死んだらムラサキをもう一度遊びたい
「完璧」とは何だろう。
思えば世の中に完璧なんてものはないのかもしれません。『メジャー パーフェクトクローザー』は完璧どころか野球部分すら怪しかったですし、かつてキン肉マンは、完璧超人のタッグであるヘル・ミッショネルズ戦で「おまえたちもようやくわかったろうぜ、この世の中に完璧などというものがないことが―っ!!」と言っていました。ゆでがキン肉マンにそこまで言わせるのならそうなのかな、と思わなくもないですが、果たしてそうなのでしょうか。 辞書で「完璧」を調べるとこうあります。
①欠点が少しもないこと、完全無欠
②カタテマ作『ムラサキ』
ムラサキ!! えらく具体的に書いてますね。お手元の辞書もぜひ開いてみてください。必ず書いてあるはずです。
『ムラサキ』は一言で言うと調和のゲーム。断片的に見せられる設定、登場するキャラクター、音楽、すべては5面のラストバトルのために準備されたもので、ラストバトルを戦いながら、プレイヤーはすべての収束を1点で回収することになります。プレイヤーがすべてを終えたとき、そこには一切食べ残しのないキレイなお皿があって、「完璧……」というため息以外何も出てこないことでしょう。「いつかあの場所で」の楽器が1つずつ増えていく演出、良さみしかない……。
この完璧なゲームに何か刺激を与えるとどこか危ういところで成り立ったバランスが崩れて完璧が完璧じゃなくなってしまうんじゃないか、砂で作ったお城は消えてしまうんじゃないかみたいに思わせられるあまりの調和の取れっぷりに、続編が出るなんて考えてもみなかったですけど、ムラサキの続編ですよ、続編。そんな幸せなことがあっていいはずが……。
あった!!! ムラサキ劍!!!!
システムは『ムラサキ』同様、ショットは1発しか打てず、赤や青のブロックに弾をぶつけてビリヤードのように連鎖させ、爆発させるゲームです。
たとえばこの画面だと、左にある青いブロックを中心から左あたりの場所で一発打てばビリヤードみたいに玉突きで上にあるブロックとぶつかっていったあと連鎖爆発起こして敵弾も敵も全部消えます。ブロックは時間の経過とともに湧いてくるので、ポイントを見極めてショットを発射、連鎖、爆発、楽しい!
前作と異なるのは、赤や青のブロック自体に当たり判定がなくなって敵弾だけに気をつければ良くなった点と、ブロックの色の種類が基本赤と青だけになってシンプル化した点ですかね。おかげで、本来連鎖を作る材料であるはずのブロックに当たって死ぬこともないし、ブロックの色が少ないので連鎖が作りやすい。
ゲームって続編になると前作のシステムに要素を付加して複雑になるパターンのほうが多いと思うんですけど、削ってシンプルになるケースって珍しい気がしますね。ブロックの当たり判定がなくなったことは、快適に遊べる一方で、ムラサキ特有の「考える要素」が減った気もするので好みの世界はあるかも。
連鎖が心地よいパズル感は『いりす症候群』をベースにしているような面もあり、カタテマお得意の分野ですが、『ムラサキ』はSTGにしてはショットを打つタイミングを図れるような時間がゆっくりと流れるゲームだけに、「今タイミングミスったな」という後悔する余地の大きいゲームです。
成功したか失敗したかすぐに教えてくれるのはゲームの素晴らしいところです。それに、良いゲームというのは、自分の選択に責任を持たせてくれること、そして失敗に気づかせてくれるゲームのことだと、亡くなったうちの犬も言っていました。
条件を満たすと徐々に解除されていくエピソード集も継続。「設定見てるだけで泣く」とさえ言われる不条理な内容が淡々とした文体で表現されるコレクション要素はムラサキのもう一つの本体。
いや文章一本でこれだけ実績解除に駆り立てる力すごくないですか。これ退屈な文章書かれてたらコレクション要素の欠片もないんですけど、2バイトの文字の積み重ね見るためだけに実績解除させるてつさんの筆力恐るべしですよ。あまりにも全部読みたいので『ムラサキ』も『ムラサキ劍』も泣きながらフルコンプした。前作の6面のお姉ちゃん戦やりすぎてツギハギプリンセスが頭から鳴り止まなくなったぞ。何回聞いても飽きないめっちゃいい曲で良かった!
ちなみに3面でライフ全開でボス前まで行くと、デカい魚が通り過ぎって行ったあたりで、画面端に海浬か沙月でいずれか選択しなかった方のキャラが出てきて会話が始まる隠し要素があります。前兆なしに唐突に始まるので注意。
実はここの会話がエンディングでの沙月のある発言に繋がってたりするので、そういう裏設定的な流れに意味を感じちゃう人は見といたほうが良いです。
昔、ファミ通の編集長やってたときの浜村通信が「君はファイアーエムブレムをやったことがあるか? なければ君は幸せだ。これからファイアーエムブレムを体験することができるのだから」と書いてたのが印象に残ってるんですけど、人間一度経験すると「知ってしまう」というデメリットがあって同じ体験に対してどうしても感動値が落ちてしまうという欠点があるのですよね。
「覚える」という能力は種が生存するのに最適であれど、生存が確定的な世の中で生を楽しむには最適ではない。ですので、正直言うと、どうしてもムラサキで初回に最後までたどり着いたときほどの心の震えはムラサキ劍に感じることはできないところがあったんですけど、それはゲームに問題があるのではなく、人間に問題があるのですよね。
人間が年をとるというのは、楽しみのパターンを経験して埋めていくことで、自分が楽しみを感じる要素を潰していく性質があって、それが故に年をとると心を震わされる機会がだんだん減っていって、不感症になってしまうのではないですかね。だから多分、人間が不老不死を得てもそれはきっと楽しみのない地獄。ならば死ぬことですべてを忘れて輪廻転生できるというワンチャンに期待して、あの楽しみをもう一度最初から体験できることに賭けてしまうような気もします。 あるいは人類は既に一度不老不死を手に入れたあと、それに不満を感じて輪廻転生の技術を開発した結果、すべてを忘れて我々がここにいるのかもしれません。だとすると先祖に感謝しなければなりません。
もしムラサキをやっていないなら幸せだ。あなたはムラサキをこれから体験することができるのだから。