって自分じゃなくて他人が起こすので、だからこそ社会が必要だというのがあります。
逆に言えば、そこに社会があるのならば、それは楽しいに決まってるじゃないですか。
 

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他のミッションで、無法者を捕らえて警察に引き渡してほしいという依頼があるのですが、無法者からは「俺の死体を別に仕立てよう。俺は自由を、お前は大金を手にする」と取引を持ちかけられます。
ランダムマッチングの4人で構成された我々ギャングはもちろん「見逃す代わりに大金をよこせ」と全会一致で可決。こいつら気が合うな。
 

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早速無法者を馬に乗せて宝の隠し場所に案内してもらう一行。

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そして無事隠された宝を入手。無法者は助けられた礼を述べ、去っていこうとします。
じゃあな、次は捕まらないように元気でやれよ。
 
がっ……駄目っ……!!
仲間の一人がいきなり銃を取り出し発砲!無法者を射殺っ……!
取引しておきながら射殺……!
 
さらに命の抜けがらとなり地面に崩れ落ちた死体を蹴り出す始末。なんというクズ……!
そうだった、ここは無法の荒野。まぁそういう選択肢もあるよな、と思ったところ、その仲間は無法者の死体を馬に乗せ、そのまま警察署長のところに駆け出した。
 

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 なるほど。無法者から大金をせしめてから殺して警察に届けることで、無法者と警察から報酬を両取りするのか。何という悪魔の発想……!
 
これこそまさに「自分が予想もしなかった何かが起こるのを見て楽しむこと」と言えましょう。これだけでオンラインを実装された価値は十分にあった。
思えば、モバマスキャラゲーとしてではなく、単にネットゲームとしての側面で見たときにピークを迎えたのは、初のアイドルマスターの称号を得たユーザーの詐欺がバレた結果、プロデューサーみんなで彼にLIVEバトルを仕掛けたアイドルマスター討伐戦レイドバトルのときでしたし、ああいう事件という形で伝説に残すことができるのは、その善悪は抜きにして、やはりゲームシステムではなく人間そのものの機能が必要でしょう。
 
最近のゲームでネット事件簿が生まれづらくなっているのは、オンラインゲームの自由度低下との関係があるんじゃないかと思いますが、「無法者の社会」というシナリオ背景があるが故に悪人PCプレイヤーの登場が許されがちなRDOのプレイヤーの振る舞いは楽しみなところありますね。
 

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しかしRDR2はシナリオが震えるよな…。
どうしてもダッチギャングの斜陽を描くストーリーなので、後半は取り返しがつかないほどギャングの人間関係がボロボロになってしまうけど、それを踏まえて2章3章あたりを改めて見てみると、全員元気で列車強盗やったり酒場で酔っ払って暴れたりしてるときの楽しさが泣けてくる。
 
この「失われてしまうことがわかっている幸福」をリプレイするのって、ベルセルクの黄金時代を読み返してるときの感覚に近いけど、なくなってしまう悲しみがダメなんじゃなくて、悲しみあってこその幸せなんだよな。エアリスはやはり死なねばならんのだ。
 

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特にジャックを助けにダッチギャングがブレイスウェイト家に乗り込んでいくシーン最高すぎるので、そりゃあジョルノ・ジョバァーナギャングスターに憧れるようになりますわと思うなどしました。