当たり判定ゼロ

シューティング成分を多めに配合したゲームテキストサイトです

ゲームのふりかけ

「タダより美味いメシはない」「空腹は最高のスパイス」という言葉にもあるように、人はモノそのものだけでなく、その時の気分や周辺情報も総合的に咀嚼した上で価値を判断する生き物です。私も先般スーパーに行った際、18時半であるにも関わらず30%オフのお弁当があったので思わず買ってしまったのですが、とても気分よく食べることができ、30%のシールが貼っていると貼っていないとでは段違いの美味しさに感じられました。このことに気がついてから、30%オフのシールを炊飯器に貼ってお米を炊くようにしているのですが、何だかありがたみを増して味が良くなったように思います。本当です。嘘だと思うなら皆さんも試してみてください。

シャネルやヴィトンなどのブランド物も、物品そのものではなく調味料である所有ステータスによって情報的に味付けがされて、それが価値となっています。前にどっかで言った気もしますが、極端な例だとミクロネシアのヤップ島では、石が通貨として使われていて、大きさや形に意味はなく、石貨の価値は、石がどのように運ばれてきたかというストーリーによって決められていたそうです。古来から情報味付けの価値がわかっている人々はいたということです。

奢りというスパイスでご飯が美味しく食べられるのならば、本来的に娯楽であるゲームにおいては、義務である労働や教育による味付けが可能です。普通に病欠とかで身に覚えがある人は多いと思いますが、本来やるべきことを投げ出して遊ぶゲームほど面白いものはありません。背徳感にゾクゾクする何だか変態的な感性は本来誰しも多かれ少なかれ持ち合わせているからこその結果ではないでしょうか。おそらくですが、投げ出すものが大きければ大きいほど快楽も大きくなるのです。何かを得るためには同じくらい失わなければならない、みたいな趣旨のことは錬金術士も言ってましたし。

あくなき快楽を追求しようとする人たちがいます。「美食家」というものは全てを投げ打って最高の食体験を追求する人たちと聞いていますが、ならば全てを投げ打って最高のゲーム体験を追求する「美ゲー家」という人たちが我々の知らないうちに存在する可能性があります。

「美ゲー家」たちにより構成された「美ゲー倶楽部」は、いつか投げ打つその日のために努力を続けた政治家・上場企業会社役員・投資家ら一定以上の収入、資産及び社会的地位を持ち合わせた人物にのみ入会が認められるハイソサエティーによる会です。

会員たちは、もっとも重要な外交交渉や商談があるタイミングを見計らってすっぽかし、ゲームを楽しみます。無知な第三者から、はた迷惑な行為に思われてしまうことも多々あり、今の地位を追われてしまう可能性は極めて高いものです。多くの人は尻込みをすることでしょう。しかし彼らはやるのです。最高のゲーム体験をするために、日米首脳会談をすっぽかす。なんと気高い行為でありましょうか。

「こ、こんな面白いデスクリムゾンは味わったことない…。面白い…。ほんま面白い…。これに比べると昨日まで遊んでたデスクリムゾンはカスや…」

その威力ゆえに、ときに正しくない結論を導いてしまうこともありますが、何かを投げ出すことはやはりゲームの味付けとしては最高のものと言えるでしょう。ただ、投げ出すにしても要所でのみ行うようにすることはポイントだと思います。あまりに普段から投げ出してばかりいると先に親が匙を投げてくるので気をつけてください。