当たり判定ゼロ

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ビルゲンワースの月の意味は

ときに仮想現実は現実を上回る魅力を持つことがあります。

「二次元より優れた三次元などいねぇ!」とジャギだって言っていたような気もしますし、げんしけんに憧れて現代視覚文化研究会を作ったところで、訪れるのは期待外れの未来だけのような気もします。想像上の現実は、いつだってホンモノの現実より美しい。

最近ブラッドボーンばっかやってんすけどね。ソウルシリーズらしいシビアなゲームバランスにばかり目を奪われがちですが、実際ゲームオーバーになったときの「Bloodborne」という文字列を白目で眺め続けたおかげで、こうして「Bloodborne」という文字列を検索もせずに書けるようになったりと教育に良い点もたくさんあります。それまではブラッドボーンと言われると「Bloodbone」と想像して、「血と骨……クールなタイトルじゃねぇか」と思ったり、「マジックザギャザリングの『灰は灰に、塵は塵に』みたいなものかな?」と思ったりしていましたが、おかげさまでだいぶ知性が進化しました。

ほかにも星の娘エーブリエタースたんという萌えキャラが登場したり、赤いリボンを付けた小さな女の子を安全な場所に案内してあげるイベントがあるなど、登場人物も魅力的で、最近の萌え豚にも安心して遊べる仕様になっています。

ブラッドボーンは近年のゲームでも抜群に景色の美しいゲームです。特にビルゲンワースの湖面に映える月に、ゲームの手を止めた人は多いのではないでしょうか。

「I love you」を「月がきれいですね」と訳したのは夏目漱石だそうですが、ゲームの文脈においてだいたい死闘が始まるフラグである「月がきれいですね」は「I kill you」という意味合いになります。この月はまさにフロムゲーを象徴する配剤と言えましょう。

ヤーナムの美しい世界は一種の観光体験です。

叫び声や悲鳴が飛び交う石造りの美しい街並みを歩けば「あぁ別にヨーロッパ行かなくていいや」と興味が充足されますし、巨大ネズミが徘徊する汚い下水道を歩けば「マンホールの下、気になってたけど別に降りなくていいや」と諦めもつきますし、いずれ現実の外に興味がなくなって引きこもりがちになってしまいます。ヤーナムにかぎらずゲームの景色は現実の上位互換になりつつあります。実に美しい。外歩いてても写真を取ることはあまりありませんが、PS4ではボタンひとつで簡単にスクリーンショットが撮れることを神に感謝したくなります。

そもそもテクノロジーとは旧来の現実を書き換え、新しい現実を作っていくものであって、仮想現実の技術だけでなく、例えば将棋でもプロ棋士に匹敵するコンピューターが出現しつつありますし、いずれはアンドロイドが100mを5.0秒で駆け抜け、200km/hの直球を250mのホームランで打ち返し、360ヤードのホールでホールインワンを決める未来が訪れることでしょう。

ただそれが幸せをもたらすものかと言えばそうではありません。

ロボットが自分の仕事を代わってくれて遊んで暮らせる未来を夢見た作業労働者を見てみると、確かに単純作業は労働者からロボットに移譲されましたが、ロボットの所有権は資本家にあったため、結局労働者が労働から得ていた対価を資本家が払わなくて良くなっただけというカネの流れが変わっただけで、かわいそうな労働者は生きていくために「人間らしい付加価値」のある他の仕事を探さざるを得ませんでした。働くという行為自体からは逃げられなかったのです。

ヤーナムの景色がどれだけ美しくとも、現実の労働者の毎日は変わりません。

そして彼は今夜も残業帰りにひとりプラットフォームに立ち、空を見上げて言うのです。

月がきれいですね」