当たり判定ゼロ

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2045年のファイナルファンタジー7

(CM)
神羅カンパニーからミッドガル市民の皆様へお知らせです。
この先には『FINAL FANTASY Ⅶ  REMAKE』のシナリオへの言及があります。
物語を新鮮に楽しみたい皆様は、このままテレビの電源をお切りください。
神羅カンパニーは、市民の皆様の明るい生活と未来を応援しています。
(CM終わり)
 
(CM)
君は、クラウドを覚えているか? 
君にとって、今でもバレットは頼れる仲間か? 
君の選択は、星を救うことか? エアリスを救うことか?
ーー ファイナルファンタジー7 2045年12月 再始動...
(CM終わり)
 
2045年の今、3度目のFF7がリリースされようとしている。往年のファンを中心にネットスフィアは大盛りあがりだ。ゲームシステムはどうなるのか? どういう演出でミッドガルが描かれるのか? 今度はエアリスを助けられるのか?
 
不思議なことに、リメイク作というものは、それを遊んだことがなく全ての要素を新鮮に楽しむことのできるはずの新規ファンよりも、既に結末を知っているはずの既往プレイヤーの方に人気がある。
大河ドラマと似ているかもしれない。明智光秀山崎の戦いで破れ、落ち武者狩りにあって殺される結末を知っているにも関わらず、人々は光秀の物語に興味があるし、光秀は家康の側近「天海」となって江戸時代まで活躍したというifまでも楽しんでいる。なぜだろうか。
 
それを語るには、少し昔話をさせてほしい。
 

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前作である2度目のFF7がリリースされたのは、ちょうど今から25年前にあたる2020年だった。
 
FINAL FANTASY Ⅶ  REMAKE』(以下「FF7R」)と銘打たれた同作は、初めてFF7をプレイする層を取り込みつつも、特に原作をプレイしたファンを中心に盛り上がりを見せた。人が生きる限り歳をとるならば、ファイナルファンタジーというブランドも少しずつ歳をとるということだ。
 
FF7Rのシナリオは、オリジナルのFF7の存在を前提として書かれている。
オリジナルのFF7には存在しない「フィーラー」という存在が登場し、FF7Rの歴史が原作の「正史」から外れることのないように導いていく。当然FF7Rに登場するクラウドたちは正史などという存在を知っているわけがないから、フィーラーたちの行動のワケがわからない。
では、なぜそもそもシナリオで「正史」を匂わせる必要があるのか。それは「正史」を知っている人間がここにいるからだ。クラウドではない。正史を知っているのは、画面の前のプレイヤー、そう、あなたのことだ。
 
ミッドガルからの脱出シーン、一本道の高速道路でエアリスは「ここ、分かれ道だから。運命の分かれ道」と言う。ここがなぜ分岐点になるのか、知っているのはクラウドではない。プレイヤーだ。ここで分岐を選ばなければ、エアリスはセフィロスに殺され、ホーリーはメテオを防ぎ、星の未来は守られることをプレイヤーは知っている。
しかし、エアリスはクラウドを通じて、ここから「正史」と異なる未来を選択できることを画面の向こうのプレイヤーに提示している。
 
そしてセフィロスだ。FF7Rの最終決戦において、セフィロスクラウドと剣を結びながら「覚えているか?」「懐かしくはないか?」と呼びかける。当然背景に流れるのは「片翼の天使」だ。しかも、序盤の強めのアレンジから徐々にオリジナルの曲調に寄せてくる遷移は聞き手の心情を読み尽くしているとしか思えないほどで、曲を聞きながら必ずこう思うはずだ。「覚えていないわけがないだろうが…」
セフィロスもまた、クラウドを通じてプレイヤーに対して話しかけている。
 

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2020年から更に遡ること23年。1997年に発売されたオリジナルの『FINAL FANTASY Ⅶ』は日本では約400万本もの販売本数を記録し、多くの若者、子どもたちに遊ばれた。それから23年が経っても、その体験は彼らの人生の一部であり、中盤でエアリスが離脱して驚いた思い出であり、セフィロスがカウンターのマテリア一撃で死んで笑った経験であり、早く先のシナリオを見たくてダッシュで家に帰った記憶なのだ。
 
「懐かしくはないか?」という言葉は、セフィロスの声を借りて発された1997年からの声だ。
23年の歳月の有無によって、この言葉の重みは全く違う。クラウドがフィーラーを打ち破る文脈も「正史」の知識がシナリオの前提となっており、FF7Rは明らかに1997年を通過してきたプレイヤーの方が楽しめるように作られている。
 
さて、このまま2023年にPS5で発売されたFF7Rの完結作についても語りたいところだが、長くなってしまったので昔話はここまでにしよう。
 
 
話を2045年に戻す。
 
わざわざ25年前の話をした理由は、「リメイク作は、当初の顧客に接着し続けていく」ということを伝えたかったからだ。
今作『FINAL FANTASY 7』は、前作のFF7Rとは全く違う演出・シナリオを展開することを伝えるために、あえてオリジナルの『FINAL FANTASY 7』と同名のタイトルとして発売される予定だ。以下、オリジナルと混同するので本作を『FFⅦ 2045』と記載する。
 
FFⅦ 2045』の発売元であるスクエニカプコン(SEC)の広報担当はこう語る。
「もちろん若い方々に新たに『FFⅦ2045』の世界を体験してもらうことも期待していますが、今作のメインターゲットはオリジナルのFF7やFF7Rを遊んだ40代以上の層を想定しています。オリジナル、FF7Rと遊んできた方々に、昔の良かったところはそのままに、新たな解釈での神羅アバランチ、ミッドガル、そしてクラウドたちの物語を体験してもらおうと考えています」
 
ゲームを遊んでいた子どもたちが大人になり、中年になり、ゲームの顧客層の年齢層が上にシフトしたことで、「中高年層」という新たな市場が誕生した。そして、彼らをターゲットとしたゲーム群が生まれ、それらは(若者からは揶揄する意味も込めて)「時代劇もの」と呼ばれた。
「時代劇もの」とは、リピーター層を支持基盤とするリメイク作のことだ。
 
リメイク作が「時代劇もの」と呼ばれたのには理由がある。
 
ゲームとは言え、過去に描写され、存在した世界設定やキャラクターである。それら過去の舞台装置を現代に再びフィクション化することは、ちょうど時代劇をやることに似ていたからだ。しかし、「時代劇もの」といえど、単純に過去作をそのまま再現しただけでは面白くない。今のテクノロジーでの映像技術や違う切り口でのシナリオ解釈によって味付けすることで、新たな作品として昇華して、はじめてプレイヤーに満足を提供することができる。映像作品の「関ヶ原」が作られるたびに、シナリオや演出を変えて提供されるのと同じことだ。
関ヶ原」は、歴史としての関ヶ原の戦いを知らなくとも楽しむことができるが、東軍が西軍を打ち負かすという大筋と、その中の小早川秀秋の裏切りや大谷吉継の奮闘を知っていればより楽しさが増す。時代劇とは、過去に得た知識の文脈の延長線上にあるエンターテイメントだ。
 
同様の楽しみはゲームにも生まれた。ファイナルファンタジーのみならず、2030年にはクロノ・トリガーのリメイク、2032年ゼノギアスのリメイクが作られ、新時代の演出が付け加えられて大ヒットしたことを覚えておられる方もいるのではないだろうか。それらの主要購入顧客層は40~50代の中年世代だった。
もちろん原作を大幅に改変したシナリオにより物議を醸したこともあった。だが、織田信長が本能寺で逃げ延びた歴史のifを描いてもいいように、原作のシナリオに従うだけがリメイクではない。時代劇に大事なのは皆が同じ文脈で共有している舞台装置を使うことであって、ゼノギアスのリメイクに不満であれば、同じ舞台装置を使って別のリメイクを作ってもよいのだ。
そして、脈々と続いたゲームの時代劇化の流れの中に『FFⅦ 2045』のリリースは位置づけられるだろう。
 
日本初の職業映画監督であり、日本映画の父と呼ばれた牧野省三は、映画製作の三要素として「1.スジ(シナリオ) 2.ヌケ(映像技術)、3.ドウサ(演技)」を掲げた。これはゲームにおいてもリメイクの観点としても使うことができる。シナリオを変えるか、新しい映像技術により演出を変えるか、キャラクターの描き方を変えるか、そこに演出における工夫の余地がある。
 
FFⅦ 2045』を、牧野省三の映画製作三要素を借りて順番にチェックしていこう。詳細は明らかにされていないものの、シナリオ面では神羅カンパニーの特殊工作員タークスにスポットを当てるストーリーが考えられているという。また、技術面ではVisionEyeに対応しており、より強いミッドガルへの没入感を体験できるということだ。キャラクターも、他人への目線の向け方が人によって違うなど、「無意識のレベルでのリアリティ」に力を入れているとのことだ。
 
FFⅦ 2045』は、FF7Rよりもオリジナルに似ていると考えられているが、シナリオ上で起きる出来事が同じだったとしても、その間はミッシングリンクであり、出来事と出来事を繋ぐイベントを描くことは演出の自由だ。
特に、タークスの出番が多そうだと示唆されていることで、過去作よりもイリーナの描写に掘り下げがされるのではないかと期待されている。「美人でおっちょこちょい」なイリーナは、第4のヒロインとなれるポテンシャルを秘めていると一部のファンは大盛りあがりだ。
しかし、昔には考えられないことだったが、彼らファンの主要な年齢層は40代を超えている。
 
かつて、中高年層向けには、ゲームはボケ防止や健康維持などのヘルスケアとして機能することになるだろうと考えられていた。
 
それも間違いではない。が、それ以上に彼らは「物語」を求めたのである。
彼らはクラウドのこともエアリスのこともセフィロスのことも知っているし、原作で彼らがどんな運命を辿ったのかも知っている。
それでも新たに作られる『FFⅦ 2045』でのティファやエアリスのデザインがどうなるのか彼らは楽しみにしているし、イリーナの掘り下げた描写にも期待している。そして、ゴールドソーサーではどんな遊びが提供されるのかワクワクしているし、セフィロスと再び戦えることを待ち望んでいる。
 
そして『FFⅦ 2045』で初めてFF7に触れたプレイヤーは、『FFⅦ 2070』のリリースを楽しみに待つ日が来るかもしれない。
 
時代劇は死なず。ただデジタルに形を変えるだけだ。

スマホゲームの「お知らせ」欄に個人のキャッシュカードの暗証番号を載せてしまった事例

人から人にものを伝えるというのは大変なことです。
 
話し手は言いたいことの50%程度を言語化できればいいところでしょうし、聞き手は言っていることの50%を理解できていれば大したものでしょう。
とすると、50%×50%=25%で、話し手が伝えたいことの25%しか伝わっていないのがコミュニケーションの難しさかと思います。
なので、そのロス率も踏まえてコミュニケーション論では「伝えたいことを繰り返し何度も話せ」となるわけですね。
 
これはまた文章も同じ。文章だって、作家さんですら伝えたいことをどう言語化するかに苦心していますし、我々も本を読んでて書き手が伝えたいことをすべて拾えているとは自信を持って言い難い。円城塔の本を100%理解している人とかいるのか。
加えて、文章には冗長性の問題もあります。長く書かなければ言いたいことは伝えられない。しかし長すぎては読んでもらえない。これが文章の難しいところであり、情報単価を上げるために細心の注意を持った言葉遣いをする必要のあるところです。
 
昔のファミ通に「うちの兄ちゃんは言葉のあるゲームは遊びません」というネタがありましたが、ユーザーへの連絡事項のあるネットゲームやスマホゲームではそういうわけにもいきません。
特にアップデートの多いスマホゲームの担当者は「いかに少ない文字数でユーザーに効果的に情報を伝えていくか」に日夜苦心されているのではないかと思います。お察しいたします。
 

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それで何の話かと言うと、今日は八月のシンデレラナイン(ハチナイ)の話なのですが、このゲームではそんな貴重な「お知らせ」欄を山口プロデューサーからのお手紙が掲載されるなど好き勝手使っているのが特徴です。

いや、プロデューサーレターで直接考えを届けてくれるとか、ユーザーとの距離がすごく近くて良いことなんですけど、これが少し内容が個性的(婉曲的表現)なため、ハチナイプレイヤーである監督の皆さんからは『怪文書』と呼ばれています。
そう、ハチナイユーザーの8割は山口Pの怪文書を読みたくてゲームを続けていると言っても過言ではない。
 

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例えば今月の更新分はこんな感じ。確かに不具合続いていたけど、それに絡めて聞いてもいないアカツキの人事異動の話をブッこんでくるのにドキドキしちゃう。このナチュラルな「えっ、それここに書くの?」という分別のなさが山口Pの魅力。こんな話が当たり前のように繰り出されてくるのだから、毎月のプロデューサーレターを楽しみにしている気持ち、おわかりいただけたでしょうか。

 
そして前代未聞のキャッシュカード事件がこれ。
 

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キャッシュカードの暗証番号0521ですってよ!!
当時、リリースされて1年も経ってない中で、ゲームの更新お知らせ欄に自分の誕生日書くだけでもわけわからんのに、キャッシュカードの暗証番号まで載せだすのなんなの…。「Oh,ごっついぃ」と親切に覚え方までレクチャーしてくれる有様。
これは相当ヤバい奴が作ってるぞと全ハチナイプレイヤーを震撼させるだけの謎の更新だったわけですが、一体何を食べたらお知らせに自分のキャッシュカードの暗証番号を書こうという発想に至るのか。そこに辿り着くまでのプロセスが一ミリも理解できないあたりにナチュラルな狂気がある。「あっ、今月はゲームを遊んでくれてるみんなに俺の暗証番号教えてあげよっ!」ってならないだろ普通。
 
おまけに、ハチナイはキャラクターの誕生日のときに石1個配ってるんですけど、山口Pは自分の誕生日のときに石のカケラ39個(石換算で7.8個)配ってて、キャラクターより自分を優先する異常者扱いされてた。
 

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なんか仕事もやる気が出ない事件。令和の代表作といえばやはりこれ。
アップされたのは令和元年8月で、山口Pの言うとおり令和に入ってから暗い事件が続いていました。7月には京都アニメーションの放火事件もあり世情が暗く沈んだ時期でした。確かに気持ちはわかる! 気持ちはわかる……、それに結局のところ文章の最後は「みんな暗い気持ちなんだけど明るい気持ちになれるようがんばります」で締めるんだけど、さすがにこれを読んでても「ついに山口壊れたか?」以外の感想を出すの普通の人には無理でしょ。
何度も言いますけど、これゲームの更新お知らせ欄ですからね。
 

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勝手に盗塁するな事件。
ハチナイといえば、日本シリーズのノムケンかよというくらい何度刺されても勝手に盗塁してランナーを殺しまくるので、22安打3得点とか平気でするゲームだったのですが、全く改善される予兆がありませんでした。

そんな中、何ヶ月に1回か運営の気が向いたときに開催されるユーザー同士の対戦で順位を決めるランクマで、あるとき「勝手に盗塁するな高校」が全国1位を取り、監督の皆を笑わせてくれました。
ハチナイは全国1位の高校を表彰するとき、キラキラ~っと演出して溜めたあと、バン!と高校名を出すから、「勝手に盗塁するな」とかデカデカと出てきたらそりゃ笑いますって。
それに対し後日、盗塁が少なくなるようなバランス調整が行われ、発出されたプロデューサーレターがこれ。優勝高校名と一言一句同じ言葉であることからちゃんとランクマの優勝校に敬意を払った表現であることは明白…!
高校名を変更してまで全国1位を取って山口Pに意見を伝えてくれた「勝手に盗塁するな高校」ありがとう!
 
ちなみにこれには後日談がありまして、減ったとは言え盗塁は依然多めのバランスだったので、その後行われたランクマで「まだ勝手に盗塁多農業」が全国2位を取っていました。
 

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やっぱりハチナイは野球表現がザルだな事件。
リリース初期の頃、個人成績の表示がなかったり、ランナー満塁で内野安打打ったらランナー全員生還して3点入ったり、右打者を並べたら「ライト線注意!」のスキルが発動したり(普通はレフト線注意。後日修正された)、野球面ではボロクソ言われていました。それでも少しずつ良くなってきたのですが、ある時タイトル画面の表示をリニューアルしたら、そこには「5vs4」で延長戦に突入しているスコアボードの姿が!
さすがにこれは野球ゲームとしてありえないミスだろうということで早々に差し替えされ、山口Pからの反省のお言葉が出されることになりました。
 

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ハチナイまんじゅう事件。
しかしながらハチナイは野球以外のところではわりと強くて、「ハチサマ」というライブイベントまでやってたりします。

ただこのハチサマは非常に運が悪く、2019年10月に予定していた第3回の開催は台風の影響で中止。そして2020年4月に予定していた第4回はコロナウイルス感染症の影響で無観客開催とやたらと幸がない。なので山口Pも「ぐ、ぐもも~~~」と苦悶しだす始末(半年ぶり2回目)。いや、わかる。この手のイベントとか相応の期間をかけながら、多くの人にお願いしたり調整したりと手間暇かけて取り組んでるはずです。多分この「ぐもも~~~」は泣きたくなるほどの「ぐもも~~~」。twitterにおける「にゃ~ん」みたいなもんです。
 
ただ、しれっと書かれてる渾身の企画「ハチナイまんじゅう」ですよ。ゲームメーカーとまんじゅうは本当に相性が悪いですね。まんじゅう在庫、販売用だと相当あるはずなので、1週間くらいスタッフみんなでまんじゅうばかり食べてたのでは。まんじゅうこわい
 

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野球ゲーム事件。
これは怪文書ではないのですが、あるとき『Q&A50本ノック』と銘打って、これまでアンケートで寄せられた意見への回答がお知らせ欄に載せられたことがありました。
まずQ19。ハチナイは野球ゲームなのですが美少女ゲーでもあるので、キャラクターの魅力を描写するために野球以外のシーンを描くことが多く、「もっと野球してほしい」という要望があったもの。私もそれについては気になっていたので以前調べてみたのですが、2019年4月時点で野球やってる率は約40%という結果でした。
 
いや、いいんだ。美少女のイラストはそれだけで最高だし、ましてやハチナイの絵師はやたらと可愛く描く技術が高くイラストアドは強い。それだけで満足なんだ。ただ、「もっと野球をやってみては?」と言われる野球ゲームはさすがに初めて見たな…。
 
そしてQ50「試合をスキップする機能を実装してほしい」。もうそれ野球ゲームですらないよね。野球機能がいらないと言われる野球ゲームもさすがに初めて見たな…。
 

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これらの怪文書は毎月消えてしまうので、過去に遡って見ることができません。
しかし、歴史に埋もれさせるにはあまりに惜しく、一旦ここらで記録を残しておきたいと思い整理しましたが、例えばこのように年末年始とかはちゃんと挨拶もしてるし、時々ちゃんとした文章を書いていることがある事実を補足しておきます。これもちょっと上の方に怪しい文字が見えていますが…。こいつホントいつも謝ってんな。
 
山口Pの怪文書を読めるのは、八月のシンデレラナインのアプリだけ!
毎月楽しみにしています。次回はキャッシュカードではなく、クレジットカードの番号を載せてもらえるとありがたいです。
 

三国志14、蜀の天然の要害が再現され過ぎてエモい

「問題です。三国志で蜀を建国した…」ピンポォン!!
「中山靖王劉勝の末裔!!」
「正解!早かった!問題は『三国志で蜀を建国した劉備は、一体誰の末裔と名乗っていたでしょうか?』というものでした」
 
冷静に考えれば2000年以上も昔の人物で、しかも皇帝でもない「中山靖王劉勝」なる人物が外国である日本でかなり知られていることは異常な光景じゃないですか。例えば平安時代の関白、藤原基経の次男の藤原仲平のことを中国人が知ってたらわりと怖いし、劉勝も皇帝の息子という点で似たようなポジションではないかと思うのですが、なぜか日本人は知っている。
 
あぁ、これが三国志脳…。
武漢」と言われてもどこかわからないけど「荊州」と言われると「あの辺りか」とだいたいわかるし、「北京」の位置は知ってても「幽州」と言われると「思ったより北にあるんだな」というイメージに変わる。現代でも日本で一番有名な中国人はと言われれば習近平ではなく諸葛孔明のような気もするし、日本文化の結構深いところまで三国志のDNAは入り込んできているんじゃないですかね。陳寿裴松之らが伝えた世界に吉川英治横山光輝シブサワ・コウが道を築いて今の我々が歩いていることは、先人たちが繋いできたちょっとした奇跡です。
 
そんなわけで三国志ですよ、三国志。久々に三国志シリーズ遊んでるんですよね。
三国志は1~9まで皆勤賞だったんだけど、なぜか10を買わなかったら13まで遊ばずに、この前発売された三国志14を久々に買いました。
 
結論から言うと、三国志14は最高の戦略ゲームではないかもしれないけど、最高の『三国志』ゲームでした。
 

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今作は中国全土の一枚マップが採用されていますが、勢力はそのマス目ごとに分かれていて、出兵したユニットは敵の陣地を塗りつぶしながら自分の陣地を増やして進むことになります。このとき、ユニットの兵糧の供給は「自分の城と繋がっている限り供給される」ルールなので、必然的に兵站の確保が重要になります。逆に言えば、一直線に敵の城に突っ込んで兵站を切られたら死ぬので、敵の城を攻めるときは兵站が切られないように周囲からジワジワ敵の勢力を削っていく攻め方が王道の動き方になります。
それに加えて、自勢力以外の領土を進むときの行軍速度が遅いので、「敵が領土内にちょっかいかけてきた」というのを見てから動けるというのもあり、攻城戦ではなく平地戦が発生しやすい感じ。
 
いや、なんでわざわざこんなゲームシステム説明したかというと、「自勢力以外の領土を進むときの行軍速度が遅い」というところに最高のエモポイントがあるんですよね。加えて、地形効果もあって高い山を進むと更に行軍速度は遅くなるし、士気はガンガン削れていく。CPU同士の戦いでも「主力が山を超えて敵の領地を攻撃してたら、本城が落とされて主力が戻りきれず滅亡した」ということがありがちなくらい山道の行軍が厳しい。そんな地形の厳しさがある。
 
と、なると三国志脳に真っ先に思い出すのがあれですよ。『蜀の桟道』。
蜀という国は魏の4分の1程度の国力とされながらも、長年に渡り他国の侵略から免れてきたのは自然の要害があったからです。
西暦263年に魏の大将軍司馬昭が蜀征伐の軍を興し、鍾会・鄧艾の大軍を差し向けても、この堅牢な自然があるからこそ国家として衰弱していた蜀でさえある程度は持ちこたえられたわけです。
結果として蜀に押し寄せた魏軍は剣閣を攻略できず、鄧艾の別働隊が陰平から綿竹関に抜ける険しい山岳地帯を進み、山に穴を開け、谷に橋をかけながら700里進んで、ついには成都に辿り着き、これを直接急襲することで蜀は滅亡に至りました。
それほど自然の要害を攻めるのは大変だし、山道で要塞を固められたら落とすのは難しいということですね。
 
三国志14,これを完全再現できる。
 

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三国志14では虎牢関や陽平関などの関の耐久度が、城よりも高く設定されていてとにかく硬い。
剣閣も同様に高い耐久度になっていて同様の条件で見ても堅牢なのですが、虎牢関と違ってそもそも剣閣は山奥にあるので、まず辿り着くのすら時間がかかって士気が落ちる。しかも漢中からは遠いのに剣閣の裏の梓潼はすぐそばなので、攻撃側は補給が困難で防御側は補給が容易。全体的に三国志14で最も攻略しづらい関となっていてそりゃ鍾会がキレるのも納得ですわというレベル。
 
しかし、案ずるなかれ、マップの左端を見ると細く険しい山道が一本だけ通っていて、補給無視してそこを通れば剣閣を抜けなくとも直接綿竹関にたどり着くことができて、そこを抜ければいきなり成都を急襲できるようになってるんですよね。まさに鄧士載の山越えルート。こ、これだよ…コーエー
 
私がプレイしてるときも、CPUが蜀を占有している場合は後方の兵を国境に置くので、剣閣に5万もの敵の兵が駐在してて何ヶ月経っても落ちず困って、しびれを切らして山越えルートやってみました。
武都・陰平から山岳地帯に入って綿竹関に向けて進み続けること3ヶ月。1ターンに3ヘックスくらいしか進まない行軍を続けて、ようやく綿竹関が見えてきた……というタイミングで綿竹に到達した自分の兵の士気を見ると約1/3まで落ちてました。敵の兵は万全で、味方の兵は弱っている。しかし、もう戻れない。眼前の綿竹関を落とすしか生きる道は無い、という鄧艾の気持ちまで完全再現。これだよ、コーエー
 
このあと綿竹関を落として全然兵が駐在してない成都もそのまま陥落させたけど、それでもまだ剣閣は落ちる気配すらなくて、横山光輝三国志60巻のシーンそのままでちょっとエモすぎた。これは「三国志」だ。我々の頭の中に染み付いた「三国志」がここにあった。
 

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武将の個性についてもメリット・デメリット含めて設定されていて、黄忠はそもそもステータスが高いけど老年になるとステータスが加算される「矍鑠」という個性がついてて更には一騎打ちも優遇されているので結構強い。一方で、「癇癪」持ちなので挑発食らったら治らなかったり、「功名」によって「追撃不可」「事後退却」の設定ができないので敵が退却したらひたすら誘い込まれていったりする。
馬超も「猪突」がついてたりするので、敵を見たら必ず突撃していく。退却するべき局面でもひたすら突っ込むので兵の消耗が大きいし、わりと平気ですぐ壊滅したりもする。
 
この「強いけど使いづらい」感。これでこそ黄忠であり、馬超なんだよな。
本作では呂布も鬼のように裏切るので、捕らえたら史実どおり切るのが正解。裏切り覚悟か、裏切らせないような場所で使ってもいいんだけど、結局内政もできないし「猪突」「悪名」「短慮」とバッド個性多いので扱いに困るんすよね。いやぁ、まさに呂布だ。
  

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そして、三国志といえば公孫瓚ですよ。兀突骨と並ぶ人気キャラですね。三国志が好きな奴に公孫瓚が嫌いな奴はいねぇ(断言)。
 
簡単に説明すると、公孫瓚は白馬で固めた騎兵を主力として幽州を支配した将軍で、彼の騎兵は「白馬義従」と呼ばれました。後に冀州を基盤とする袁紹と対立し、「界橋の戦い」で両雄は決戦に臨みました。
公孫瓚はこのときも自慢の白馬義従に突撃を命じるも、袁紹軍の将軍麹義の部隊による弩で白馬義従が倒されたことをきっかけに壊滅的な敗北を喫したことで覇権争いから脱落しています。界橋の戦いで破れた後は、連戦連敗を重ね、ついには易京に巨大な城塞を築いて引きこもりますが、袁紹に城塞の下に地下道を掘られて攻め込まれ、最期は妻子ともども自害して果てました。
 
界橋の戦い袁紹でなく公孫瓚が勝っていたならば、官渡の戦い曹操と対したのは公孫瓚だったのかもしれないですが、ともかく「白馬義従」やら易京の巨大要塞やらイチイチ作るものにアクが強い公孫瓚三国志全体で通じてみればわりと序盤でいなくなる人物ですが、キャラの立ち具合では屈指と言えましょう。
 
三国志14には、連環の計や三顧の礼等の歴史イベントのほか「劉備後漢皇帝を擁立する」とか歴史にない出来事の達成イベントも用意されているのですが、「劉備曹操を倒す」「反董卓連合軍で董卓を倒す」という定番のラインナップの中に「公孫瓚袁紹を倒す」もあって、一瞬エッと思うくらい公孫瓚への愛が感じられます。「~で曹操を倒す」が並ぶ中、曹操と反董卓連合絡み以外は唯一公孫瓚があるだけという優遇っぷり…。
公孫瓚は固有戦法まで実装されてて、その名前はもちろん「白馬義従」。シビれる。
 
三国志14は、成都急襲ルートの士気減少バランスとか見ても「三国志」が好きな人が作ったんだろうなぁと感じさせるものがありますが、そうなるとやはり三国志が好きな奴に公孫瓚が嫌いな奴はいない説が真実味を帯びてくる。ぜひ三国志が好きな人から愛された公孫瓚袁紹を打ち破り、絶対中国を制覇してくれよな。
 

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そういや本題とは関係ないんですが、発売前に話題になってた銀英伝の無料DLCがいよいよ実装されるというので見に行ったところ、この能力設定が良い…。
 
ラインハルトはナチュラルに能力が高くて固有戦法も更にバフをかける王道的な強さですが、ヤンはラインハルトに知力以外は劣るものの「回避不能の全状態異常付与」というアホみたいに強い固有戦法持っていて、多分普通に戦うとヤンが勝つ。
ただし、キルヒアイスがいた場合、固有特性に「範囲内の状態異常期間短縮」があるので、多分ラインハルトが勝つんですよね。そうなんだよ、ラインハルトがヤンに勝つ条件は「キルヒアイスがいること」なんだよな。
 
コラボDLCだから単にキャラ入れとけばいいや、ではないところが素晴らしい。
キャラゲーのシミュレーションは数字そのものが大事じゃないんだ、数字で何を表現するかが大事なんだという気持ちがすげえ伝わってくるんだぜ。

ドマ式麻雀にまつわるエトセトラ

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基本的に誰かが麻雀の話を始めたときは「俺は麻雀が強い」という自慢を薄く引き伸ばしただけなので全件聞き流していいのですが、それはそうとFF14クリアしました。ゴールドソーサーにたどり着き、本編であるところの麻雀を開始して苦節3ヶ月。146戦でレート2008に到達して『MahjongMaster』の称号を獲得したんすよ。おかげで3ヶ月遊んでもまだイシュガルド入ったところだぞ。雀荘しか行ってなかったので。というわけで今日は麻雀の話をします。
 
有名な話ですが、FF14は麻雀を遊べる唯一のMMOでして、作中では「ドマ式麻雀」として東方から持ち込まれた文化としてプレイヤー同士で麻雀を遊ぶことができます。何でMMOでまで麻雀をやらねばならんのかは置いといて、多くの光の戦士がエオルゼアを放ったらかして雀荘に入り浸りとなりました。何でもプロ雀士までいるとかで、若葉マークで雀荘来る奴には気をつけろという話までありました。
 

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ただ、ドマ式麻雀を天鳳や雀魂等の麻雀アプリと比べると、正直劣るところが多いのも事実。
まず、システム面においてドラ表示牌がドラそのものという点。例えば「中」がドラ表示牌だとすると、通常の麻雀ルールだと「白」がドラなんですけど、ドマ式麻雀では「中」そのものがドラなんですよね。このとき本当のドラ表示牌は「發」なので、「發」が1枚少ないんですよ。これ忘れてしまう。「發」が1枚切れの状態で「發」を2枚重ねたら「あと1枚あるな」と思っちゃうけど実際は無いんですよね。一方で「中」はドラ表示牌で見えているにも関わらず、あと4枚あるので、計5枚見えることになる。見えてない牌を勝手に1枚消すんじゃねぇ……!としか言いようのない不条理で、普段麻雀やってる人間ほど忘れてしまう穴になってると思います。
たぶん初心者や外国人向けにそうしたんだと思いますけど、だとすると「中」がドラのとき「發」が1枚少なくなってるのプレイヤーに絶対伝わってないでしょ。ドラ表示牌はあくまでドラ表示牌であって次の牌がドラなのだと、何らかの形でわかるようにしてあげたほうが初心者雀士の今後のことを考えても親切だったはず。それが麻雀の本当のルールなのだから。
 
観戦機能と牌譜の再生機能が無い点もつらい。「上手い人のやり方を見て覚える」「過去の振る舞いを反省して改善する」は古今東西いつだって上達の最善手。麻雀も例外でなく、上達に行き詰まったら上手い人の牌譜見て打ち回しを勉強させてもらうのが一番なんすよね。データが少ないのも苦しい。上下するレートと累積ポイントの段位の2段階くらいの表示しかなく、和了率や放銃率のデータもないので「ちょっとオリすぎかな…」などと自分の打ち方の分析や反省もできないのはキツい。
全体的に自らの打ち方を自省するような仕組みが整ってなくて、上達のための努力をシステムがサポートしていない感じです。いや、何でFF14で麻雀うまくする努力が必要なんだと言われても困るのだけど…。
 
あと、牌を切るまでに与えられた制限時間が長いので、天鳳と比べると長考する人が多くてプレイ時間が長くなりがち。この制限時間の長さも初心者向けという感じありますね。長考する人がいるとわりと暇になるところもあるので、「明日の昼ごはん何食べようかな」とか考えるといいです。間違っても「私は本当に今生きてると言えるのか。死んだら意識はどうなるのか」とか考えだしたらダメ。時間ができると人間良くないことを考えがちなので気をつけて。
 
プレイヤーのレベルとしては、「ドマ式麻雀一般卓=天鳳一般卓」「ドマ式麻雀有段卓=天鳳上級~特上~鳳凰卓」という感覚が近い。2段階しかレベル分けがないので、有段卓にピンからキリまでごった煮になってる。序盤から大明槓してくるマンと雀プロが同じ卓で戦っているのはカオス。なので、快適で高いレベルの環境を求めたければ今でも天鳳鳳凰卓が鉄板というのは引き続きあると思いますね。
とはいえ、ドマ式でも強い人は強くて、何回か打つと「この人はヤベェな」という人は出てくる。その人とダンジョンでマッチングすることは全く無いけど、麻雀だと何回も会うし、対局中ずっと名前見てるんだから嫌でも名前覚えることになりまして。
そう考えると、コンテンツファインダーで一緒に冒険する人の名前はさっぱり覚えないけど、一緒に麻雀打つ人の名前だけはやたら覚える仕組みになってるんですよね。麻雀はFF14ゲーム内において、知らない人の個別識別を最も行いやすいコンテンツなんじゃなかろうか。いや、だからといって「一緒に冒険でも行きますか」ってなったことないですね。はい。
 

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全体的に麻雀ゲームと見ると苦しいところのあるFF14ですが、それら欠点を補ってあまりあるのが「自分のキャラで打てる」という点。
基本的にMMOの自キャラに対するプレイヤーの気持ちは、犬の飼い主の心理状態と同じで「うちの子が一番かわいい」というやつですよね。自分が打ってるんじゃないんですよ。うちの子が打ってるんです。そういう付加価値があるんですよ。そういう意味で言うとこれはもうQMAなわけですよ。雑学オタククイズ大会に美少女のガワを被せただけで大ヒットになるんだから、ガワってのは大事なんだなという教訓がある。要するに人間なんて自分の好きな画像が表示されていればそれでいいと言ってしまえば身も蓋もないけれど、だいたいそれで合ってる場合が多い。
 
麻雀はロボットバトルに似ていて、お互いが事前に組んできたプログラムを本番環境で競わせてどちらが効率的かを競う遊びみたいなもんですね。人間の手はプログラムを実行しているだけで、勝負は卓を囲む前から決まっているようなもんです。センゴク武田信玄も「戦う前に勝負を決めよ」と言ってた気がするし、やはり甲陽軍鑑はいつだって正しい。
その観点では卓に着く前に自分の麻雀プログラムをいかに磨き上げられるかが麻雀に強くなるポイントだと思うのですが、その場合の今でも鉄板の回答は「とつげき東北の『科学する麻雀』読んどけ」になろうかと思います。あの本は発売から15年が経ってるけど、未だに内容は現役。これ一冊読んでればだいたい大丈夫だと思うし、『科学する麻雀』に書いてることを徹底すればMahjongMasterくらいなら届くと思います。
 
それでも麻雀は4人で遊ぶゲームなので単純計算で4回に3回は勝てないことになるし、そういう目で見るとプレイ時間の75%は我慢を続けて脇役に徹するプレイングが必須というゲームに位置付けられるでしょう。「おりる技術」は「あがる技術」の3倍重要。麻雀は主演俳優ではなく名脇役が勝つゲーム。なので前に出ずに心を殺し続けることがわりと重要になるのだけど、その4回に1回だけのはずの快感が気持ちよすぎて、結論としてほとんどの人に「俺は麻雀が強い」と錯覚させるのは麻雀が優れたゲームであることの証明の一つにはなるのでしょう。
 
以上、最近のFF14でした。

MMOと、人と人と

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FF14にはLodestoneという日記を書けるサービスがあって私もちょくちょく書いてるのですが、あるとき画面のスクリーンショットをアップロードして日記を書いたら「画面狭すぎでは」「カメラを引け」「モンハンでもやってるの?」と各所から大変暖かい励ましのお言葉をいただきました。ありがとうございました。
 
日記、ちょくちょく書いてってるんで良かったら監視していってください。 
 

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で、最近も引き続きFF14やってるんですが、今日はMMOのコミュニケーションの話をしたいと思います。

FF14ではリンクシェル的な内輪でのコミュニケーションが多めになりがちで、UOジェネレーションっ子(UOで初めてMMOを遊んだ人の意)にありがちなのかもしれないけど、どうしてもギルドチャット的なクローズドなコミュニケーションにMMO的な手触りはないよなーという感じがあって。今どきの若い子にはこの感覚わからないかもですが、昔話をすると、戦前から昭和にかけてのMMOでは今で言うところの「Say」によるコミュニケーションが基本で、例えばブリテイン第一銀行前でたむろしながら隣にいる人の会話を見ながらダラダラ過ごすというのが仕事を終えた前世紀のサラリーマンの一般的な夜の過ごし方だったんですよね。
その中で、近くの会話に加わってみたり、知らない鍛冶屋さんに武器の修理をお願いしたりするという出会いが発生して。オープンチャットであるところの「Say」から発生する隣の人との出会いは、さながら新宿のゴールデン街のバーみたいなもんでした。たまたま隣に座ったお客さんは一期一会の飲み仲間。私も初めてギルドに誘われたのは、自分のいかにも初心者っぽい会話を近くで見ていた人から誘われたものでしたし。そう、大事なのは「偶然」なんだ。
 
偶然隣りにいたとか、偶然知り合いと話してるのを見たとか、偶然ダンジョンで助けられたとかの、「偶然」から始まってゼロから人間関係構築のフィージビリティを探っていく感覚は、独特の心理的高揚感があって終始ドキドキします。人間関係においても信長の野望と同じで序盤の構築戦の盛り上がりのようなものはあるわけです。ただしこれにはストレスが伴って、人間同士が文脈を共有するためには相手に配慮しながら徐々にパーセプションギャップを埋めていく流れを消化していく必要があるので、この手続きを踏んでいくのが面倒で好きじゃない人もいるだろうなーというのも理解できます。
 
一方で、ギルドチャット的な(FFで言えばリンクシェルとかの)クローズドチャットであれば、そりゃもう絶対的な安心感があるわけですよ。
クローズドチャットは一種の「ムラ」ではあるので、「ムラ」で事件を起こして村八分になったり、苦手な村人ができて足を運びづらくなるリスクはあるものの、基本的には勝手知ったる人ばかりなのが原則。そこには仲間がいて安心があっても、ムラの外の人は排除されている。
 
FF14の町中にどれだけ人がいても会話がほとんど見られないのは、基本的にソロで成り立つゲームというのもありますが、リンクシェルが便利すぎて(あとゲーム外だとディスコードもあるし)みんながそこに引きこもっているからというのがあります。ただ、それが直ちにダメというわけではなく、文明って多分そんなもんなんですよね。テクノロジーが発達して距離の離れた知人とローコストでコミュニケーション取れるようになると、距離の近い知らない人とコミュニケーション取る必然性って下がるんでしょうね。
 
みんな確かにそこにいるんだけど、お互いコミュニケーション取ってないように見えて、実はそこにいない誰かとコミュニケーションを取っているという光景、どこかで見たなーとおもったらこれ通勤中の満員電車ですよ。電車の中で人が無言でLINEしているように、黙ってつっ立っているように見えるリムサ・ロミンサの人たちは実はリンクシェルで会話してる。
しかし、多分これは現実世界の我々の未来の姿。スマホさえ持つ必要がなくなったとき、きっとこうなる。テレパシー会話は内輪のコミュニケーションを強化して、外部とのコミュニケーションを遮断する。リムサ・ロミンサの不気味な人々は、未来の我々そのものだ。
 
でも、はたしてそういう方向でいいんでしょうかね。
 
だって、だって……知らない外人と出会って「Fack!」と言ったら「oh,Miss spell,Fuck!」と指摘されてその後一緒に冒険したエピソードとかめっちゃうらやましいじゃんよー!あとラグナロクオンラインの『あるアサシンの物語』とかさー。うえーん、私だってそういう経験したいよー!
人は、そんなことありえないとわかりながらも、心のどこかでは自分を巻き込んで冒険に連れて行ってくれる「誰か」を探しているんだ。
 
だったらいっそ、人間のフリをして「出会い」を提供するNPCをブッ込んでみたらどうだろう。
今流行りの「AI」とやらを使えばそういうのができるんだろチミィ(重役の顔をしながら
 
 
あなたは町中を歩いていると、後ろから声をかけられる。
振り返ると「そのファッションいいですね!どこで買ったんですか?」と話しかけてくるミコッテの女の子(のAI)がいた。
別に大したことじゃないと説明しても「センスがいいです!」とべた褒めしてくる女の子(のAI)。いつからかダンジョンに一緒に行こうかという流れになり冒険に出る。女の子(のAI)はあまりゲームが得意でなく、度々ピンチに陥ることもあって冒険は大盛りあがり。「また遊びたいです!そうだ、よかったらうちのフリーカンパニーに来ませんか?」と声をかけられる。
行くあてもなかったので誘われるままにカンパニーハウスに行く。そこいたのは、リーダーシップ溢れるヒューランの青年であるマスター(のAI)、口下手で不器用だけど優しい人柄のルガディン♂(のAI)、自分が中心じゃないと気がすまないのであなたが来たことに少しイラッとしているララフェル♀(のAI)、態度には出さないけどあなたがこれから上手くやっていけるか気にしている心配性のアウラ♂(のAI)、そしてあなたに声をかけてここまで連れてきてくれたミコッテの女の子(のAI)。
彼らのフリーカンパニーに加わることになったあなたは、FCのみんなと厳しいダンジョンをクリアし、何度もリトライしながら難しい蛮神を征伐し、ときにはカンパニー麻雀大会を開いて笑い合ったりしながら、親交を深めていく。そして1年が経ち、あなたはプロポーズに成功し、エターナルバンドで永遠の愛を誓うことになるが、あなたの傍らに佇むのは、あのとき声をかけてくれたミコッテの女の子(のAI)だった。最高……。ファイナルファンタジー14最高……。
 
 
以上の物語体験をプレイヤーに与えることが、ファイナルファンタジー14の開発コンセプトとなります。
 
気が付きましたか?FF14のパッケージの裏側には「プレイヤー人数:1」と書かれていることに。
このゲームはAIにあたかも人間がプレイしているように振る舞わせることで擬似的にオンラインで遊べるように見せかけていますが、本当は1人で遊ぶためのゲームなのです。ゲームの中にはあなたしかいません。
 
最近常時接続が当たり前になったので気がついてない人も多いと思いますけど、試しにルーターの電源を抜いて、そのままもう一度ゲームを起動してみてください。いつもと同じ画面が表示されて、いつもと同じ人達と遊べると思いますよ。

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