当たり判定ゼロ

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リメイクか? アーカイブか?

最近、国から難病指定されている突発性ジルオールやりたくなる病にかかり苦しんでいますが、困ったことになぜか内容をサッパリ覚えていません。何となく面白かったという印象以外、何もかも忘れてしまっているのです。

そもそも「忘れる」ということについて考えてみると、生きるということは忘れることと言っても過言ではありません。

なぜオタがアニメの円盤を買うのかといえば、内容を忘れてしまうからですし、なぜ上司が「そんなこと聞いていない」というかと言えば、報告したことを忘れているからですし、なぜ晩ごはんを2回食べるかというと、さっき食べたことを忘れているからです。私も忘れっぽいところがあるので、なぜ自分が生きているのか理由を忘れてしまいました。せいぜい覚えているのはドラグ・スレイブの詠唱か、セレスティアルスターの詠唱くらいなものです。永遠に儚く。

そのような特性を人間が持っているからこそ、悲惨な事件をいつまでも忘れないでいるために、そして悲劇を繰り返さないようにするために、記念碑を作って目に見える形で残すのは大切なことなのです。

歴史に残るような偉い人が自らの銅像を建てて、いつまでも人々が自分のことを忘れないでいてくれるように計らうのも、「人間は忘れる生き物である」ということをよく理解しているためです。権力者が銅像を建てるのは、ただ権勢を誇示するだけではなく実利的な意味があったのですね。

逆に言えば、人々に自分のことを覚えてもらおうと思えば銅像を建てるのが一番ということです。場合によっては「銅像になるくらいだから偉い人なのかな?」と思ってもらえるメリットも得られます。

銅像というのは議員になってから建てるものだという先入観もありますが、歴史から学んだ賢者は、反対にむしろ銅像を建てることこそが議員への近道ということを知っているのです。ウソだと思うならぜひ一度試してみてください。待ち合わせの目印にもなるのでみんな喜びます。

「面白さ」というものが普遍的な価値観であるならば、10年に一度ドラクエやFFにザオリクがかけられてリメイクとして蘇るのも、群体としての人類が後世に価値を残していこうとする自然な行動なのかもしれません。

名作として名高いドラクエ3やFF3の価値は、普遍的なものとして人類の歴史の中で繰り返しリメイクされ続け、永遠の消費に耐えたのち、概念としての生を得るのでしょう。一度リメイクの輪廻サイクルに乗ったドラクエ3は、プレステ64の時代も、プレステ14851の時代も変わらず人々から愛され続けたのです。

やがてドラクエ3を作り続けることだけで生計を立てる芸術家の一族も現れました。

「貴方たちはいつからドラクエ3を…?」

「さぁ……わかりません。私の父も、私の祖父も、その前の代も、ずっと……」

しかし、あるとき彼らの中で争いが起きました。最初は兵士たちが「来週には帰るよ」と言って出陣するような小さな諍いでしたが、争いの炎は次第に勢いを強め、やがて天高く燃え上がった炎は星の海を貫き、恒星間戦争が勃発します。

その時代時代の良さを織り込んで復活させれば良いのではないかとするリメイク派(左翼)、FCの原典こそが唯一のドラクエ3であるとして完全移植しか許さないアーカイブ派(右翼)、とにかく争いはやめて仲良くして欲しい派(中翼)。リメイクか? アーカイブか? 相容れない彼らの主張に好み以外の答えはなく、戦争は泥沼化の一途を辿りました。

1年続いた争いに両陣営の国力は疲弊し、国民には厭戦気分が蔓延しました。ついには、シャアがアクシズを地球に落とし損ねたことをきっかけに戦いは終わりを告げ、両陣営の人々は愚かな過ちを再び繰り返さぬよう、FCドラクエ3のカセットを模した精巧な銅像を国民広場に建設し、年に一度の祭りを続けていくことでこの事件を歴史から風化させないように計らいました。

それから10万年後。

10万回繰り返された、年に一度の祭りの風習のみが伝統として残り、ドラクエ3自体は人々の記憶から風化していきました。しかし銅像を見た人たちはみな一様にこう思いました。「銅像になるくらいなのだから面白いゲームなのかな?」

すでにその時代にはソフトとして失われて久しいドラクエ3でしたが、学者たちによって復元プロジェクトが結成されました。その道は険しいものでしたが、学者たちは大いに悩み、考え、苦しみ、ついにはドラクエ3を現代に復元させることに成功したのです。学者たちが復元したドラクエ3はプレステ9000Σに移植され、人々は大いに楽しみました。「面白さ」の概念はいつまでも不滅だったのです。

ですのでこの作り話から得られる教訓は、好きなゲームをリメイクしてもらおうと思えば、銅像を建てるのが近道であるということなのです。ウソだと思うならぜひ一度試してみてください。

いやいや、そうおっしゃらずに。どうぞどうぞ。