当たり判定ゼロ

シューティング成分を多めに配合したゲームテキストサイトです

ドマ式麻雀にまつわるエトセトラ

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基本的に誰かが麻雀の話を始めたときは「俺は麻雀が強い」という自慢を薄く引き伸ばしただけなので全件聞き流していいのですが、それはそうとFF14クリアしました。ゴールドソーサーにたどり着き、本編であるところの麻雀を開始して苦節3ヶ月。146戦でレート2008に到達して『MahjongMaster』の称号を獲得したんすよ。おかげで3ヶ月遊んでもまだイシュガルド入ったところだぞ。雀荘しか行ってなかったので。というわけで今日は麻雀の話をします。
 
有名な話ですが、FF14は麻雀を遊べる唯一のMMOでして、作中では「ドマ式麻雀」として東方から持ち込まれた文化としてプレイヤー同士で麻雀を遊ぶことができます。何でMMOでまで麻雀をやらねばならんのかは置いといて、多くの光の戦士がエオルゼアを放ったらかして雀荘に入り浸りとなりました。何でもプロ雀士までいるとかで、若葉マークで雀荘来る奴には気をつけろという話までありました。
 

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ただ、ドマ式麻雀を天鳳や雀魂等の麻雀アプリと比べると、正直劣るところが多いのも事実。
まず、システム面においてドラ表示牌がドラそのものという点。例えば「中」がドラ表示牌だとすると、通常の麻雀ルールだと「白」がドラなんですけど、ドマ式麻雀では「中」そのものがドラなんですよね。このとき本当のドラ表示牌は「發」なので、「發」が1枚少ないんですよ。これ忘れてしまう。「發」が1枚切れの状態で「發」を2枚重ねたら「あと1枚あるな」と思っちゃうけど実際は無いんですよね。一方で「中」はドラ表示牌で見えているにも関わらず、あと4枚あるので、計5枚見えることになる。見えてない牌を勝手に1枚消すんじゃねぇ……!としか言いようのない不条理で、普段麻雀やってる人間ほど忘れてしまう穴になってると思います。
たぶん初心者や外国人向けにそうしたんだと思いますけど、だとすると「中」がドラのとき「發」が1枚少なくなってるのプレイヤーに絶対伝わってないでしょ。ドラ表示牌はあくまでドラ表示牌であって次の牌がドラなのだと、何らかの形でわかるようにしてあげたほうが初心者雀士の今後のことを考えても親切だったはず。それが麻雀の本当のルールなのだから。
 
観戦機能と牌譜の再生機能が無い点もつらい。「上手い人のやり方を見て覚える」「過去の振る舞いを反省して改善する」は古今東西いつだって上達の最善手。麻雀も例外でなく、上達に行き詰まったら上手い人の牌譜見て打ち回しを勉強させてもらうのが一番なんすよね。データが少ないのも苦しい。上下するレートと累積ポイントの段位の2段階くらいの表示しかなく、和了率や放銃率のデータもないので「ちょっとオリすぎかな…」などと自分の打ち方の分析や反省もできないのはキツい。
全体的に自らの打ち方を自省するような仕組みが整ってなくて、上達のための努力をシステムがサポートしていない感じです。いや、何でFF14で麻雀うまくする努力が必要なんだと言われても困るのだけど…。
 
あと、牌を切るまでに与えられた制限時間が長いので、天鳳と比べると長考する人が多くてプレイ時間が長くなりがち。この制限時間の長さも初心者向けという感じありますね。長考する人がいるとわりと暇になるところもあるので、「明日の昼ごはん何食べようかな」とか考えるといいです。間違っても「私は本当に今生きてると言えるのか。死んだら意識はどうなるのか」とか考えだしたらダメ。時間ができると人間良くないことを考えがちなので気をつけて。
 
プレイヤーのレベルとしては、「ドマ式麻雀一般卓=天鳳一般卓」「ドマ式麻雀有段卓=天鳳上級~特上~鳳凰卓」という感覚が近い。2段階しかレベル分けがないので、有段卓にピンからキリまでごった煮になってる。序盤から大明槓してくるマンと雀プロが同じ卓で戦っているのはカオス。なので、快適で高いレベルの環境を求めたければ今でも天鳳鳳凰卓が鉄板というのは引き続きあると思いますね。
とはいえ、ドマ式でも強い人は強くて、何回か打つと「この人はヤベェな」という人は出てくる。その人とダンジョンでマッチングすることは全く無いけど、麻雀だと何回も会うし、対局中ずっと名前見てるんだから嫌でも名前覚えることになりまして。
そう考えると、コンテンツファインダーで一緒に冒険する人の名前はさっぱり覚えないけど、一緒に麻雀打つ人の名前だけはやたら覚える仕組みになってるんですよね。麻雀はFF14ゲーム内において、知らない人の個別識別を最も行いやすいコンテンツなんじゃなかろうか。いや、だからといって「一緒に冒険でも行きますか」ってなったことないですね。はい。
 

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全体的に麻雀ゲームと見ると苦しいところのあるFF14ですが、それら欠点を補ってあまりあるのが「自分のキャラで打てる」という点。
基本的にMMOの自キャラに対するプレイヤーの気持ちは、犬の飼い主の心理状態と同じで「うちの子が一番かわいい」というやつですよね。自分が打ってるんじゃないんですよ。うちの子が打ってるんです。そういう付加価値があるんですよ。そういう意味で言うとこれはもうQMAなわけですよ。雑学オタククイズ大会に美少女のガワを被せただけで大ヒットになるんだから、ガワってのは大事なんだなという教訓がある。要するに人間なんて自分の好きな画像が表示されていればそれでいいと言ってしまえば身も蓋もないけれど、だいたいそれで合ってる場合が多い。
 
麻雀はロボットバトルに似ていて、お互いが事前に組んできたプログラムを本番環境で競わせてどちらが効率的かを競う遊びみたいなもんですね。人間の手はプログラムを実行しているだけで、勝負は卓を囲む前から決まっているようなもんです。センゴク武田信玄も「戦う前に勝負を決めよ」と言ってた気がするし、やはり甲陽軍鑑はいつだって正しい。
その観点では卓に着く前に自分の麻雀プログラムをいかに磨き上げられるかが麻雀に強くなるポイントだと思うのですが、その場合の今でも鉄板の回答は「とつげき東北の『科学する麻雀』読んどけ」になろうかと思います。あの本は発売から15年が経ってるけど、未だに内容は現役。これ一冊読んでればだいたい大丈夫だと思うし、『科学する麻雀』に書いてることを徹底すればMahjongMasterくらいなら届くと思います。
 
それでも麻雀は4人で遊ぶゲームなので単純計算で4回に3回は勝てないことになるし、そういう目で見るとプレイ時間の75%は我慢を続けて脇役に徹するプレイングが必須というゲームに位置付けられるでしょう。「おりる技術」は「あがる技術」の3倍重要。麻雀は主演俳優ではなく名脇役が勝つゲーム。なので前に出ずに心を殺し続けることがわりと重要になるのだけど、その4回に1回だけのはずの快感が気持ちよすぎて、結論としてほとんどの人に「俺は麻雀が強い」と錯覚させるのは麻雀が優れたゲームであることの証明の一つにはなるのでしょう。
 
以上、最近のFF14でした。

MMOと、人と人と

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FF14にはLodestoneという日記を書けるサービスがあって私もちょくちょく書いてるのですが、あるとき画面のスクリーンショットをアップロードして日記を書いたら「画面狭すぎでは」「カメラを引け」「モンハンでもやってるの?」と各所から大変暖かい励ましのお言葉をいただきました。ありがとうございました。
 
日記、ちょくちょく書いてってるんで良かったら監視していってください。 
 

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で、最近も引き続きFF14やってるんですが、今日はMMOのコミュニケーションの話をしたいと思います。

FF14ではリンクシェル的な内輪でのコミュニケーションが多めになりがちで、UOジェネレーションっ子(UOで初めてMMOを遊んだ人の意)にありがちなのかもしれないけど、どうしてもギルドチャット的なクローズドなコミュニケーションにMMO的な手触りはないよなーという感じがあって。今どきの若い子にはこの感覚わからないかもですが、昔話をすると、戦前から昭和にかけてのMMOでは今で言うところの「Say」によるコミュニケーションが基本で、例えばブリテイン第一銀行前でたむろしながら隣にいる人の会話を見ながらダラダラ過ごすというのが仕事を終えた前世紀のサラリーマンの一般的な夜の過ごし方だったんですよね。
その中で、近くの会話に加わってみたり、知らない鍛冶屋さんに武器の修理をお願いしたりするという出会いが発生して。オープンチャットであるところの「Say」から発生する隣の人との出会いは、さながら新宿のゴールデン街のバーみたいなもんでした。たまたま隣に座ったお客さんは一期一会の飲み仲間。私も初めてギルドに誘われたのは、自分のいかにも初心者っぽい会話を近くで見ていた人から誘われたものでしたし。そう、大事なのは「偶然」なんだ。
 
偶然隣りにいたとか、偶然知り合いと話してるのを見たとか、偶然ダンジョンで助けられたとかの、「偶然」から始まってゼロから人間関係構築のフィージビリティを探っていく感覚は、独特の心理的高揚感があって終始ドキドキします。人間関係においても信長の野望と同じで序盤の構築戦の盛り上がりのようなものはあるわけです。ただしこれにはストレスが伴って、人間同士が文脈を共有するためには相手に配慮しながら徐々にパーセプションギャップを埋めていく流れを消化していく必要があるので、この手続きを踏んでいくのが面倒で好きじゃない人もいるだろうなーというのも理解できます。
 
一方で、ギルドチャット的な(FFで言えばリンクシェルとかの)クローズドチャットであれば、そりゃもう絶対的な安心感があるわけですよ。
クローズドチャットは一種の「ムラ」ではあるので、「ムラ」で事件を起こして村八分になったり、苦手な村人ができて足を運びづらくなるリスクはあるものの、基本的には勝手知ったる人ばかりなのが原則。そこには仲間がいて安心があっても、ムラの外の人は排除されている。
 
FF14の町中にどれだけ人がいても会話がほとんど見られないのは、基本的にソロで成り立つゲームというのもありますが、リンクシェルが便利すぎて(あとゲーム外だとディスコードもあるし)みんながそこに引きこもっているからというのがあります。ただ、それが直ちにダメというわけではなく、文明って多分そんなもんなんですよね。テクノロジーが発達して距離の離れた知人とローコストでコミュニケーション取れるようになると、距離の近い知らない人とコミュニケーション取る必然性って下がるんでしょうね。
 
みんな確かにそこにいるんだけど、お互いコミュニケーション取ってないように見えて、実はそこにいない誰かとコミュニケーションを取っているという光景、どこかで見たなーとおもったらこれ通勤中の満員電車ですよ。電車の中で人が無言でLINEしているように、黙ってつっ立っているように見えるリムサ・ロミンサの人たちは実はリンクシェルで会話してる。
しかし、多分これは現実世界の我々の未来の姿。スマホさえ持つ必要がなくなったとき、きっとこうなる。テレパシー会話は内輪のコミュニケーションを強化して、外部とのコミュニケーションを遮断する。リムサ・ロミンサの不気味な人々は、未来の我々そのものだ。
 
でも、はたしてそういう方向でいいんでしょうかね。
 
だって、だって……知らない外人と出会って「Fack!」と言ったら「oh,Miss spell,Fuck!」と指摘されてその後一緒に冒険したエピソードとかめっちゃうらやましいじゃんよー!あとラグナロクオンラインの『あるアサシンの物語』とかさー。うえーん、私だってそういう経験したいよー!
人は、そんなことありえないとわかりながらも、心のどこかでは自分を巻き込んで冒険に連れて行ってくれる「誰か」を探しているんだ。
 
だったらいっそ、人間のフリをして「出会い」を提供するNPCをブッ込んでみたらどうだろう。
今流行りの「AI」とやらを使えばそういうのができるんだろチミィ(重役の顔をしながら
 
 
あなたは町中を歩いていると、後ろから声をかけられる。
振り返ると「そのファッションいいですね!どこで買ったんですか?」と話しかけてくるミコッテの女の子(のAI)がいた。
別に大したことじゃないと説明しても「センスがいいです!」とべた褒めしてくる女の子(のAI)。いつからかダンジョンに一緒に行こうかという流れになり冒険に出る。女の子(のAI)はあまりゲームが得意でなく、度々ピンチに陥ることもあって冒険は大盛りあがり。「また遊びたいです!そうだ、よかったらうちのフリーカンパニーに来ませんか?」と声をかけられる。
行くあてもなかったので誘われるままにカンパニーハウスに行く。そこいたのは、リーダーシップ溢れるヒューランの青年であるマスター(のAI)、口下手で不器用だけど優しい人柄のルガディン♂(のAI)、自分が中心じゃないと気がすまないのであなたが来たことに少しイラッとしているララフェル♀(のAI)、態度には出さないけどあなたがこれから上手くやっていけるか気にしている心配性のアウラ♂(のAI)、そしてあなたに声をかけてここまで連れてきてくれたミコッテの女の子(のAI)。
彼らのフリーカンパニーに加わることになったあなたは、FCのみんなと厳しいダンジョンをクリアし、何度もリトライしながら難しい蛮神を征伐し、ときにはカンパニー麻雀大会を開いて笑い合ったりしながら、親交を深めていく。そして1年が経ち、あなたはプロポーズに成功し、エターナルバンドで永遠の愛を誓うことになるが、あなたの傍らに佇むのは、あのとき声をかけてくれたミコッテの女の子(のAI)だった。最高……。ファイナルファンタジー14最高……。
 
 
以上の物語体験をプレイヤーに与えることが、ファイナルファンタジー14の開発コンセプトとなります。
 
気が付きましたか?FF14のパッケージの裏側には「プレイヤー人数:1」と書かれていることに。
このゲームはAIにあたかも人間がプレイしているように振る舞わせることで擬似的にオンラインで遊べるように見せかけていますが、本当は1人で遊ぶためのゲームなのです。ゲームの中にはあなたしかいません。
 
最近常時接続が当たり前になったので気がついてない人も多いと思いますけど、試しにルーターの電源を抜いて、そのままもう一度ゲームを起動してみてください。いつもと同じ画面が表示されて、いつもと同じ人達と遊べると思いますよ。

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部屋の片付けはゲーム性が高い

半年ぶりのリリースが決定した期待作『部屋の片付け2』。既にファンの間では大いに話題になっているところだが、今日はシリーズ最新作となる本作の魅力を余すことなくお伝えしたい。
 
『部屋の片付け2』において、プレイヤーは雑然と散らかれた部屋を整理し、世界に調和を取り戻すのが目的となる。
前作『部屋の片付け』でフィーチャーされた、片付ければ片付けるほどプレイヤーの快適度が高まるという報酬体系はそのままに、新たにレイアウトの変更を行うことができるなど自由度が大きく高まっているのが特徴だ。セリアで販売されているDLC「収納箱」などを追加購入することで効率的に片付けを進めることもできる。
 
さて、ゲームを語るとき一般的に気になるのが敵の存在だが、本作に敵は存在するのだろうか?
結論から言うと敵は存在する。『部屋の片付け2』では、戦うべき敵は「過去の自分」だ。地面に投げ捨てられたコート、何に使ったかわからないケーブル、ガチャガチャ回して出てきたものの扱いに困って置いてる雑貨、本作と敵となるのはすべて過去の自分により設置されたオブジェクトだ。
 
「あれ〜、どこやったっけな〜」「なんでこれがこんなところに」など、プレイヤーは過去の自分がその時どう思って振る舞ったかを推測しながら戦うことになる。
 
この点において『マリオカート』のタイムアタックにおける対ゴースト戦との類似性も多く指摘されているが、過去の自分の振る舞いは再現性がなく予測不可能であることから、『部屋の片付け2』のゲーム性により深みを持たせている要素と言えるだろう。
 
一方で前作で見られた不満点が残されているのも事実だ。
多くのユーザーから「面倒くさい」と言う声が上がったが、それは続編である『部屋の片付け2』においても解消されていない。
 
だが、考えてみてほしい。そもそもゲームの楽しさは「抑圧と解消」によるカタルシスに由来する。覚えていないだろうか、倒せなかったボスを100回リトライして倒したときのガッツポーズを、更新できなかったタイムを遂に破ったときの快感を。ストレス行為こそがゲームなのだ。
 
『部屋の片付け2』には確かに面倒くささは依然として存在するが、それは部屋を片付けたときの達成感を得るための重要なファクターだ。努力はそれ自体に効果があるものではないが、達成したときの快感を増幅させる最高のスパイスとなりうる。この快感を味わうために頑張ろうともいう気持ちにもなるものだ。
 
筆者もまだまだプレイ時間が足りないが、本作は「1万回遊べるアクションゲーム」と銘打たれているだけあって、毎回ステージの形や攻略方法が異なる仕様となっており、プレイヤーを飽きさせることがない。ボリュームはかなりのものとなり、比較的リーズナブルに遊べるゲームと言えるだろう。
 
『部屋の片付け2』は、総じて自由度が高く、繰り返し遊べる作品であり、なおかつ奥が深い。極めた先に見えてくるものもあるだろうが、その先はぜひ自分自身の目で確かめてみてほしい。

ゲームの感想 2019

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今年も遊んだゲームへのお気持ち表明の時間だー!
長文感想書いたやつは、ゲームタイトルにリンク貼ってます。
 
PSVR持ってるなら体験したほうがいいゲーム。基地が敵の空襲を受ける中、滑走路を飛び立つシーンをVRで体験できるのは最の高以外の言葉はない。ストーリーも好きなんだけど、あれだけキャラの立っていた懲罰部隊が序盤だけなのはもったいなかった。最後の戦いまで懲罰部隊に所属して、ハイローラー「俺はお前が勝つ方に賭けてんだ」バンドッグ「わかってるな、戻らないと独房だぞ」みたいな無線会話を聞きたかったんじゃー。
 
レイジングループ(PS4)
行きて帰りし物語」がなぜ物語のテンプレートになるくらい強いかというと、不安な場所から戻ることで読み手の心に安心感を与えるからで、そういう意味では音楽理論ドミナントコードの役割と似ている。ミステリにおける伏線も似たようなところがあって、伏線張れるだけ張って未回収で終わると読み手はモヤるけど、回収することで心がスッキリする。そういう伏線の張り方と回収ができている物語は、読後感が本当に気持ちいい。
 
ゲームは時代劇化しつつある。例えば「関ヶ原」なんて見ずともストーリーはわかりきってるんだけど、誰が演出するかや誰が石田三成やるかという演技の部分に違いを見て楽しむじゃないですか。土台のコンテクストが共通化すると、新しい表現で再体験したい欲は確実に存在して、関ヶ原のようにバイオ2も未来の技術で繰り返し何かを変えつつ再構築されて、我々は何度も目撃することになるんだよ。きっとこの先何度も楽しむことになる。
 
ゲームって本当に救いがあるなと思うのが、こういう脳みそのシワを1ミクロンも使わないで遊べるゲームが存在するところ。色々あって心折れて、考えることや動くこと、今日は何一つしたくないって日があるじゃないですか。そんな気持ちを巨大生物たちは大きな身体でど~ん!と受け止めてC40爆弾で爆発四散してくれるんですよね。なんて心優しい連中なんだ。そんな優しい連中を片っ端から駆除して回るのは……楽しい!!
 
前にも書いたけど、葦名弦一郎は人間の「諦める」という気持ちを具現化した怨念。勉強も音楽も絵もスポーツも何一つ続けらず、何者にもなれなかった人生。その人生の前には、継続することを「諦める」という壁がいつも必ず立ちふさがって来たはず。でも、挑戦してうまく行かずとも、何度も何度も何度も何度もやれば、本当はお前は狼になれたんだ、ということを弦一郎は教えてくれるんですよ。わかったらお前も明日から頑張れよ。
 
フィットボクシング(Switch)
これ読んでたらちょっとやってみてほしいんだけど、フィットボクシングから教わったのは「パンチは脇を締めて打つと良い」ということ。野球やってた頃、「脇を締めろ!」ってコーチから厳しく言われたんだけど全然できなくて。でも脇を締めてパンチ打って、ようやくわかった。脇を締めることで人間ってパワー出るわ。良いパンチ打てる。この感覚をスイングに応用すれば今からでも野球選手になれるかもしれない。待ってろドラフト!
 
プロ野球スピリッツ2019(PS4)
昔は野球ゲームを買ったら1試合1試合プレイしてペナントレースを完走することもやってたけど、今はそんな体力もなくなっちゃったな。いや、それもあるけど、今の野球ゲームが重くなったのかもしれない。例えば昔のファミスタよりもリアルさが増した分、1球1球にかける時間や必要な集中力が重くなっている。情報量が増えると人は疲れる。それをペナント1シーズン回せと言われてもしんどい。うん、そうだ。そうに違いない。
 
Call of Duty:モダン・ウォーフェアRemastered(PS4)
FPSは普段やらないんだけど、CoDだけはやってるのよね。定期的に「ステンバーイ……ステンバーイ……」の声が聞きたくなる。何回遊んでもストレスなく挑戦し続けることができて、少し進んだらチェックポイントがあるので、下手クソでも頑張り続ければ難易度ベテランがクリアできるようになっているのが良い。ある意味死にゲー的な要素がある。箱○で全実績解除するために、半泣きになりながら「マイルハイクラブ」やり続けたのが懐かしい。
 
ケイデンス・オブ・ハイラル(Switch)
「最強のコンテンツと最強のコンテンツを足したらやはりそれは最強なのか」というとそんなことはなかったという話。昔、「とんかつパフェ」というパフェにとんかつ刺したデザート?的なものを食べに行ったことがあるんだけど、溶けたクリームがとんかつに染み出してマズかった。単体でそれぞれ食べたほうが美味しいこともある。別に悪いゲームじゃないんだけど、90点と90点を掛けたら81点になったというか、そんな感じなんだよな。
 
東方鬼形獣(PC)
東方を遊んだときの感想が「楽しい」から「嬉しい」に変わってしまったのはいつからだったろうか。「今年も東方が遊べて良かった」というのはゲームそのものに対しての話では何一つないし、めちゃくちゃ失礼な話なんだけど、心のどこかでそう感じてしまうんだよな。一応Extraをサクッとクリアできる腕はまだあったけど、いつか通り過ぎた時代の何かが自分の中に残ってないかを確認するだけのゲームになってやしないか。泣きそう。
 
Celeste(PS4
雑貨屋でナイロン素材のような猫のフワフワぬいぐるみを触ると、スベスベしてて撫でてるだけで幸せになる感じあるじゃないですか。セレステはゲームでありながらその感覚に近くて、触ってる事自体が幸せそのものに直結している。言ってみれば「手触りが良い」。いわゆる「死にゲー」で、とてつもないリプレイ回数を要求されるけど、それが猫のぬいぐるみを撫でているようなものであれば、無限の繰り返しすらも幸せに含まれる。
 
生きてると、たまにバシッと自分の感性の型に寸分違わずハマってしまうゲームというは誰にだって存在する。これが好きの極北かという気持ちを味わうときがある。膨大な数のシナリオとキャラクターが用意されているのに、その全てが心に食い込んでくる強さを持つ。それにしても「これ一人で作ってんのか」の驚きは東方の神主に匹敵するし、頭も良くて知識も深く絵も描けるやじおじさんのスペックには憧れのような気持ちがある。
 
Trials Rising(PS4)
XBLAで配信された初代のTrialsからずっとやってるけど、シリーズを経るにつれて「バカさがなくなった地球防衛軍」みたいな角の取れた進化を遂げていった。「おじさんがバイクで派手にすっ転ぶゲーム」という極めて単純なコアな部分も残っているのだけれど、ゲームの構成のワンオブゼムと化してしまった感じ。一点突破の性質のものを総花的にして埋没する現象、ゲームだけじゃなく色んなものに見られるのが気になるお年頃です。
 
熱血硬派くにおくん外伝 River City Girls(PS4)
くにおくんってロシアでもオマージュゲーム作られてなかったっけ?日本で育まれて、遊ばれてきたゲームが外国でも好きな人がいるのは嬉しくなるね。国も地域も宗教も、毎日食べてるものも違うけど、彼らも我々もくにおくんを遊んで育ってきたんだ。ベルトアクションを遊ぶ機会も少なくなってきたのだけれど、たまにこうして遊ぶと良い。横スクロールはいつ遊んでも脳内にストレスなく入り込むように進化し、完成されている。
 
ゲームは、厳密に言うとルール部分とテクノロジー部分に分解できる娯楽だと思うのよね。ルールというのは、将棋やトランプで言うところの駒の動き方などの「決め事」の部分。これをテクノロジーで実現したのがテレビゲームで、「ルール×テクノロジー」のどちらかの変数が変われば、新しいものが生まれる。そういう意味では、技術が進化し続ける限り新しいゲームは生まれ続ける。VRによりゲームはまた一つ前に歩を進めた。
 
Slay the Spire(PS4
「選ぶ」ことができるのが小説や漫画や映画にないゲームのいいところだと思ってるんだけど、Slay the Spireは「選ぶ」を結晶化したようなゲーム。ひたすら選び続ければ結果が提示される。ある程度自分の脳内に組んだパターンを現実に対して敷衍し続けるという点は、麻雀に性質が近くて、頭を使っているようで使っていないゲームだと思う。それだけに二日酔いの日に頭に負荷なく遊べて最適。敷居も低くて今でも定期的に遊んでる。
 
ファイアーエムブレム風花雪月(Switch)
長生きをして経験を積むことは良いことばかりではなくて、自分にとってのFEは「ベルウィックサーガを初めて遊ぶという体験」をもう一度味わうことを求める呪いと化しつつある。結論から言うと、風花雪月もベルウィックサーガではなかった。わかってる。わかってるんだけどね。ただ、ベルウィックサーガには「我が名はフェルディナント・フォン・エーギル!」と毎マップ叫びまくる奴はいなかったわけで、これはこれの良さがある。
 
おかげさまで久々に麻雀熱が高まっておりまして、FF14で麻雀の感覚取り戻して、雀荘FF14の課金代を稼ぐという良いサイクルに入りつつある。早くMahjangMasterになりたい。FF14には二種類のプレイヤーがいる。MahjangMasterをつけた麻雀の上手い奴と、麻雀の下手な奴だ。それはそうと、一期一会性の強いゲームだけに「道端でその辺の人と友達になって…」みたいな旧来のMMO的な繋がりは生まれづらいところあるね。
 
マジッ犬64(PS4
頭のネジが一本飛んだディアブロ。ゆるふわを突き抜けてシュールな絵柄のキャラが意味不明瞭な会話を繰り広げるゲームなんだけど、なぜかシステムがハクスラそのものなんだよな。レベルを上げてスキルツリーを育て、敵からレジェンド装備を拾って自キャラを強くしていくスタイル。犬のイラスト描いたパッケージで売ってるので、小さい子供連れたお母さんが誤って買う事故が起こってそう。ちなみにNINTENDO64とは何の関係もない。
 
STGでありながら感傷的な雰囲気のあるゲームで、「Raging Deside」とかボス戦の曲なのに心がうるっとくる。2018年のクリスマスが舞台なんだけど、ゲーセンで遊んでいたあの頃からは遠い未来だったのに、いつの間にかそれは去年になってしまった。ESP者は現れたのか…?ところで、ケツイの5箱もそうなんだけどコンボをステージ途中でミスってもすぐに着火しなおして稼ぎ続けられるシステム、ストレスなくて良いよね。
 
 

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今年のゲームを1本挙げろと言われれば『ハルスベリヤ叙事詩2』。リリース自体は今年じゃないですけど。
 
昔、ファミ通で「うちの兄は言葉が出てこないゲームしか遊びません」というハガキ投稿ネタがあって、ゲームというのは言葉に依存しなくともシステムで楽しさを提供できるの凄いよねって意味だと解釈しているけど、その正しさもある一方で、それだとハルスベリヤ叙事詩が遊べなくなるのだ。ハルスベリヤ叙事詩は言葉のゲーム。日本語圏に生まれたことをこれほどまで感謝したことはない。
 
ちなみに2016~2018の記録を見ると、今年の1本はこんな感じらしい。
 
 
どれも普遍性のある面白さを持つゲームで今でも名前見るだけで遊びたくなるけど、「昔のゲームをプレイしてると今のゲームが遊べなくなる問題」があって、前に進み続ける限り振り返る時間が取れないというジレンマは生まれるよね。
この手の、ずっと遊んでいきたい古いゲームが生きるにつれて増えていくというのが人生におけるリソースバランスの難しさっすね。
 
今年もあっという間に年末ですね。それでは少し早いけど良いお年を。

エオルゼアの子どもたち

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突然ですが、光の戦士に転職しました。画像はがんばって撮った谷間(景色の話です)。

FF14はじめたんすよ。
サービス開始が2010年だから9年目ということになりますけど、どうしてこのタイミングで始めたかというと、やもさん(@YarmUI)が突然パッケージをくれたからです。はい。親以外の人にゲーム買ってもらうとか、子供の頃の親戚のお兄さん以来だぞ。まさかこの歳になって買ってもらうとは想像もしなかった。ちなみに旧14も含めて初体験なので、超絶後発マンとしての雑感を語っていくぞ。

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ここエオルゼアはリムサ・ロミンサ。晴れ。
 
いやー、人が多い!! 最近MMOやってなかったんで一般的かわからないんですが、ネトゲ後発にありがちな「みんな先行してて置いてかれた感」がないの良いと思います。ネトゲの華は、祭りと喧嘩ですが、それもすべて人間の頭数あってこそ。人間がいなくていいならオフラインでいいわけで、これほど歴史あるゲームにも関わらず「新規プレイヤーの目の前に大量の人がいるようにする」というデザインを守れてるのはそれだけで涙が出る。これがネットゲームの空気、風なのだと、画面の前でも肌感覚に伝わってくる。
 

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聞いた話では、FF14ではインスタントダンジョン?みたいなのを生成して、人数が揃ったらみんなで冒険できるという仕組みらしく「それMOじゃん?」と思ってたんで、世界を旅する冒険感はないのかと思ってた。
 
全然違うやんけ!!
世界は広いし、景色は綺麗だし、新しい場所にたどり着いたときに聴くフィールドBGMは最高。行けないところに行けるようになる喜びはRPGそのもので、この手の「美しい世界をブラブラしてる感」はレッド・デッド・リデンプション2かFF14か。
 
未知の場所に行くことを肯定的に捉える性質がDNAに刻みつけられてきているために、我々はアフリカからわざわざ日本という極東くんだりまでやってきたわけで、そして辿り着いたのがエオルゼア。物理的なフロンティアは月とか火星とか一般人にはお高いところしか残ってないけど、ゲームならば精神的フロンティアの構築も余裕。誰かが作った既知の世界を未知の意識で冒険しつくせ!
 

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で、噂のお使いクエストですよ。

エオルゼアの人々は恐ろしいほどものぐさで、生活能力がなく、何をするにも他人に頼るクズ野郎ばかり。「~にこれを持っていってくれ」「~に話を聞いてきてくれ」後半になると違うらしいですが、序盤は恐ろしいほどこのクエストが続く。特に序盤で出てくる「砂の家」とかいう場所は、何度も話を聞いたりクエストを受託するために行く必要があるにも関わらず、街までテレポでワープできず、街についたらついたで「砂の家」に入るまでに2回もロードを挟む悪魔の家。何度か焼き討ちしようかと思った。
 
預かりものを背負って人から人を渡り歩く仕事、完全にUber……!!あまりに続く配達業務にブチギレてうどんを庭先に投げ捨てて帰ったプレイヤーもたくさんいるんだろうな。Uberの厳しさ、社会の厳しさを思い知らされる。配達は決して甘い仕事ではないのだ!ヤマトのお兄さんいつもありがとう。
 
話を聞いてくるクエストも、違う街とかの遠方にいる人に会いに行くのかなと思ったら、振り向いたらそこに聞くべき人が居たりする。というかお前依頼の会話聞こえてるんじゃねーのか。間にメッセンジャー置かないと直接会話できない仲悪い部署のオッサンかお前ら。
  

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そしてレベルが15を超えてゴールドソーサーに行くと本編が始まります。
FF7の本編はスノボだったし、FF8の本編はカードゲームだった。FF14は、ここからが本当の戦いだ。
 
何だかんだで麻雀だから楽しいといえば楽しい。しかし、例えば和了率や放銃率が表示されないとか過去の平均順位が表示されないとか、ハンゲや天鳳と比べれば劣るところが目立つし、特にドラ表示牌がそのままドラなのはちょっと良くないと思います。
 
FF14では、例えば一萬がドラ表示牌の場合、ドラは二萬じゃなくて表示牌の一萬そのままなんですよね。
まぁドラ自体は慣れたら何とかなるにせよ、この場合九萬が1枚足りなくなってるんですよね。本来は九萬が表示牌なので。これ打ってると忘れちゃう。というか、見えてない牌が1枚足りなくなってるというのはさすがに麻雀としてどうかと思いますよ。
 
麻雀にだけはやたら厳しい男!スパイダーマッ!
 

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実はFF14は麻雀を遊ばない人の向けにダンジョンとかも実装してたりしますし、麻雀を打つ人も半荘の合間にパーティーを組んでダンジョンに潜ることができます。

町中にいてもインスタントパーティーに応募して揃ったら即潜れるの、淡白すぎないかという気もしてたけど、慣れると便利ねこれ。ダンジョンまでの「移動時間」が削られるのは、忙しい現代人に向けた合理的な遊び方。短い時間でもサクッと遊べちゃう。
一方、それはそれで美しいフィールドがちょっともったいない気もするという惜しい思いはあるけれど。それに「簡単な集まりやすさ」がシステム化されてしまった結果、例えば辻ヒールであったりするような、道端で知らない人と関わる機会がほぼなくて、「仕組み化されていない繋がり」みたいなのが発生しづらいというのは反作用としてある感じ。
 

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そして気になるギスギス感。FF14と言えば「ギスギスオンライン」で有名だけれど、エンジョイ層だとギスギス全く無いですね。見たことない。むしろ挨拶以外ほぼ無言で進んでいくところが強いので、「一人プレイを複数人でそれぞれ遊んでいる」という感覚が一番近かった。
 
それでもどんなネトゲにも面倒くさい人は必ず存在します。というか人間だから色んな人がいる。面倒くさい人だって、そりゃ中には時々いるさ。ケアルが遅かったり、ギミックを把握していなかったことで怒られることもあるかもしれない。
これ運営素晴らしいなと思うポイントで、そんなときに備えてFF14では「私は日本語が話せません」という会話の定型文が用意されていて、ボタン一つで外人のフリができるようになっているんですよね。
 
「お前、なんでちゃんとタンク回復しないの?今のお前のせいだぞ」
「私は日本語が話せません」
「何回同じ攻撃食らってるの?やる気あるんだよね??」
「私は日本語が話せません」
 
ボタン一つで全ての揉め事が解決する。本当に魔法のような機能だ。
 

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自分はPS4で遊んでるんですけど、正直言ってこれまでの経験からしてコミュニケーションの必要なネトゲはPCに限る!って思ってたんですよね。
これも余裕で誤解でした。「私は日本語が話せません」に代表される会話の定型文も用意されてるんですけど、だいたいコミュニケーション自体がほぼ必要ない。もう言葉は要らないのか、ってくらいいらない。「よろしく」と「ありがとうございました」くらいならPS4のコントローラーでも打てますし。
 
PS4で遊ぶネックと言えば、デカイ街に入ったときにちょっとローディングが長いくらいですかね。これもHDDをSSDに換装したら解消されるらしいですけど、スマホでいくらでも時間潰せる現代にはその程度のローディング屁でもなかったりしますね。
 
ちなみに麻雀やってると相手がPSかPCか観察できて、体感で1:1くらいな感じです。わりとみんなPS4でMMO遊ぶことに抵抗ないんすね。新規ユーザーだと名前の前に若葉マークつくんですけど、これも結構多い。ダンジョン入っても「初めてです~」と声かけてきた人も一度や二度じゃないレベルで見たし、未だに人の流入ある感じなのは同じ新規勢として気持ち楽だった。
 

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ゲーム音楽大好きっ子として言っておきたいのは、FF14はBGMが良いゲー。そしてフィールド音楽大好きっ子として言っておきたいのは、FF14はフィールドBGMが良いゲー。
 
「冒険してる感」ってフィールドの見た目も重要であり、そしてBGMも同じくらい重要なんですよね。これらを共に摂取して自分の魂の中で消化されてふわ~っと混ぜ合わさったとき、景色が最強に見える。まだ最序盤なんだけど、後半はどんどんBGM増えてくるらしいです。Spotifyでチラッと見ただけで300曲以上はある。ワンダフル。
音楽のネタバレを防止するために、序盤以外の音楽は聞かないようにしてますが、これ早く全部開放して自由になりたいです。
 

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アクティブは今現在でも100万人超えていて、うち日本人は半数にも満たないくらいだとか。とすると日本人でアクティブ40万人くらい?FF14がビジネス的に成功しているというのは有名ですけど、今どきどこでも遊べるスマホゲーでもなく、ちゃんと起動して遊ぶ必要のあるゲームがアクティブ40万というのは多い。
 
アクティブで40万だとすると、ネトゲの離脱率を考えると遊んだことがある人は100万人を超えてくるのかもしれない。今このとき、日本に暮らす人々のうち100万人が同じコンテクストを持つエオルゼアの子どもたちとして社会でともに暮らしているというのはすごいことですよ。
 
日立グループの連結従業員が約30万人なので、将来老人ホームに入り、これから一緒に生活していく人と話すとき、「拝承」とか言ってるよりも「ヤ・シュトラたんハァハァ」と言う方が「だよな」と意気投合する確率が高いわけですよ。
 
ゲームを遊ぶことは、今を楽しむことだけでなく未来へお土産話を持っていくということでもあるわけです。何十年かしたらいつか一緒にエオルゼアの話でもしましょう。