当たり判定ゼロ

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ゲームの感想2021

今年もゲームの話をする時間だ!
遊んだゲームをザックリ語っていくぞ。カッコ内は遊んだプラットフォームで、リンク貼ってるやつは個別に記事書いたやつです。
 

One Step From EdenPS4

当然ながらゲームというものは人により合う合わないがあるものだけど、これほど合うゲームも珍しいというくらい刺さった。Slay the Spireのデッキ構築とロックマンエグゼを組み合わせてスピード感を足したようなゲームで、ツモ順を考えながら横シューをやっているような感覚でとにかく脳が忙しい。ところが、あまり疲れない。自分はSlay the Spireを「考えている気分にさせる考えさせないゲーム」と思っているけど、速度を上げながらもそのDNAを完全に引き継いでいるゲーム。
 

Minoria(PS4

モモドラ作ったクリエイターさんの新作で、概ねモモドラと同じ方向性で作られている。一言で言えばメトロイドヴァニアであって、モモドラの方がフィールドが広大で探索感はあって、ミノリアの方がキャラクターとの距離が近くてアクションに迫力がある感じ。美少女シスターを操作して剣振り回してるだけで幸福感を得られるオタクにとって、ある種無条件の肯定感が認められる。
 

チルドレン・オブ・モルタ〜家族の絆の物語〜(PS4

レベルを上げて物理で殴る! 見下ろし型アクションゲームで、例のとおりダンジョンに湧いてくる敵を倒してレベルを上げてスキルをゲットし、より難しいダンジョン、より強い敵を倒せるようになってガシガシ進んでいくゲーム。手ざわりはDiablo2に近くて、シンプルなシステムで爽快感がある。グラフィックはピクセルアートで描かれていて、ピクセルってのは情報量少なくて本当に疲れなくて良いね。脳にやさしい。余談として幕間ナレーションの声が異様に渋くてイカス。
 

Bloodstained: Curse of the Moon 2(PS4

悪魔城ですよ、悪魔城。これも「型」の強靭度のあるゲームよね。いつ遊んでも何回遊んでも悪魔城の面白さは変わらない。20年前に遊んだ悪魔城も悪魔城だったし、今遊んでも悪魔城だった。しかし、何周もクリアしていよいよラストだってなったときに「敵の本体は月にいる!攻め込むぞ!まずは乗り物の材料を集めよう!」と素材集めやらされて、材料集めて乗り物作ったら、次は月に行くための縦シューが突然始まって別ゲーになったのはビビった。
 

デジボク地球防衛軍PS4

地球防衛軍はヘルシー。地球防衛軍は心の健康に良い。いや、冗談じゃなく本当に良い。精神が疲れている人は地球防衛軍をやるべきだ。アリ、クモ、UFO、建造物、すべて壊してしまうべきだ。密集した昆虫の群れに爆破半径の広いロケランを撃ち込むときにのみ人は救済されるのであり、面倒な仕事や生のしがらみ、ストレスと因果関係がない精神の安住地がそこにある。そう、ゲームというのはメリットでもデメリットでもなく、それらとの無関係性が最も素晴らしい点であるのだ。
 

リトルナイトメア2(PS4

言ってみればギミックを起動しつつ左から右に進んでいくマリオの延長線上。そこからリトルナイトメアを固有の立ち位置にしているのはいわゆる「雰囲気ゲー」ということよね。では、雰囲気とは何ぞやというと「ただ画面を見ているだけで楽しい」というのは少し違って、だったらそれはゲームですらない。そうではなく、雰囲気とは「この世界を探索したい」という気持ちを呼び起こさせるもので、ゲームにおいては一種の「動機」の機能なんじゃないかと思った。
 

SaGa Frontier Remastered(PS4

心の積み残しになってるゲームってないですかね。自分の場合はサガフロがそれで、子どもの頃遊びたいなと思っててもお小遣いがなくて見送ったゲームだった。それ以来アセルスがどうのこうのT260Gのラスボス戦のBGMが良いとか聞いても、あのとき遊んでおけばという後悔だけが先立っていた。リマスター出してもらえたのは本当にありがたかった。おかげで人生の積み残しを減らすことができた。
 

東方虹龍洞(PC)

東方は自分の青春的なところがあるので、東方の新作遊ぶと、それそのものよりも昔の思い出がフラッシュバックしてくるんだよな。ともあれ虹龍洞の話をすると、ステージごとにランダムでカードを買い物して進んでいくSlay the Spire的なシステムが搭載されたものの、STGとしては久々にオーソドックスなWin初期の原型に近い東方だった。難易度が低めで、STG力が落ちた今となってもLunaticクリアできたので当面ルナシューターだぞワハハ。
 

Outer Wilds(PS4

情報を食べるゲームよね。本作を遊んだタイミングは、仕事で頭がパンクしており「これ以上俺に情報を食わせないでくれ…」以外の感情がなかったので、情報過多で胃もたれした。本を読むのが好きなタイプなので昔は想像もしてなかったけれど、文字から意味を読み取る工程は、思ったより脳に負荷が高いことが最近わかってきた。考えてトライ・アンド・エラーをすることで深みの出てくる作りだけに、脳のスポンジに情報を吸えるだけの余裕のあるときに遊ぶべきゲームだと思う。
 

ナツキクロニクル(PS4

xbox360ギンガフォースの頃から続編出す出す言ってて、かれこれ10年くらい発売予定のままだったので本当にリリースされたこと自体に感動してしまった。ファミ通の発売予定欄にSFC「ああっ!女神さま」が永遠に掲載されてたけど、あの枠。ところでギンガフォースには「Gallant Gunshot」という名曲があって、ナツキクロニクルでもアレンジ曲が使われてたのに、こっちはそんなに印象に残らなかった。ゲーム音楽は単体じゃなくてそれが使われているシーンも大事よね。
 

デモンズソウル(PS5)

驚いたことにPS3デモンズの記憶がほとんど残っておらず、結構な部分を新鮮な感じで楽しめた。人間は忘れることのできる生き物であるというのは本当に便利。とはいえ死亡回数は激減しており、操作とか底溜まりの記憶のようなものはあるのだなと。そういう覚えてない記憶のようなものが人間を形作っており、いつか遊んだけど覚えてない無数のゲームも、決して無駄になっているわけではない。
 

Reternal(PS5)

1000回遊べる3Dシューター、に似た顔をした別の何か。入るたびに生成されるダンジョン、ランダムでドロップする武器、少しずつ明かされる謎、いかにもなローグライク要素が入っており、中毒性が高そうな要素モリモリなのに、個別の要素を合計して出来上がった中毒性はそんなでもないのが不思議。恒常強化措置が少なく、プレイヤーの実力強化が重要になるのは昔のアーケードシューター的なのに、それにしてもReternalは1プレイの時間が長くて重いのよね。
 

ラチェット&クランク パラレル・トラブル(PS5)

かつて表現としてのゲームは表現は映画に追いつけ追い越せでやっていたけど、PS5ラチェクラは映画の視聴どころかディズニーランドのアトラクションの体感的感覚に近い。誰に見せてあげたいって、最新のゲームがどんなものか知らない親に見せてあげたい。それに、昔ゲームをやっていて、大人になってゲームをやめた人たちに見せてあげたい。「今のゲームってこんな凄いんだよ」と誰にでもハードル低く分かりやすく伝えられる、現代を代表する作品の一つだと思う。
 

GOD OF WARPS4

PS Plusのフリプに来てたので遊んだ。新作ゲームにすら追っついてないのでフリプを遊ぶことも減ってきたけど、たまには使わないともったいないよね。クレイトスさん操作するのも久々だったけど、宝箱一つ開けるのにも蓋を殴って壊す雑なバイオレンスおじさんいいよね。敵の化け物を両手で引っ張って文字どおりちぎったり、巨人の頭を石で叩き潰したりする豪快さがまさにGOWという感じ。
 

戦国無双5(PS4

4までとキャラデザを一新したものの、プレイアブルキャラとアクション激減させるのは三國無双5といい、5の宿命みたいなもんなの? 得意武器で多少の差別化はしてるものの、武器の使い回しはキャラ間の同質性を招くのでどうしても淡白になる。あと相変わらず味方の軍勢は居てもいなくても良いというか、一人で戦場内移動して敵を倒してミッションこなすだけだとゲームがファイナルファイトになるんだよなぁ。
 

FORZA Horizon 5(PC)

Xbox Game Passが3ヶ月100円とかいう頭おかしい値段になってたのでプレイ。今度PC Game Passという名前に変わるらしいけど、自分も最初てっきり箱用のサービスかと思ってた。オンラインマルチプレイなので、他のプレイヤーの走行が目に入ったりするのだけど、みんな道路無視して荒野とか森をガンガン走ってるよね。自分は免許を持っているのでちゃんと道路のとおり走って景色を楽しんでおり、夏に北海道行ってドライブするみたいになってる。
 

Lobotomy Corporation(PC)

今年のトピックスとして残業代がアホほど入ってきたので、PC&プリメインアンプ&スピーカーを買い替えるというのをやった。おかげでようやくロボトミーコーポレーション遊べるようになったんよ。なんか知らんけどアホみたいに必要スペック高いんだよなこれ。端的に言うと作業を間違わぬように淡々とこなしていくユニット育成型シミュレーション。育成&育成。とにかく数字を大きくするという作業は、意味もないのに不思議と人間に快楽を浴びせてくる。
 

ENDER LILIES(PS5)

美しいゲーム。音楽・ビジュアル・シナリオ・演出の調和がとれており、何か一滴異物を垂らしただけですべてがダメになってしまうような儚さすらある。メトロイドヴァニアはホロウナイトである一定の完成形を見せた気がしたけど、ゲームは総合芸術であり、作り方・見せ方で無限に進化の道筋は広がっていることを改めて感じさせられる。ゲームに完成形はないのだとすると、人はこれからも過去の人たちの創造性と戦っていくのだろうなぁ。
 

Hades(PS5)

リプレイ性が高いゲームとはよく言われるようで、とにかくアンロックの塩梅がうますぎる。基本的には4ステージしかないはずなのに、クリアしたり死んだりするとちょうど良く何かが解放されており、新しい武器が手に入ったり、ザクレウスが強化されたりして次はクリアできるんじゃないかという気にさせられる。毎回新しさがあり、一つとして同じプレイはない。「次は何か違うかもしれない」と思わせられ続ける。人間の心を研究したゲームという感じがした。
 

くにおくん三国志だよ 全員集合!(Switch)

「くにお君の時代劇だよ全員集合!」というファミコンのゲームがあって、タイトルのとおりその三国志版。信長の野望に対する三国志というか。個人的には、時代劇の方がちょっと狂ったバランスとダメージを与えるスピード感の気持ちよさが勝ってると思う。なぜか三国志はマッハきうきうが削除されてるんだよ。あと、ネットにも情報なくてメチャメチャ困ったので書いておくと、2週目以降の熱血ルートは名声200以上、ギャグルートは名声0でいけます。
 

ウマ娘 プリティーダービーAndroid

とにかく競馬ゲームとしてレースの演出が抜群に良いゲーム。東京2000mという特徴的なコースで第2コーナーを真後ろ上空から映すカメラワークを見て、一生付いていこうと決めた。Switchのダビスタも競馬ゲーム最高峰のレース演出だと思うけど、ウマ娘はカットインの表現などリアル路線のゲームが取りえない手法で、本来の競馬にワンアクセント付け加えた新しい世界を切り開いた。よくこの競馬ゲーム不毛の時代にこんなゲームを作ってくれた。
 

アークナイツ(Android

危機契約で自分が☆6使ってヒーコラ言いながら18レベルクリアする一方で、ネットの賢者たちが☆4使ってさらにハイレベルをクリアするのを見つめるゲームになってる。ネットの世界は広大であり、脳の構造が違うサイボーグたちが跳梁跋扈していることをアークナイツは可視化した。怖い。ところで今年はケルシー実装されたので、日笠陽子によるインテリ女子のクールなボソボソ喋りをいくらでも聞ける無敵コンテンツになったのが良かった。
 

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今年の一本をあげろと言われれば「ウマ娘 プリティーダービー
 
ゲームシステムの好みだと「One Step From Eden」や「ENDER LILIES」を挙げたいところで、本当にウマ娘か?というところはある。
実際、ウマ娘を同じデッキで無限に回していると「狂気とは即ち、同じことを繰り返し行い、違う結果を期待すること」というアインシュタインが言ったとか言わないとかされる言葉を思い出しちゃうくらい周回の不毛さは地獄。完全にゲーム設計がハデスと逆。人間の心を研究しつくしたハデスのアンロックの塩梅を見習ってほしさしかない。
思えば実際の競走馬の生産も年間数千頭の馬を遺伝子の上振れ狙って生産し続けるものだし、ウマ娘は競走馬の生産システムを完全再現していると言われればそうなのだけれど。
 
そうやってゲームとしての粗を言おうと思えばいくらでも言えるウマ娘でも、改めてエルコンドルパサーは最強である(諸説あり)と思わされたこと、改めて2012年のオルフェーヴル凱旋門賞の動画を見ると「もう1回再生すれば次は勝てるのでは」と思って100回くらい再生してしまったこと、何より競馬の面白さを改めて認識させてくれたこと、そうやって自分の人生に与えた影響を考えるとやはりウマ娘だよなぁと。
お前にとってのゲームの価値というのは、自分の歩んできた人生の思い出そのものであり、何より主観が優先される。それでいいんだよ。
 
2016~2020の記録を見ると、過去の今年の1本はこんな感じらしい。記録つけておくって大事ね。
 
 2020:グノーシア
 2017:BLUE REVOLVER
 
今年を振り返ると、去年が「ここ10年で最高の労働」かと思っていたら2021年は「過去最高と言われた去年を上回る最高の労働」が収穫され、ボジョレーヌーボーみたいになった1年だった。平日ほぼ毎日23時帰宅は邪悪すぎた。残業はマジで人生に何も残らないので来年こそはなんとかしたい。月に30時間残業を減らせば、遊べるゲームが月に1本は増えるんだぞ。
それでは、少し早いけどよいお年を。

遊べ、時代と寝るゲームを

イエーイ!みんな~死について考えてる~?? 死、怖いですよね。
 
死とは無であったとしても、意識が消える瞬間はどう感じるのか
意識が消えるということは、自分の死を認識することはできないのか
記憶とは夢のようなものだったとして、思い出すことができないとはどういう状態なのか
 
考えるだけで怖い。怖すぎるでしょ。
布団に入って電気を消したときって人の心に隙ができやすく、メメントモる頻度が高くなりがちで危険。じっと目を瞑って死ぬ瞬間の意識のことを考えてしまい、背中がゾワっとする事象から人は逃げられない。
とはいえ、死はすべての人間に避けられないさだめ。我々は大いなる眠りに向かって歩き続ける生の奴隷。じゃけん、死ぬときのことを考えても仕方がないので、どう生きるかを考えましょうね~とは色んなところで聞くような話ではあります。
 
しかし思うんですけど、どう生きたかをストックしていくには「記憶」って脆弱すぎるんですよね。
 
今年のGW何やってました?って聞かれても、「何って……息?」みたいな小学生みたいな答えになっちゃうし、長く生きれば生きるほど昔の記憶は曖昧になっていき、それこそ小学生の頃毎日放課後をどう過ごしてたか全然覚えてない。正直、白衣の美人ドクターに「お前には小学生の頃なんてない。お前がうろ覚えだと思っていた小学生の記憶は、我々の組織がお前に1年前に植え付けたものだ!」と言われても「そうかも…」ってなっちゃう。
そういう意味では、日常の強度が弱い今のことを、身の回りの人が全員死んで孤独に老人ホームに入っている頃になったとき思い出せるかというと自信がない。
「なんか色々あったけど、長生きしたなぁ…。そういえば、色々って……何だっけ」となりそう。今の自分が、小学生の自分についてリアリティを持って思い出せないように。
 
人生の満足に必要なのは、強度のある記憶ですよ。
 
そうは言っても、強度のある記憶なんてどうすれば手に入るのか。
一つのやり方として、尖ったガラスの破片を使って「11月3日今日は焼肉を食べた」とかの言葉を腕に刻んでいくなどの方法は考えられるんだけど、そうじゃない。
身体を痛めつけるのがダメなのではなく、記憶を外部保存装置に頼っているのがダメ。外部に出さないと覚えていられないような記憶は、死を前にした走馬灯にも出てきやしない。記憶はアナログではなく電気信号として身体の芯に保全されていてこそのリアリティ。
 
そこで参考にしたいのが彼。
「ハァハァ、俺に、俺に生きている実感をくれええええ!」と叫びながら禁断のブースト注射を打ってイッた目で主人公と対峙する敵(高い確率で若い兄ちゃん)。
彼は、主人公のように仲間に恵まれたわけでも、1000年に一度の才能を持って生まれたわけでも、劇的な運を持って生まれたわけでもないけれど、「記憶の強度」を主体的に獲得する生き方を選択した点で偉さがある。
 
彼はその戦闘において死亡フラグさえ立てなければ、その後メチャメチャいい人生を過ごすと思う。そんじょそこらの連中とは過ごした思い出の密度が違いますよ。老後とかかなり強い。老人ホームの思い出バトルにおいても敵はなく、無双。
老いた彼は、DNAに保全された記憶に触れていく作業をするだけで「いい人生送れたなぁ」となり、布団に入っても死は怖くない。不定な未来を吹き飛ばすのは重厚な過去。
 
生きている実感君から我々が学ぶことがあるとすれば「刺激は主体的に獲得しなければならない」ということ。
それを具体的に生活に落とし込むならば「自分の状態を動かし続ける」ことに尽きるんじゃないですかね。
深海の生き物のように消耗するエネルギーを抑えるために一日中動かない生活をしていては、かつて新しく知るものすべてが刺激的に思えた貴方の素晴らしい触覚も、いつかは朽ちてあらゆる反応を失ってしまうことでしょう。
 
matakimikaの人が、「オタクをやるからにはちゃんと時代と寝るべき」と10年くらい前に言ってた気がするのを未だに覚えてるんですけど、時代というのは常に動き続けるものであるので、それに着いていくことは自分の状態を動かし続けるということと同義。
オタクよ、時代と寝ろ。新しい時代のエンタメ、新時代の技術、未踏の表現を取り込み続けろ。
 
 
いや、何が言いたいかっつーと、この前、運よくPS5買えたんでラチェットアンドクランクやったんですけど、これは間違いなく「時代と寝る」ゲームですよ。
 
ゲームの要素は「ルール」と「見せ方」の2つに分解されると常々思っていて、「ルール」の方は新しい発想を必要とするゲームシステムの領域で、「見せ方」の方はすでに発明されたゲームシステムをプレイヤーにどう見せるかの世界。
ゲームハードが新しくなった際は、従来できなかった表現が可能となるため、「見せ方」の方でイノベーションが起きるんですが、PS5のラチェクラはまさにその「見せ方」の部分で今トップレベルにアツいゲームですねこれ。
 
目まぐるしく展開される地形崩壊の中、高速でレールを走るラチェットを操作するのは、言ってみればディズニーのアトラクションを一人で独占して遊んでいるような感覚に近く、これが家で遊べることを神に感謝するレベルですが、考えてみれば「障害物が迫ってきて当たるとダメージを受けるので当たるまでにジャンプで避ける」というゲームのルール自体はスーパーマリオレベルなんですよね。すっげぇシンプル。誰でも遊べる。これが2021年のゲーム……生きている実感が得られる……。この感動、バイオショックを初めて遊んだとき水の表現に感激したときのあの気持ちに近い。
 
一方で、「ルール」の斬新性であれば普遍的な強さがありますが、PS5ラチェクラのように「見せ方」に強さのあるゲームは、時代と寝ない限りその最高の刺激は味わえないんですよね。
これが5年10年後になると当時は斬新だったPS5ラチェクラの「見せ方」はコモディティ化し、生きている実感くんは生を維持するための十分な刺激を獲得できず、自殺してしまうでしょう。
生きている実感くんがPS5ラチェット&クランクを遊ぶべきなのは、今このときをおいて他にない。
 
で、どうですよ。我々はこうして過ごしている日常で十分な刺激を獲得してると言えるのか。生きている実感は得られてる? 老後に耐えられる記憶の強度は持ってる?
「ハァハァ、俺に、俺に生きている実感をくれええええ!」と叫びながら禁断のブースト注射を打ってイッた目で主人公と対峙する若い兄ちゃん、あれこそがくたびれたオタクが行き着く姿であり、もっとも共感すべきなのは必ず勝利が約束された主人公なんかなのではなく、彼なのかもしれない。
 
遊べ、時代と寝るゲームを。
地盤沈下し続ける日常から自分の人生を守るには、記憶の強度を高めるしかないのだから。

一口馬主はいいぞ日記

これまでのあらすじ
2019年8月:出資(のちに「ベルンハルト」と命名される)
2020年5月:デビュー前に左脚を故障。患部を縫合。
2020年6月:右脚も故障
2020年7月:ノド鳴りが判明。2度の手術へ。
2021年1月:デビュー戦。後方からのマクリで2着。団野騎手うまく乗った。
2021年2月:レース中盤ペースが上がったところについていけず7着。
2021年3月:再び脚を悪くし、当面外厩で様子見へ…
 
作家の菊池寛が「樂しみを覺える割合ひに較べれば、心配や憂鬱を味はふ時の方が多い。馬を持つてゐることの樂しみが二、三割だとすれば、心配や憂鬱の率は、まづ七、八割にも及ぶであらう。それも、大部分は馬の故障から来るのだ」と書いたの、わかりみがある。
無事是名馬』とはよく言ったもので、出資して初めてわかる馬の健康の重要性。馬主ってきっと勝つことも嬉しいんだろうけど(勝ったことない)、自分の馬がレースに出ることが何より嬉しいんですね。
同期のシルクの馬にも故障で全然出走できていない馬もいる中、まがりなりにもベルンハルトはデビューできて、しかも入着してくれたのはありがたい。
 
しかしそのベルンハルト、脚の調子が思わしくないことから運動負荷を下げて慎重に調整が進められ、5月にはなんと馬体重545kgを計上。えっ?最後に出走した2月の馬体重492kgですよ。+53kgじゃん。そんなブクブク太っていいのは引退してタンポポ食って過ごしてるグラスワンダーくらいであって、現役の競走馬がこれはとても心配。
なにせ、3歳の未勝利戦は9月には終わってしまう。あと4か月しかないんですよ。
 
それでも何とか7月11日の函館の未勝利戦で復帰。パドックで解説の人に「う~ん、まだ絞り切れてないのか、太く見えますね」とか言われ、素人目に見てもちょっとダルンダルンの体に見えるが大丈夫か……?
 

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大丈夫じゃなかった。14着。
スタートの時点で出遅れて、流れについていけずズルズルと下げて後方から2番手を追走。外に出しても交わせるわけでもないので、水口騎手は最内の経済コースをとってスタミナを節約するも、直線でも全く伸びず14着でフィニッシュ。
 
弱い馬を注視するようになって、わかったことがあるんですよ。
競馬の脚質って逃げ・先行の勝率が6割で、差し・追い込みが4割なんですけど、そもそもレースのスピードについていけないと逃げ・先行は「採ることのできない」戦法なんですね。
逃げ・先行はすべての馬がレースに参加しているが、差し・追い込みはレースに参加している馬と参加できていない馬がいる。これが脚質別で勝率に差がつく理由なんだなぁと、レースについていけてない愛馬を見て思うのでした。
 
ちなみにJRAは公式HPの「レース結果」から未勝利戦も含めた全レースの映像をネットで公開してくれているので、今でも見ることができるのめっちゃ良い。
未勝利戦のアーカイブ一口馬主やるようになってから価値がわかった。
 
そして次走は8月1日の引き続き函館開催なんですが、レースのスピードについていけない展開が続いたので、スピードの出ないダートへの転向となりました。
それにしてもダートは層が薄いとはいえ、あとタイムリミットまであと2か月での転向って大丈夫なのか?
 

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大丈夫じゃなかった。11着。
相変わらず先行勢にとりつくことができず、後方集団で何とか追走するという見慣れた展開。前が残りやすいダートでこれは厳しい。位置取り的には差し~追い込みなんですけど、「脚を溜めている」ではなく、「集団の流れに何とかついていっている」という表現が正しい。
 

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一口馬主をコンテンツとして捉えたとき、レース後に送られてくる調教師のコメントって楽しみのかなりの比率を占めてる気がするんですよね。
愛馬の走りに対して、プロはどう思ってるのか、何が問題だったのか、改善のためにどうするのかそういった現場の生声が聞けるのはマジで一口馬主固有の特典。勝てなくても儲からなくても、これを読むためだけに一口馬主を続ける価値はある。これがあるとないとでリアルダビスタ感は全く違うと思いますよ。どこか遠くで馬が走っているだけではなく、言葉があるだけでそこにはリアリティがあるんですよ。
 
ベルンハルトに関して言えば、かねがね池江調教師も位置取りが後ろになってしまうのも問題ととらえていたようで、西谷騎手には先行策を指示をしていたようですが、馬の行き脚がつかなければどうしようもない。とにかく「ズブい」。かつて宝塚記念を勝ったヒシミラクルも道中から騎手が押しまくらないと動かないズブい馬でしたが、タイプ的にはヒシミラクル系のズブさがあるようで、もしかしたら和田さんに乗ってもらうことができれば違う道が見えたのかもしれないな、と思ったのが次のレース。
 
8月28日の札幌第4レースダート1700M。これがもっともベルンハルト「らしさ」を見せたレースとなりました。
 

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またしてもスタート直後は出遅れて後方集団で追走する展開に。「またか…」見ててため息をつきそうになるも、泉谷騎手が中盤からグイグイ押してポジションを上げていくと、直線でも鋭く伸び、4着入選。
思えば父親のラブリーデイもキレる脚を持っていたわけでもなく、長く脚を使えるタイプ。新馬戦の2着も、レース中盤から早めにマクっていった団野騎手の作戦が功を奏したもの。「ちょっと手を動かしすぎなんじゃないか」と思うくらい無理して上がっていく競馬のほうがベルンハルトには向いていたのかもしれません。
 
そして9月5日の札幌第3レースダート1700M。
前のレースに入着できたことで出走権を得た、3歳未勝利最終戦がベルンハルトの最終出走レースとなりました。
 

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前レースからの連闘となったこともあり疲れもあったのか珍しく馬体重が大幅減だったのですが、もはや力は使い果たしていたのか、いつものとおり後方からの追走となると、特に見せ場もなくそのままレースを終えました。最後のレースに出れたのは完全にオマケみたいなもんですね。
 

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JRAの未勝利戦開催は3歳9月までなのでこれでフィニッシュ。
ベルンハルト、生涯戦績6戦0勝。新馬戦での2着スタートから未勝利戦を勝ちあがれなかったのは残念でした。

 
問題はここから。
未勝利のまま競走成績を終えてしまった競走馬はどうなるのか。成績を残せなかった多くの競走馬は人々の知らぬところで殺処分され、馬肉となっているという話もあります。ベルンハルトも同じ運命をたどるのか。馬は、毎日調教で鍛えられ、望みもしないレースに出走させられ、稼げなくなると殺される。つらい。馬といえど、生きていくのはつらい。
しかし思えば、我々も毎日毎日行きたくもない会社で酷使され、望みもしない労働に従事させられ、稼げなくなれば死ぬしかない。つらい。人間もつらい。生活に対する意思の関与の多寡はあれど、大枠の構造自体は馬も人も変わらない。
サラブレッド産業の問題もわかるが、また人間の労働市場の問題もわかる。生きるというのはあらゆる生き物にとって試練であり、生きていくのがつらくない動物なんてどこにも存在しないのだ…。
 

ともあれ、行く末が心配だったベルンハルトですが、結果から言うとサラブレッドオークションに出されることになりました。

サラオク、それは現役競走馬をセリに出し、所有者を変えて地方競馬等新たな道を歩ませるための仕組みです。なんでもサラリーマンでもサラオクで競走馬を買って地方競馬でオーナーをやっている人もいるのだとか。なるほど。大富豪ではなかったとしても、一口馬主ではなく、サラオクで競走馬を丸ごと買ってしまいガチ馬主となるという方法もあるのか。
 

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ベルンハルト、なんと175万円で売れる。どうでもいいですけど、サラブレッドオークションにシルクホースクラブが「ノークレームノーリターンでお願いします」と書いてるのヤフオクっぽくてシュールさがあった。
 
この先どうなるんでしょうね。地方競馬に転籍じゃないかと思いますが。ケガや病気でトレーニングがあまりできずポテンシャルを十分発揮できなかったこと、晩成型のラブリーデイの血を考慮すると伸びしろはありそうだし、ダートでもやれそうなスタミナも見せたことも考えると地方競馬で十分やれそうな気もします。ともあれ競走馬続けられそうで良かった。頑張ってほしい。
 

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ちなみに回収率は結局これくらいでした。月額1000円程度の維持費も勘案すると、回収率一桁っすね。
 

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ところでこれ一口馬主DBというサイトから引用しているんですけど、一口馬主DBに登録するとこんな通算記録とかも出してくれるのでマジでリアルダビスタ
My達成記録とかいう実績システムみたいなのもあるし、これはクセになる。
 

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ちなみに3歳のベルンハルトが登録抹消となった今、2歳の出資馬はこんな感じなんですけど、この中でコンジャンクションくんかなりいいですよ。デビュー戦は前の馬に進路を塞がれて8着でしたけど、調教のタイムや関係者のコメントを見るに高い能力を感じさせるところがあります。
 
競馬見る人ならコンジャンクションくん覚えててください。来年のクラシック戦線で名前が出てきてもおかしくないはず。
いや、クラシックどころじゃない。ダービーだ! コンジャンクションくんでダービー取れなきゃこの先ほかの馬でダービーなんてとれるチャンスは訪れねぇ!
前途洋々。自分の人生よりよっぽど期待できる。そう、自分の人生がダメでも馬には期待できる。どうだ、これが一口馬主だ。
 

ウマ娘がタウラス杯で今度は欧州競馬を教えに来ているという話

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みんな~!タウラス杯やってるか~!
タウラス杯の何が良いって馬柱と競馬新聞ですよね。ウマ娘を単なるレースゲームにしないで、ちゃんと「競馬」にするスタンス本当に愛があって好き。
 
ところでタウラス杯はこれまでのウマ娘のレースと全く違うところがあります。
それは「少人数である」ということ、それから「3人出しで1着を狙うゲームである」ということ。
 
これはウマ娘が従来モデルとしてきた日本競馬の特徴とは全く異なります。日本競馬ではビッグレースは高い確率でフルゲート(18頭)になるのが当たり前であり、9頭で行われることはほぼありません。また、JRAの競馬施行規約には「第41条 競走に勝利を得る意志がないのに馬を出走させてはならない」とあり、自陣営の他の馬を有利にするために出走することは認められていません。
 
ところがこの両方が当たり前なのが、欧州競馬なんですよね。
 

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それぞれ見ていきましょう。まず「少頭数」であるということ。出走するウマ娘はたった9人。なんだかゲートも寂しい。
タウルス杯これ本当にビッグレースか?みたいなところあるんですが、少頭数によるビッグレースが当たり前なのが欧州競馬です。少ないときだとGⅠでも平気で3頭立てのレースとかやっちゃう(日本だとレース不成立)。
 
理由としては、強力な馬が出走してきて勝ち目がないと見たら登録を自重する風土があります。
日本からディープインパクト凱旋門賞に挑戦したときも、前年の覇者ハリケーンランBCターフ勝ち馬シロッコ、そしてディープインパクトの3強と見られていたことから、出走に意欲を見せる陣営が少なく、わずか8頭立てでのレースとなっています。
 
 
動画は競馬史上世界最強馬と呼ばれるフランケルが、世界最高峰のマイルレースの一つであるサセックスSに出走したときのものです。
フランケルは、サセックスSに2度出走していますが、2回ともわずか4頭立てのレースとなりました。
1度目は、当時マイルGⅠを5連勝していた年上の最強マイラーキャンフォードクリフスとの一騎打ち状態となり、出走登録してくる馬がいなくなったため。結果は上記動画のとおりで、キャンフォードクリフスを5馬身突き放してフランケルの圧勝。そして2回目は11戦11勝で迎えた状態で、もはやフランケルにマイルで挑戦する馬がいなくなったため。マルゼンスキー状態が世界最高峰で発生したような感じですね。欧州競馬でレジェンド級の馬が出走するレースは出走頭数が少なくなりがちです。
 
凱旋門賞を2連覇した牝馬エネイブルも2020年のキングジョージに出走した際は3頭立てのレースになっており、G1=フルゲートの日本競馬に慣れていると少頭数の欧州競馬は異質。
どちらかというとタウラス杯は日本競馬というよりは欧州競馬寄りなんですよね。欧州競馬でのレース展開までオタクに教えようというのかサイゲームス
 
というのが1つ目なんですが、本題はここから。
 

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タウラス杯のルールの特徴として「3人出しで1着を狙うゲームである」ということが挙げられます。裏返せば、「誰かに1着を取らせるためにはどうすればよいか」を考えるのが戦略となります。ここでは、3人がそれぞれ1着を狙うよりも、あえて自らは勝負を度外視し、味方を有利にするサポートに徹する枠を作る作戦が考えられます。どうあがいても1着を取れるのは1人だけであり、3人とも勝ちに行く必要は全く無いです。
 
これをマジでやっているのが欧州競馬。同一オーナーのエースをサポートするために「ラビット」と呼ばれるペースメーカーが出走してきます。
ラビットは、自らの順位のことを全く考えず、先行馬に有力馬がいれば競りかけてペースを乱したり、エースが馬群に包まれないよう配慮した位置取りをとったり、全面的にエースを勝たせるためにサポートに徹します。
 
日本競馬では、競馬施行規約に「第41条 競走に勝利を得る意志がないのに馬を出走させてはならない」と定められており、例え同一のオーナーの馬であっても他馬をサポートするためだけに出走してくるのは禁止されていますが、欧州競馬ではむしろ当たり前。先ほど例に挙げたフランケルでも、本馬の実兄であるブレットトレインが殆どのレースでフランケルのためにラビットとして出走しています。
  

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さて、タウラス杯に話を戻します。
タウラス杯で求められることは、「誰かが1着を取ること」。3着が2着になっても賞金が上がることもなく、2~4着を独占してもなにもない。ただ目指すのは「チームとして1着を取ること」それだけです。必要なのは全員80点を取ることではなく、例え他の2人が60点しか取れなくても、誰かが100点を取ることなのです。
 
なので、戦略としてはデバフを撒き散らすために走るウマ娘を1人加えるのが正解です。
そのウマ娘は、0点かもしれませんが、ただひたすらエースに100点を取らせるために走ります。自らの勝利を顧みることなく。可能性を追い求めることなく。エースをサポートすることだけを役割として走ります。
 

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ラビットだこれ…。
マキバオーの世界編で出てきたアポーという馬は、欧州のラビットシステムをモデルに描かれた馬なんですが、まさかJRAベースで作られたはずのウマ娘でラビットを見ることになるとは思わんでしょ。
 
ラビットという仕組みは誰かを犠牲にすることを前提としているので、一見畜生のような振る舞いに思えてしまいます。
それを結論づける前に、フランケルのラビットを務めたブレットトレインの話をもう一度させてください。
 
ブレットトレインは、元々フランケルのラビットを務めるまでは自身も競走馬で、重賞の勝利経験すらあるエリートです。しかし、フランケルのラビットに転向した後は、ずっと勝負を度外視して走り続けてきました。しんがり負けしようが、僚馬であり、弟であるフランケルを勝たせる、そのために、それだけのために走ってきました。
 
でも、最後の最後、「史上最強馬」フランケルが引退する際に、ブレットトレインにも光が当てられます。
フランケルが引退した2012年は、2年連続の欧州年度代表馬の名誉がフランケルに与えられるとともに、特別賞が準備されました。
特別賞は「チーム・フランケル」に対して与えられたもので、調教師であるセシル師、ジョッキーのクウィーリー騎手のほか、そこにはフランケルのラビットを務めた馬、ブレットトレインの名前も記載されていました。
 
馬であるブレットトレインを表彰者の名簿に加えたこの判断は本当に素晴らしいものであり、自己犠牲のためにレースを走り続けてくれた脇役の価値を広く世間に知らしめるためのファインプレイだったと思います。
なので、デバフ撒き散らしウマ娘のことを悲しく思うかもしれないけど、そんなことないんだぞ。欧州競馬には確かにそういう役割で走る馬がおり、それは卑下されるような話では決してないのだ。

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まぁ順位はこうなっちゃうんですけどね。ありがとうデバフタキオン
でもフランケルとブレットトレインの話を知っていれば、この9着は誇らしい9着であることがきっと理解できるはずだ。

タウラス杯、「少頭数」「ラビット」と、まさかのウマ娘・欧州競馬編だったの驚きだったよな。

それでも博麗霊夢と飛んだ記憶はオタクのDNAに刻み込まれている

知識や能力は使わないと確かに錆びつくのかもしれないが、一度獲得したそれらは表出せずとも、引き出しのどこかで再び使われるときを待ち続けている。

自分の部屋の本棚を振り返ったとき、それぞれの本の内容をしっかり覚えている人はどれだけいるんですかね。私は自分の本棚見てもボケてるのかと思うレベルで全然覚えてません。だけど、それぞれの本が教えてくれた知識や考え方は、あなたの無意識のどこかに確かにしまい込まれてるのです。

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いや何でこんな話をしたかというと、東方虹龍洞、Lunaticクリアしたんですよ!えへへ。

久々の東方にしては頑張った!と言いたいところなんですが、発売初日(5月4日)時点だと、半日くらいNormalすらクリアできなかったんですよね。
かつて見えていたはずの弾幕が見えなくなってるの、何というか情報処理が追いついてない感じ。

STGわからん。何も覚えてない」
かつて出来たことができなくなってるというのは、人にとってストレス。しかし、そこからLunaticクリアまで1日で戻せたのは、かつてやり込んだ紅魔郷からの歴史のおかげなんだと思うんですね。初めてSTGを触った人が1日でLunaticをクリアすることはできません。ゲームの腕は忘れてるようで忘れてないものであり、かつて遊んだゲームの内容は意識的に覚えていなくとも、無意識はその挙動を覚えている。

考えてみれば、前に東方妖々夢を久々に遊んだときにプリズムリバー三姉妹のコンチェルトグロッソで、なぜか自機が自然と左下に移動して「コンチェルトグロッソは左下で避ける」というのが肌に染み付いてて怖ッ!ってなったことありました。
博麗霊夢とともに飛んだ記憶は、普段は出てこないかも知れないが、確かに我々のDNAのどこかに刻み込まれているわけです。

というわけで、今日は東方の昔話でもしましょうねーという回です。自分はWindows時代から入ったので、Windows版から。

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いやー、懐かしい。当時たまたま入った同人ショップ(店の名前も忘れた)がやたら推してたので買ったんですよね。
紅魔郷の白眉はチルノの『パーフェクトフリーズ』じゃないですかね。弾を凍らせるという発想の弾幕に、覚えやすくもどこか物悲しさもあるおてんば恋娘のBGMのインパクトとも相まってガンとやられて惚れた記憶があります。パーフェクトフリーズにはショックを受けた人多いんじゃなかろうか。

初心者シューターらしく当時Normalの3面もクリアできませんでしたが、あまりに面白かったので「どんな人が作ってるんだろう」とネットを検索して見つけた上海アリスのHPは「作品」「掲示板」のリンクが並んでる昔ながらのHPで、掲示板では神主が常連さんと普通にケイブSTGの話題してました。プロギアの2周がどうこう話をしてて、初心者の自分は「はえ~、面白いゲーム作る人はゲームも上手いんやね~」と圧倒されつつ、読んで勉強をしていました。

2chの同人板(だったかな?)にもスレが立っており、当時はまだ人が少なかったものの、概ね高評価の論調でした。
ただ、STG界隈において少女キャラが当たり前に出てくるゲームが少なかったこともあり、キャラに対しては評価の低いコメントをする人が多かったように思います。「式神の城」等の一部を除けば、STGの自機は機械が当たり前であって、いわゆる「硬派」が主流だった時代ですね。
STGとしては面白いのに、小さい女の子しか出てこない」という点がむしろマイナスとして捉えられており「これで作者がロリコンでさえなければな…」みたいな書き込みがされていたのを今でも覚えてます。しかし、まさかそのキャクター面が受けて後の大ヒットにつながるとは、これ書いた人は夢にも思わなかったのでは。 

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そして妖々夢
自機の中心部に当たり判定が表示されるようになったのと、ボスの位置が画面下に表示されるようになったのは本作から。また美しい背景に凝るようになったのも妖々夢からであり、今に至るまでの東方のシステムの基本形は妖々夢でほぼ完成したと言っていいと思います。
本作の稼ぎの目玉はグレイズでしたね。過去イチでグレイズに稼ぎメリットがあったので、ついついボス戦では高速移動に切り替えて稼いじゃう。カリカリカリカリという音が今でも脳内再生できる人は多いのでは。

妖々夢からは人が増えたので、スコアアタックも盛り上がりました(紅魔郷の頃からスコアボードはありましたが、妖々夢になってからは比ではないくらい盛り上がった)。そして人が増えると中には化け物も紛れ込むもの…。あるとき「とんでもないスコアを出したやつがいる」と話題になり、スコアボードトップにはダントツのスコアとともにリプレイが投稿されていました。

投稿者は「天帝」とあだ名されていたGIL氏。
リプレイを見ると、桜点を稼いで高速移動でグレイズし、素点を高めていくプレイに見える。とにかくしつこくグレイズ、グレイズ。この時点でミスなく稼ぐさまは「はえ~、うっめ~」となるのですが、それが爆発するのが幽々子戦での『リポジトリ・オブ・ヒロカワ』。自機あてに放たれる密集したの弾をすべてグレイズして大量点を稼いでおり、「そうか、全国1位はそうやって稼ぐのか」と勉強させられました(めっちゃ真似した)。

しかし、これでさえ最後に見せつけられる驚きの布石にしか過ぎないとは…。

いわゆる天帝避け。当時妖々夢やり込んでいたオタクでこのリプレイを見たことのない人はいないんじゃないでしょうか。
Lunatic幽々子戦ラストの『反魂蝶-八分咲-』はただでさえ密度濃くて下で避けてるだけで必死なんですけどね。普通は。
反魂蝶前に自機がスッと右上に行くの見て頭の中に「??」がよぎり、その後の回避で「は?」と声が出て、終いには乾いた笑いに変わる。ゲームってのは、作品そのものだけではなく、遊ぶことでさえこんな感情を揺さぶる表現ができるというのはすごい点だと思いますね。

その他にも初めてLunaticをクリアしたときに思わず出た握りこぶし。
Phantasmで10億点超えて、スコア欄の桁表示を初めてズラせたときの喜び。
東方妖々夢を語る種は世に尽きまじ…。

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この勢いで全部やってしまいそうになったのでちょっと飛ばしてWin中期から東方神霊廟
背景のオシャレさ随一の風神録や、1面から音楽の雰囲気のいい星蓮船もいいんですけど、神霊廟好きなんですよね。ただ、トランスシステムさえなければ…。

神霊廟は、敵を撃破したりボスに接近射撃することで出現する霊を集めて、3つ集めたらトランスモードに入れるシステムでした。
トランスモード中は、ショットが強力になったり獲得アイテムが強力になって(残機の欠片が2倍になる等)、さらには自機が10秒間無敵になるんですよね。

無敵っ……。ならんでいいっ!ならんでっ!
弾幕を避けるのは東方の面白さの一つなんですが、トランスするとボス敵に張り付いてショットするだけという何とも淡白なゲームになってしまうんですよね。封印して遊ぼうにも被弾したら勝手に発動してしまうし…。攻撃力UPと獲得アイテムがお得になるというリターンと、被弾のリスクが並立していたらそれはそれは最高のゲームだったのではないかと今でも思います。棒立ち密着打ち込みはちょっと…。

それでもなぜ神霊廟が好きなのかと言うと、特に3~4面の構成なんですよね。

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3面ボス宮古芳香のギミック覚えてます?
神霊廟は敵を倒して落とす霊を回収して稼ぐゲームですが、芳香は霊を吸収して体力回復するんですよね。これ最初わかんなくて何度も何度も時間切れになってたんですが、よく見てみると3面中ボスの小傘がヒントくれてたんです。これに気がついたときの「あっ」という感じ。村人がボス戦の攻略ヒントくれるとか、STGで経験すると思わなかった。BGM『リジッドパラダイス』も芳香戦の雰囲気にあっていて、時々聞こえるコーンと柄杓で石を叩いたような音が好き。

そして4面は道中に神霊廟屈指の名曲『デザイアドライブ』からのボス青娥戦の『古きユアンシェン』に繋がる流れ、無限に聴いてられる。ここで霊夢が「ルール違反」という芳香再登場で、キョンシーを盾に殴ってくる弾幕戦も戦略性があって良い。遠回りに見えてもこまめに芳香を撃破した方が、青娥が蘇生アクションという動作を取るので結果的に安全だったりしますね。
神霊廟宮古芳香絡みの3~4面は東方Projectでも屈指の出来だと思いますよ。

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最近の作品の話もしておくと、前作の東方鬼形獣に触れておきたい。
正直言うと鬼形獣自体はあまり好きな方の作品ではなくて、なぜかというとベントラーシステムが復活したので…。星蓮船であれほど不評だったベントラーを復活させた理由はよくわからないですが、相変わらずアイテムを追いかけるのが面倒くさい。なのでシステム的にはちょっとやり込むのはなーというところなんですが、鬼形獣の何が良いってラスボス埴安神袿姫戦の演出ですよ。

STGというものは基本的に前に進んでいくものなので、ここまで背景が前方から後方にスクロールし続けて進んできたところから、「ま、まずい!時間をかけすぎた、人間!」「一旦退却だ!逃げろ!!」から『偶像に世界を委ねて』のイントロが流れて、背景がこれまでと逆に後方から前方にスクロールしてラスボス戦開始という導入で盛り上がりがマッハ。そこから2スペル凌ぐと摩天楼の見えるレトロフューチャーな背景で戦い、更に凌ぐと「人間よ、よく耐えた!まもなく応援が来るぞ!」からの大量の動物霊アイテムの応援。そこから自機は常にハイパー化状態を維持し、猛烈な火力で袿姫に反撃を行うという流れ。美しい!最高!ベネ!

いや、ベントラーの悪口言ってすまんかった。まさか「動物霊たちの応援」という表現をこれを使って行うとは…。
仲間たちの応援で最後の戦いに挑むって盛り上がりの鉄板ですが、それをゲームシステムを利用して描くのだから見事というほかない。しかも「一旦退却だ!逃げろ!!」と一旦落としてからの逆転をたった7スペルで演出し切るのだから。
このストーリー感を持った戦闘演出は妖々夢幽々子戦以来の出来なんじゃなかろうか。

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そして東方虹龍洞ですよ。
妖々夢をWin東方の原型とするならば、虹龍洞はカード装備システムをトッピングしたもの。カードのツモに展開が左右されるのは、まるでSlaytheSpireのようなランダム性があって毎回違ったプレイが楽しめるのですが、虹龍洞の本質は別のところにあります。
虹龍洞は久々に出た「原型に近い東方」なんですよね。ここで言う原型ってのは東方妖々夢を指してますけど、直近の作品から遡ってみてもベントラーシステムの鬼形獣、季節システムの天空璋、完全無欠モードの紺珠伝と比べてもより複雑性の度合いが低い。STGとして変化球の要素が少なく単純に遊べるのが虹龍洞の良いところだと思いますね。

オタクたちはただひたすら東方Projectを愛し、続けてきた。これから先もそうでしょう。東方の新作が供給されるたびに、己のDNAに刻み込まれた何かを思い出すことになるでしょう。

神主へ。
いつまでも元気で東方を作り続けてくださいね(小学校の社会見学並の感想)