当たり判定ゼロ

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東京ドームなんてないと信じてた

小学生の頃、「東京ドームホログラフィ説」が流行した。大阪の小学生は、生の東京像を知らない。それより「ホログラフィ」というカッコ良さそーな語感、テレビ局のインボーという冒険感が心のどこか奥底にある男の子回路を揺さぶった。したがって、それは強い説得力を伴って小学生たちに受け入れられた。いつの時代も子供たちは好奇心を餌にされると弱い。

「いや……さすがにあるやろ……東京ドーム」と意見したのは、確か渡辺君だったと思う。どこにでも判ったような口を利く奴がいるものだ。ゲーム雑誌を読んでゲームを遊んだ気になって、外国のニュースを見て世界を知った気になって、薄い本を読んでセックスを知った気になっている。それは全部紛いモノの体験なのに! そんなニセモノで何かを知った気になっている渡辺君はとても愚かで滑稽。だから私たちは反論した。「なんや!だったらお前東京ドーム見たんか!」「アホとちゃうか!」「証明してみろや!!ほら、さぁーん!にぃぃい!!・・・・・・」敗北を悟った渡辺君は東京に行ったことがないと白状した。そらみたか、やっぱり東京ドームはホログラフィなんだ! 聞きかじりの情報で真実を知った気になっている人間の愚昧は、こうして白日の元に晒された。

大学への入学を期に上京した私が、東京ドームを目にしたのは10年後。
驚いたことに渡辺君は正しかった。

XBLAの『RezHD』をプレイしてそんなことを思い出した。『RezHD』はとてもシンプルなゲームで、プレイヤーのやることは敵をロックオンして、レーザーを発射し破壊する、これだけだ。エースコンバットのようなフライトシミュレーターから、自機の操作をとり除いたようなものと思えばわかりやすいかもしれない。しかし、そのSF的な世界設定、抽象的な描画はプレイヤーに何かをわかったような気にさせてくれる。ただ一体何がわかるのかは私は知らない。

大人は「知らない」を許さない。「想定外でした」なんて言ったら怒られるし、テレビではコメンテーターが専門外のことでも知ったような口を利いてその場を誤魔化している。笑点桂歌丸からお題を出された林家木久扇が「いや、それ詳しくないんで…」なんて答えを返そうものなら、山田君が全ての座布団を没収する。何でも知ったかぶらなければならない笑点は大人の社会を象徴している。見たことのない東京ドームを、さも見てきたかのように語る渡辺君は一足先に大人だった。

火星や死後の世界をさも見てきたかのように語る人がいる。一笑に付すのは簡単だが、この話は東京ドームの話の構図と同じなのだ。東京ドームが実は存在したように、火星人や霊界人が存在するのかもしれない。いや、むしろ存在するような気さえしてきた。専門家の知ったかぶった話に「フンフン」と頷くのは大人の世界のルールなのだ。ほら、妖精さんはそこにいる。