当たり判定ゼロ

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モゲマス格差社会 ~安いアイドル、余るカネ~

いやー近頃めっきり安くなりましたね。デフレデフレで物が安く買えて良いっていうけど、こうも安くちゃ売る方の身にもなってみなって。えっ?何がって?やだなー、プロデューサーさん、アイドルですよ、アイドル!

今回の月末ガチャでの目玉アイドル[夜宴の白芙蓉]北条加蓮の価格は投入2,3日で700を切ってしまいましたが、値段が上がりがちなCool属性、単色強化、そして加蓮と三種の神器を抱えながらもこの価格帯をウロウロしているというのは、まさにこのデフレ時代を表す象徴的な相場ともいえるでしょう。

でもですよ、プロデューサーさん。お金がないわけじゃないと思うんです。円を飲み物に変える金融政策によって有史(二年前)以来、モゲマスの経済圏は緩和の舵取りを続けられてきました。万のスタドリを保有する資産家が次々と登場し、彼らはその多くをタンス預金として抱えています。アフリカに伝わる古い言葉では、こういった商流通が活性化されていない状態を「不景気」と呼ぶそうです。

滞留するカネは格差を硬直化します。古くからいたプロデューサーが多くの資産を滞留する一方、デフレにより若いプロデューサーが資産を稼ぐのは難しくなっています。今のあんたんは昔のあんたんより期待値が低く、若いプロデューサーがガチャチケであんたんする資産効率は下落しました。明日のスタドリは今日より高いのです。

資産階層の硬直化は、新規参入者の挑戦へのインセンティブを低下させ、その結果もたらされるのは社会全体の停滞です。

そもそもモゲマスは、その性質としてインフレがシステムにビルトインされており、性能のインフレ、相場のインフレとともにその成長を続けてきました。ガチャを回してもらうためには性能は上がり続ける必要がありますし、副産物として排出されたドリンクが通貨としてその流通量を増し続け、相場のインフレをもたらします。まるで高度成長期の日本のように、このインフレの両輪はしっかりと噛み合って数字を急激に伸ばし続けました。その結果、目玉アイドルの価格は当初300~400の相場から、イベント専用アイテムの登場もものともせず、わずか1年で1000に達する水準まで上昇。増え続けるユーザーと積み上がるドリンクを背景にこのまま相場は上がり続けるかのように思われました。しかし、永遠の成長なんて存在しないもの。高度成長を終えた経済はデフレ時代に突入し、700でやっとという現在を迎えます。

ではなぜ投資が減少し、資金が滞留するようになったのか。それは継続されたシステムがが自然現象としてもたらした民需の減少によるものと言えるでしょう。

例えば20万人が2000位を争うような状況よりも10万位が2000位を争うような状況の方が戦力となるアイドルを必要とする需要は弱まります。アクティブユーザーやランナーの実数はわかりませんが、数字の実勢から見るとピーク時からは相応の落ち込みがあるのではないかと推測することができます。また、過去のアイドルがパワー持ちに指定されることが増え、無理な投資を行う必要がなくなったことも要因としてあげられましょう。

金融政策としてスタドリをバラまいても、それが市場に十分流通されていないのが今のモゲマス経済を取り巻く実情ではないでしょうか。

金融政策は満足でも、それに応じた需要がなくては経済の活性化は導かれません。経済とはある種の実験のようなもので、現在の制度がもたらすものは現在の市場であることの答えが出たわけです。ちょうど方程式のXに数字を入れた答えを、我々は見たのです。

すなわち、ゲームシステムという制約上、自らブレイクスルーを生み出せない民需は現在の制度に最適化された行動をするだけですから、ビリヤードのブレイクショットは当局が打つ必要があります。

金融政策によるスタドリの総量のコントロールだけでなく、例えばインフレを引き起こして現在のバランスを崩してしまうリスクを負っても自らの身を切るような財政政策をあわせて行うことは成長の両輪となりえます。今のスタドリ1本の価値を薄め、投資が活性化するような経済を作れば、若いプロデューサーにもチャンスがあり、ますますゲームは発展することでしょう。具体的にはSRの濫造によって落ちたあんたんの価値を再び高めるための新しいランクの創設、性能インフレの加速、そもそものゲームシステム変更などが方向性の一例としてはあげられましょう。

当初綺麗なピラミッドを描いていたモゲマス経済の人口圏も、「○○○万人突破!」がリリースされる速度が落ちたことからもわかるように高齢化の一途をたどり、ピラミッドはその形を反対にしようとしています。

「資本家を殺せ!老人を殺せ!」をスローガンに既得権益者から資産を吐き出させるか、または相対的に価値を落としてしまうしか、先細りとなるであろう経済を救うすべは残されていないのではないかと思うのです。

リスクはありますが、恐れてはいけません。今日、リスクというと何やら怖そうな表現であるイメージがありますが、バーンスタインによれば「リスク」という言葉は、イタリア語で「勇気を持って挑戦する」という「リジカーレ」に由来するそうです。

何かを壊すのはとても怖いことですが、当局そして我々プロデューサーはそれを乗り越えてより良い未来を作るために挑戦する勇気を持ち合わせていると私は信じているのです。

(※)念のため申し添えますが、すべてゲームの話です