当たり判定ゼロ

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なぜオタはお正月になると絵を練習しますか?

プププー、次はDTMの勉強ですかー?

同人誌を買ってみるとわかるのだけれど、いわゆるデフォルメ絵で書かれた本は案外多かったりする。
休日の多い年始にクルクルと布団の中で同人本を読むという幸せを享受していると「あれ、これ練習したら自分にも描けるんじゃね?」という思春期特有の万能感を思い出したかのような錯覚が突如天啓のように下り、「おぉ!今回こそやるぜ~!やるぜ~!超やるぜ~!!」と意気込み、そのまま机に赴きペンを握ると死ぬ。確実に死ぬ。忘れた頃にまた絵の練習をしだしてその度に何度も死ぬ。なぜこんな簡単そうに見えるデフォルメが、目の前の紙だとバケモノになってしまうのか不思議で仕方がない。別に私はネクロマンサーではないのに。

私もかつては苦手は苦手なりに美術に一生懸命取り組んでいたこともあった。中学生のころ、美術の時間に直方体の石を配られて「彫刻刀で石を削ってあなたオリジナルの印鑑を作りなさい」という授業があった。直方体の小さい面を削って、印鑑にするのだそうだ。賢い私は、すぐに気がついた。これは罠だ。直方体を配るということは空間に気を配れということ。芸術とは、与えられた課題をやるものではない、一見したものに答えがあるのではない。「目の前のものに対して自分が何を表現できるのか」これこそが芸術の本質なのだ。今考えれば、義務教育の美術の時間にこのような深遠な問いを投げかけてくるなど、公立中学校の教師と思えない独創的な教育手法だったが、私がそれに気が付かないほどのアホの子ではなかったのは先生の油断といえる。

だいたい直方体である。空間的なアプローチをしろというテーマが見え見えではないか。そこで私はまず印鑑を作るという考えを放棄した。芸術とは、与えられた課題をこなすものではないということは既に明らかになったところだ。次にこの石を使って可能な表現を考えたが、だいたい私は美術が得意ではないし、彫刻刀を使うのも危ないので、適当に削って段差を作って「階段です」と言って提出した。その結果「印鑑を作れと言っただろうがボケ!」などと芸術性の発露が微塵も感じられない公務員上等なセリフを叫びだす始末。我ながら見事な階段の表現(しかも石なので美術館の階段っぽい)と思ったのだが、このように不当な評価をされた上に罵倒を加えられ、美術の成績はありがたいことに1をいただいた。初めて見た時はNo.1を意味しているのかと思ったが、どうもそうではなかったらしい。このように、美術のセンスは義務教育において習得するのも非常に難しく、絵師の人たちがどこで技術を身につけてきたのか不思議で仕方がない。

何の話だっけ。

ああそうそう、それで日本の美術教育に愛想を尽かして、オタ業界で成り上がるには次は音しかねぇなと冷静に判断してギターの練習を始めてみたけれど、結局のところギターは打楽器だなこりゃあ、ネック握って壁を殴ったらいい音するわギコハハハってけーねが言ってた。