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DLEの決算書に見る粉っぽい兆候について

世の中に「正しい」ものってあるんですかね?
例えば「青」という色だって、あなたと私で「青」と認識している色が果たして同じ色なのかどうかわからないですし、人間の認識の確かさなんてそんなものですよね。
ただ一つだけ確かなことがある。今、あなたがこの文章を読んでいることです。そうですよね。伝わっていますか?今、頭の中で文章を再生していますよね?色々と不確かなことの多いこの世の中ですが、それだけは確かな事実。
そして今、この瞬間は、それだけが全てだ!私を超えてみろ!!
 
アーマードコアの新作が出ないあまり頭がレイヴンになっていたようです…。大変失礼いたしました。
ただ、例えば決算書にしても同じことが言えるんですよ。決算書って、言ってみれば経理の人が1つ1つ作った仕訳処理の集合体に過ぎませんし、人間が作っているものですから、そこには故意や間違いが含まれ得ます。それに対して、大企業であれば、プロの第三者である監査法人がお墨付き出してくれてるから「まぁ正しいのかな」くらいのレベルで認識しておくべきものです。もしかしたら、作った人とあなたでは違う決算書が見えているのかもしれません。
 
「鷹の爪団」で有名なDLEの粉飾がバレたらしいですね。第三者委員会の報告書自体は去年の11月に出てたんですが、今ごろ内容見ましたので、ザッとその話をします。ちなみに「粉飾」と「不適切会計」と「不正会計」の違いが学のない私にはわからないので、ここでは「粉飾」で統一します。区別がつく方は頭の中で読み替えていただけると幸いです。
 
まずは粉飾決算と実態決算の数字から。
 

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グラフだけだとどう違うのかパッと入ってこないですね。なので、差分を数字で並べたのがこちら。
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平成26年度から平成28年度にかけてのストレッチがすごかったようです。特に平成27年度なんて売上高の修正分に等しいくらい利益が吹っ飛んでる。DLEがマザーズに上場したのが平成26年3月、東証一部上場に指定替えになったのが平成28年4月。そうだね、東証一部行きたかったね。
一方で、平成29年度、平成30年度では、正しい決算処理をするとむしろ利益が増えてしまったりするようです。一体何が起こったのか確認するために第三者委員会の報告書(リンク先PDF)を見てみましょう。
 
ただ、あまりに様々な案件で粉飾やり過ぎた結果、第三者委員会の報告書が174ページもあって読むのが大変ですので、影響の大きかった処理をまとめるとだいたい以下3点に要約されます。(余談ですが、報告書を「認められない」で検索すると50件ヒットして大変楽しいです)
 
  1. 通常であれば作品を作って納品して検収を受けてから売上を立てるところ、制作が合意に達した段階でその総額の20%を「企画売上」という名目で勝手に計上していた。
  2. 製作委員会から制作を受注したA社がA社の子会社のB社に再委託するところの間に入って、実態がないにも関わらず利益5%の利益を得ていた。5%の利益分についてはそのまま製作委員会に出資金として拠出していたが、分配金はA社に回していた。すなわち、実態のない取引で利益を架空の利益を計上したことに加え、分配を受け取る権利のない資産性のない出資金を計上していた。
  3. 役務を提供した事実のない案件に対して架空の売上を計上していた。
 
このほか、納品時期の前倒しや費用の繰延べ処理、契約前に売上計上など色々ありますが、言い出すとキリがないレベルなので大きいところの3つを要点として考えていきます。あと、色んな案件があるので1つの手法について微妙に違う処理をしていたりもするのですが、そんな細かい違いの話をしても意味がないので、手法単位で代表的なやり方について話をするようにしています。
 
まずは1についてですが、一言で言うと「売上計上時期の期ズレ」です。
会計基準をちゃんと守ると、役務を提供して対価が成立することが売上計上の要件となりますので、本来であれば発注側が「そんなの知らんがな」ってなるようなのを売上に立てることはできないのですが、そこを「まぁ2割くらいは企画料と言えるのではないか」と勝手に判断して、案件の合意段階で受注額の20%を企画売上(DLEでは「プリプロ売上」と呼んでいた)として計上したものです。
 
このとき、受注額の総額自体を水増ししたわけではないので、実際に納品する後の期から、前の期に売上が移動することになります。
なので、「売上が目標に届かず増やしたいが何とかならないか」ってときにこれが使われるわけですね。契約書の文言に「企画料20%」と入れることを取引先が拒否した案件や、他社が企画した案件まで20%の企画売上を立てていたあたり、やりたい放題という感じで、スカッと生きてやがるなという感動があります。
報告書に掲載されていた証拠のメールに「吸わせてください」という言葉の意味はこの売上の移動を指します。
 

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 ただし、費用についてはズラしていないため、前期においては20%の売上増加分が丸々利益に化けますが、本来制作売上を計上すべき期については、売上が20%前期に吸われている一方、費用はそのままとなりますので利益的には苦しくなります。DLEのメールには、「赤が先行する」と書かれており、それを確かに認識していたものと思われます。なので、粉飾って一度やりだすと止められないんですよね。架空に黒を持ってきているので、やめた瞬間に赤を吐くことになるから。

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項目2番の処理はちょっとややこしいですね。
製作委員会が作品の制作を発注するにあたり、A社という会社に発注したのですが、A社はA社の子会社であるB社に制作を再委託しようとしました。そこにDLEが間に入り、A社から売上100で受注してB社に費用95で発注します。つまり、DLEは5の利益を手にするわけです。
DLEは手にした5の利益をそのまま製作委員会に出資。これによりDLEの手元には5の利益と5の出資金勘定としての資産が残ります。
 
まさに錬金術ですね。DLEは何もしてないのになぜか利益が出ました。すごい。
ただ、資金の流れから見ると、A社はDLEに100を渡して、DLEはB社に95を渡して、DLEは製作委員会に5を渡しています。製作委員会の上げる収益から得られる配当はA社が得ます。つまりDLEは資金から見ると1円も得をしていない。
 
DLEの行った処理には2つの問題があって、そもそも実体のない取引について売上を立てることはできませんし、実態のない発注もしてはいけません。これにより売上100、費用95を計上した妥当性が認められません。また、出資金5についてもDLEが収益配当を受け取る権利がないのだから、出資金としての資産性が認められません。
 
3番目は工夫がなさすぎて身も蓋もないのですが、A社と製作委員会を組成する旨の同意が行われていない案件について企画売上を計上しているものです。完全に架空売上ですね。一体何に基づく売上なのか、金額の根拠は一体どこからやってきたのか、一体誰が払うのか。当然案件の実態がないわけですから費用もない。売上立てた分全部利益。なんて儲かる案件なんだ。
まぁ売上なんて帳簿に仕訳一本切っちゃえば机上で計上できちゃうんで、追い詰められた会社なんてこんなもんですよね。ちなみに、売上とともに計上された売掛金は、後に回収されたように見せかけるためにA社に対して前払費用という名目で拠出され、還流してもらう形で回収しています。こんなDLEのわがままにA社結構付き合ってて優しいよね。どうしてこんなに優しかったんだろうね。
 
ところで、複式簿記って考えた人偉いなーってたまに思います。
複式簿記自体はもっと昔からあったらしいのですが、15世紀、それを『スムマ』という本に体系的に残したのがイタリア人のパチョーリというおっさんです。人類が商取引の蓄積である経済社会を作るにあたっては、複式簿記という記録言語の存在は欠かせないものでした。
 
複式簿記のすごいところは、必ず処理の足跡が残るんですよ。必ず「借方/貸方」と両方を一致させるように仕訳を切るので、例えば貸方の科目である売上を計上するならば、借方の科目に何か入れなければならないんですよね。
通常、売上であれば、売上に対する債権である売掛金が計上されます。すなわち「売掛金100/売上100」みたいな仕訳を切るわけですね。で、実際回収を行った時点で「現預金100/売掛金100」という仕訳を切って、現金の回収をもって売掛金を消し込みます。
 
このとき、架空に売上を計上したとして、回収が行われなければ(当然架空売上は回収できないので)売掛金は膨らみ続けることになります。
DLEの「企画売上」にしてもそれに近いところがあります。相手が認識してない売上を勝手に前倒し計上したところで、実際に制作が終わって納品するまで相手は売掛金を払ってくれるはずがないので回収は長期化します。
 
その結果、売上を前倒し計上したり、架空計上したりしたDLEの売掛金はこのように推移します。
 

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 「売掛金回転期間」というのは売掛金を月商で割った金額となります。要は「月の売上を何ヶ月後に回収しているか」という平均値です。
平成27年度のピークの数字を見ると、5.71ヶ月。へー、DLEさんから納品を受けたら支払いを半年も待ってくれるんですかー。ありがたいですねー。資金繰り大丈夫ですか?という数字となります。もちろんこれは売掛金を「平均月商」で割った数字なので、粉飾でなかったとしても、例えば期末に駆け込み需要があり、最終月だけ多額の売上が立ってしまった場合は、売掛金が平均月商比で大きくなりますので、売掛金回転期間も大きくなります。また、例えば京都の呉服屋さんのように昔からの「師走払い」が生きている回収期間の長い業種も存在しますので、単純に数字だけを見るのではなく、業種や実態を見たり、何期か決算書を並べてみて傾向を分析することが重要です。
 
しかしそれにしても長い。平成28年度にしても平均約4ヶ月後に回収とか長すぎる。だって元々回転期間1.61ヶ月の会社でしょう?取引条件変えたとかあるかもしれませんが、いくらなんでも数年で変わり過ぎじゃないですか。
わかりやすいわかりづらいという程度の差こそあれ、異常な処理を行った足跡の残らない粉飾決算は1つも存在しないのです。
 
なお、DLEでも回収できない売掛金があまりに多いのはマズいと思ったのか、売掛金を出資金との振替処理を行っています。その結果、売掛金と出資金の推移についてもこんな感じになっています。
 

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 平成29年度、平成30年度の粉飾決算を修正したらむしろ利益が出ていたのを覚えていらっしゃるでしょうか?
本来出資金とすべきでないものについて出資金としたうえで、(粉飾決算において)平成29年度等に減損処理をしたわけですが、本来は前の期に損失処理すべきものだったので、実態に修正するとむしろ利益が増えたわけです。
 
ちなみに粉飾の修正を行った実態決算における売掛金の推移はこちら。
 

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 これでも2ヶ月超えてきて、売上の回収が翌々月払いが平均くらいということになるので、「ちょっと長いかな」くらいの感触はあるのですが、まぁ許容範囲かなという感じです。
 
やりたい放題やった結果、売掛金と出資金の推移がやんちゃなことになったのはわかりました。しかし、細かく見ていくのも手間が掛かるし、もっとパッとわからんのかいなという話もあります。
 
そんなときはキャッシュフロー計算書を見てください。決算短信だと下の方にあるこれです。
 

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例えば求人出したら履歴書に「ハーバード大学卒」とか書いた人が来たらちょっと疑いますよね。もしかしたら本当にハーバード出ているのかもしれないですけど、普通は何らかの確認を取るのではないでしょうか。
これは決算書も同じで、いくら利益が出ていたとしても何らかの数字とぶつけて確認したものでなければ、その利益を頭から信じる根拠がないのです。
 
そこで使うのがキャッシュフロー計算書。これを決算書とぶつけて考えていきます。
というのも、キャッシュフロー計算書は期首現預金残高と期末現預金残高が最初と終わりに出てきますけど、現預金の残高は銀行の残高証明と一致させますので、ここを粉飾するのって不可能とはいいませんが相当困難なんですよね。なので、どれだけ収支を粉飾しても、キャッシュフロー計算書との整合性が取れなくなることが多いです。
 
DLEの場合も売掛金残高が6億円くらい急に増えていて違和感がありますね。ここで「売掛金異常だな」って気がつくから、「なら売掛金の月商比も見てみようか」と繋がっていくわけです。キャッシュフロー計算書はとにかく異常値勘定の発見が楽です。
 

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 ちなみにこれがキャッシュフローの推移。平成27年度の1期だけならまだしも、黒字が続いている会社のはずなのになぜか毎期営業キャッシュフローはマイナスで、株券刷って資金調達しているのが一目瞭然です。赤字の会社ならまだしも、黒字の会社が株券刷っているのはその理由が確かにあるのです。
 
しかし、わざわざ毎回キャッシュフロー計算書見るのも面倒ですよね。もっと楽な方法はないものか。
それが、あるのです。決算短信の1ページ目を見てみてください。 f:id:rikzen:20190217213712p:plain
 ここに当期純損益と営業キャッシュフローの数字が書いていますので、ここの数字があまりにも違うようであれば、それを気づきとすることができます。厳密に言うと、当期純損益に対して現金の支出を伴わない減価償却費の数字を足すと営業キャッシュフローに近くなるのですが、ここはいわゆる端緒を見つけるような作業なので、まずはアバウトで良いです。
「2億の利益って書いてるのに営業キャッシュフローはマイナス3億ってどういうことやねん?」という気付きだけあればそれで良いです。最初のページなので楽に見れますね。
 
これがDLEの粉飾決算についての概要です。
 
でも、結局どんな粉飾してようが明らかになった後ではどうでもよくて、重要なのは「粉飾というのは事前にわかるのか」という話ですよ。
粉飾決算なんてわかった後で言われても困るんですよね。株買ってたら損しちゃうし、取引先だったら貸倒れになるかもしれない。「粉飾でしたてへっ」とか言われても、回収金額は1円も増えないわけですよ。情報は先にわかるから意味があるわけじゃないですか。
 
粉飾が発覚して第三者委員会の報告書が出てきてからじゃ情報の価値がない。
けど、見れるのは決算書くらいの情報量しかない。結局問題はそこにつきます。
 
でも、もう解決策はわかるはずです。
ここまでこのクソ記事を上から順に読んできていただいたと思います。これは既に明らかになった粉飾について説明したものです。
次はザッとでいいので下から上に見ていってください。これが明らかになる前の粉飾を解明するときの流れです。
 
すなわち
  • 決算短信の1ページ目を見て
  • 当期純損益と営業CFの差があまりに大きいならキャッシュフロー計算書を見て
  • 増減の大きい異常な勘定があれば、売掛金の回転期間を計算するように理屈に合うかどうかを考えて
  • それでも自分の中で納得がいなかければ粉飾のストーリーがあることを疑ってください
必ずしもこれで全てがわかるものでもないですが、この順序で見ていけばかなりのものは抑えられるとは思います。
 
それでも忘れてはいけないのが、決算書とは天から降ってくるものではなく人間が作るものということ。粉飾は人為的に行われているものであり、あくまで人間の問題なんですよね。この世に悪があるとするならば、それは人の心だ…。
 
粉飾に手を染めた人に話を聞くと、ちょっと意訳ですけど大体こういう事を言うんですよ。
「私はただひたすらに強くあろうとした…そこに私が生きる理由があると信じていた…やっと追い続けたものに手が届いた気がする」
このあと「レイヴン…」とか続きそうな台詞ですが、強くあろうとする人間は弱いですし、逆説的ですが弱さを認められる人間こそが強いということでしょう。
 
決算書は人の心を写す鏡。我々はときに数字を介して、鏡に映り込んだ人の心の弱さを目にすることがあります。だからこそ粉飾決算がいかに悪かろうが、この先も永遠になくなることはないでしょう。だって、にんげんは弱い生き物だもの…。
 

生きるということは楽しみの芽を摘み続けるということ

「自分は生きている間にあと何本のゲームを遊ぶことができるだろうか」って思うことありません?
 
1日平均2時間とすると年間730時間。物心がついて多少物事を覚えておける10歳から頭のしっかりしている70歳までゲームを遊べるとして60年間。すなわち730時間×60年=43800時間程度が人生をゲームにぶつけて過ごすことができる時間です。
長く遊ぶゲーム、短く切り上げるゲーム、色々あるでしょうが1本平均30時間遊ぶとすると43800時間を30時間で割って、1460本。これが1日平均2時間遊ぶ人が、生涯遊べるゲームの本数です。1日平均2時間以上遊べる人はもう少し多くなるでしょうし、平均2時間遊ぶ時間を作れない人はもっと少なくなると見積もると良いでしょう。
 
一生で遊べるソフトは1460本。いま10歳の人が残り1460本遊べるのだから、20歳の人は残り1217本、30歳の人は残り974本、40歳の人は残り731本、50歳の人は残り488本、60歳の人は残り245本となる計算。今回の人生では、みんなはあと何本のゲームを楽しめるかな??
 
というかこう考えると結構遊べるゲームの本数多くないですか。
人類文明でコンピューターゲーム自体が娯楽となってから短いんで今のところは大丈夫ですけど、これが40年も50年も経ってくると「楽しみの既視感」みたいなのが出てくるんじゃないかなと思ったりもするわけで。
つまり、例えば旅行が好きで人生の早いうちに日本の全都道府県を旅し終わってしまってたりすると、「次はどこに行こうかな?」の問に対する答えが一捻り必要になるんですよね。もう全部行き尽くしてしまった。観光名所をまた見に行ってもつまらない。だから「~に行って、そこで~しよう」みたいな企画が自分の中で必要になる。でも、それもいつか終わってしまったら?
 
「行ったことのないところに行く楽しみ」は行ったところがないから初めて体験できるので、「行く」という行為は「行く」という楽しみを殺し続ける自傷行為でもあります。同様に、色んな遊びを経験すれば経験するほど「遊ぶ」という楽しみはじわりじわりと殺され続けていくことになるでしょう。
 
老人になったときの気持ちはまだわからないけど、大人になると子どもみたいにイチイチ物事を楽しめなくなるのはわかる。親戚の小さい子どもにせがまれてゲームやってると、画面のキャラクターが動くだけで子どもは喜んだりしてめっちゃ感情を表すもんね。プレイしている大人は真顔なのに。これが経験の差から生まれる不幸ですよ。大人の脳は、ゲームのアクション一つ一つに喜びや楽しみを感じることはもうない。
 
生きるということは経験をするということで、経験は人を不感症にし、楽しみの芽を摘み続けます。
時間は戻らない。ファイアーエムブレムを初めて遊んだ記憶は消えない。お前は再びその楽しみを得ることはできない。
 
そう考えると、リメイクってどうなのよ?内容知ってるのに楽しめるの?ってところはあるんですけど、バイオRE2良かったですね。
 
オリジナルのバイオハザード2が発売されたのが1998年なので、21年も経ってるわけです。21年……マジか……ゾンビよりそっちのが怖いわってところありますけど、ともかくリメイクなわけです。
 
バイオ2といえば、タイトル画面での「バィオハザァァァド トゥゥゥゥ!!」のタイトルコールをテレビの前で一緒にシャウトしてから遊ぶゲームという認識でしたが、バイオRE2のタイトル画面はただラクーンシティを遠景で写しているだけ。
 

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署内のマップ、ルート、設備の配置、ギミックなんかもすべて変わっており、石像を肩で押して赤い宝石を手にする必要もない、木箱を押して足場を作る必要もない。なのにトイレはある。リッカーなんてショットガン適当に撃ってりゃなんとかなるものではないくらい凶悪だし、木板で窓を塞がなきゃゾンビがどんどん入ってくるし、タイラントは表から出てきて警察署をノシノシ我が物顔で歩いている。おまけにクレアの笑顔が口角上げて笑うハリウッド女優スマイルになってる。こ、こんなゲームだったか…?
 
だいたい、ゲームシステムからも例のラジコン操作からバイオ4以来のTPSに変わってること含め、これ別ゲーですよね。
FFがケアルとかの名前だけ引き継いで別ゲーでシリーズになっているように、バイオRE2も警察署やストーリーなんかの舞台装置だけ引き継いで別のゲーム作ったという感覚のほうが近い。かろうじて「雰囲気がバイオ2っぽい」という概念にバイオ2を名乗る由来は繋ぎ止められている。
 
あの象徴的なタイトルコールをなくしたことで、それを予め教えてくれてたんですよね。これはバイオRE2であって、君たちが知っているバィオハザァァァド トゥゥゥゥ!!とは違うのだと。
 

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だからこそ、それが良かった。「あ~この石像あったな~。懐かしい。目線合わせればいいんだよな」「そうそう、ここのハシゴ落とさないと2階に上がれないんだよな。どんな警察署だよ」みたいな感傷に浸るだけのゲームにしてくれなくて本当に良かった。新しい経験と向かい合えるから。既知であるという悲しみに囚われずにすむから。
 
最近知ったんですけど、年取ると刺激を求めるようになるんですよね。逆かと思ってた。
代わり映えのない日常や見慣れた景色、数え切れないほど乗った電車、食べなくとも味が想像できる食事。失敗することは怖くない、起きたときのリカバーの方法は引き出しに入っている。成功することは楽しくない、同じ楽しみは何度か得られたけど次もきっと似たようなものだろう。
そうした灰色の生活からは「俺が!俺が生きている実感をくれえええ!!」っていうバトル漫画の敵で出てくる究極の人工生命体みたいな感情が自然と生まれてくるんですね。これが、感情……。
 
マズロー欲求段階説だって、要は人間がその時点で足りないと認識するところを欲しがっているだけじゃねーかという気もするし、たぶん人間の体と精神というものは、常に足りない部分はどこかと探し続けるウィルスに支配されていて、経験が蓄積されて刺激に不感症になってしまうとモルヒネやりすぎて麻酔が効かなくなった患者みたいに更にキツい刺激が必要になっちゃうんじゃないですかね。まるで不足というものに対して追い立てられている奴隷だ。
 
そういうこともあって、体が刺激を獲得するために最近あれだけ苦手だったわさびを食べられるようになったんですけど、これもわさびの刺激の経験に慣れてしまうと少しのわさびじゃ満足できなくてやがて大量投与とかやってしまうに違いない。大量投与までやってしまったらその先一体どうすればいいのですか。練りからしをボトルからキメるなどの豪傑的行為に手を染めるしかないのか?
 
経験が怖い。経験が要求することはただ一つ「今まで経験したことがないことを経験すること」。
そうして経験は人間に命じて領土を拡大していくわけです。そしてついに人間は経験という寄生虫に寄生された宿主だという真実が明らかになるのです。みなさんの精神は大丈夫ですか?心が経験に汚染されて何事も楽しめなくなっていたりしませんか?
 
FF5に「すべてをしるもの」ってやつが出てくるんですけど、魔法攻撃しかしてこないあいつにバーサクかけると打撃攻撃めっちゃ痛くて、むしろ普通に戦うより強くなるんですよね。あれは怒りですよ。すべてを知ってしまったことに対する怒りですよ。娯楽にも面白さの普遍性のある本質みたいなのがあるから、それがわかってしまうと、すべてをしるものが新しいゲーム遊んでもどこかで体験した既視感みたいなのが付きまとって全然楽しめないわけですよ。彼の心の中は月の地上みたいな殺風景で単色の世界が広がっていて、すべてを知ったことに対する後悔しかない。そこにバーサクなんてかけられたものだから、水で一杯だったコップに石を入れたようなもので「こいつ!このっ!こいつめっ!」って気持ちが心の奥底から溢れてきてしまったわけですよ。わかる、その気持ちわかるよ。そうだよな、すべてを知ってもいいことなんて何もないよな。

通達:『エースコンバット7』はある僚機の成長物語である件について

全員集まったな。聞いてくれ。これよりブリーフィングを開始する。
現在、『エースコンバット7』の僚機について「全く敵を撃破しないし、存在感がない」「所属がコロコロ変わるから人間的掘り下げがない」などと激しい攻撃にさらされている。一方、当方の戦力は未だ脆弱であり、十分な反撃を行うには至っていない。
 
エースコンバット』シリーズは、単なる空戦を行うゲームではなく、その演出や人間関係も魅力である。
これまでも、フランカーに乗れることでお馴染みのレナや、おしゃべりチョッパーなど、多くの魅力ある同僚が君たちと共に空を飛んできたものと思う。
 
それに引きかえ『エースコンバット7』の僚機は個性が薄い?
そうではないと我々は主張する。特に懲罰部隊の面々を見てほしい。命令も聞かずに勝手に滑走路に割り込み離陸の順番を守らない者、虚偽の撃墜数報告をする者、僚機の命で賭け事を行う者。いずれも一筋縄ではいかない奴ばかりで、最後まで懲罰部隊でチームを組んで行くことができればどれほど面白くなっただろうかと今でも夢を見る。
 
さて、今日はその懲罰部隊の中のひとり、カウントの話だ。カウントに対する諸君らの印象は様々だろうが、本日は彼に対する認識を新たにしてもらうことを期待するものだ。
 
なお、本ブリーフィングには『エースコンバット7』のシナリオ上のネタバレが含まれる。十分な準備ができていない者は、現時点で退出を行うこと。
 

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カウントについて説明する。
奴は、オーシア空軍第444航空基地、いわゆる「懲罰部隊」には詐欺をはたらいた罰として送り込まれている。詐欺をはたらく際に「伯爵」と名乗っていたことを「何が伯爵だ」と同僚からは笑いのネタにされている。
 
性格は詐欺師に似合わしく他人を鑑みることはなく、自分勝手なふるまいが数多く見られる。序列も重視せず、命令に対しても「はいよ」などと上官を軽んじる返事をすることも多く、組織行動に馴染まない。口数は多く、同僚と軽口を叩くことはあるが、彼の性格を考えると心から同僚を信頼することはないだろう。また競争心が強く、自分より優れた存在を認めようとしないきらいがある。しかし性格に難ありといえど、戦闘機乗りとしての実力は相応のものがある。
どれだけ偉い相手でも媚びず、それでいて自分中心であり他人を認めることのない「俺様」タイプと言えるだろう。
 

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続いて、カウントのミッションにおける行動について説明する。
カウントはミッション4で初登場するが、離陸の際、懲罰部隊の面々に「自分が1番機だ」と主張。アクの強い懲罰部隊は「空に上がればわかるさ」と誰も従おうとしないが、そういう発言をすること自体、カウントの「俺様」な性格を表していると言えるだろう。
 
空に上ってからも、新入りのトリガーが次々と敵機を撃破していっても「偶然だろ」と認めようとはしない。それどころか、気がついただろうか。トリガーが敵機を撃破した直後に、カウントは「撃墜してやった」「一機落とした」と無線で発言し、トリガーの撃破を自分の手柄であると誤認させようとする。僚機からは虚偽報告がバレバレだと言われるが、詐欺師の姿は空に上がっても垣間見える。
 
オイルタンクを攻撃するミッションでは、砂塵の中、敵中深くまで入り込んで敵の警戒網に引っかかり無人機を呼び込むと、味方は置き去りにして機体の調子が悪いことを理由に真っ先に逃亡する。
救出ミッションに出撃しても、他人の尻拭いに命をかけることに対して憤りを隠さない。
カウントはそういう人物だ。そういう生き方をしてきた。
 

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諸君らもご存知だろうが、このあと彼に転機が訪れる。サイクロプス隊への異動だ。
新たな配属地でトリガーはストライダー隊の1番機、カウントはサイクロプス隊の2番機として配属される。ここでもカウントは「なぜトリガーが1番機で自分が2番機なのか」と自分への評価に対して不満を表している。
 
カウントが編入されたサイクロプス隊の1番機はワイズマン。規律に厳しいまさに軍隊の隊長といった人物だ。
ワイズマンは事あるごとにカウントに口うるさく注意し続ける。カウントが任務のため一時的にトリガーのストライダー隊に編入した際に「こっちの隊長は一つだけいいところがある。無口なところだ」とこぼす。それでも後から振り返ってみれば、細かいことを言われながらも、自分に構ってくれるワイズマンのことをカウントは悪く思っていなかったのだろう。カウントの人生には、これまで自分を注意してくれる人間というものが存在しなかったのかもしれない。
 
そして戦局は進み、エルジアの首都ファーバンティ攻略戦が訪れた。ここで彼の運命は大きく変わる。
この戦いでエルジアのエースであるミハイを撃破するため、ワイズマンは囮となってミハイの攻撃を引き付け、戦死してしまう。1番機ワイズマンの撃墜にカウントは動揺。カウントに指揮を引き継ぐように促すストライダー隊3番機からの指示にも「トリガーがやればいい」と拒否。悪態をついてばかりだった自分にあれだけ関わってくれたワイズマンが死んだことも認められず、1番機の立場につくのも嫌だという姿勢を露わにした。
 
2番機と3番機の差以上に、1番機と2番機は全く違う。1番機はリーダーで、2番機以降はすべてそれ以外だからだ。
 
チームには往々にして悪態をつくが実力のある一匹狼が存在するが、そういう人間はリーダーには不向きだ。自分が散々批判してきた存在に自分自身がならなければならないからだ。だから、一匹狼はリーダーになることを嫌がることが多い。たとえ自分こそがリーダーになることが相応しいと普段から主張していたとしても、それは自分の実力の高さを認めさせたいからであって、本当にリーダーになりたいためではない。
 

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しかし、カウントは覚悟を決めた。
それは自分が指揮を引き継ぐ宣言であるとともに、それまでの自分を捨て去るという覚悟でもある。斜に構えた一匹狼としてのカウントは死んだ。
そして遂にトリガーがミハイを追い詰めたとき、「撃ち落とせ!トリガー!お前ならやれる!!お前しかできねえんだよ!!」とカウントは叫ぶ。常に自分中心であり、他人を認めることのなかったカウントが、ワイズマンの仇討ちを他人に頼んだのだ。
 
すんでのところでミハイを取り逃がし、AWACSからは一旦撤退するよう指示が下ると、カウントはワイズマンの仇討が終わっていないと指示に従うことを一旦は拒否する。
それでも彼は追わなかった。自分が思ったことを自分が好きなようにやるカウントは、もういない。
カウントは変わった。それ以降、カウントはストライダー隊の2番機としてトリガーをサポートし、戦争を終結に導いていく。
 
人はいつか成長しなければならない時が来る。
 
いつまでも誰かの庇護下にいれるわけではないし、無責任な立場から自由になんだって言い続けることができるわけじゃない。いずれ自分の限界を見定め、収まるところに収まらなければならない。子どもは可能性を追わなくてはならない。大人は可能性を捨てなければならない。
それはある種の「割り切り」とも言えなくはないだろうが、それがいなくなった先達からのバトンを受け継ぐために必要なことだ。
カウントは自分の能力の限界とトリガーの能力を認め、自分にできることを自分なりに果たすことにした。
それがカウントの成長だ。
 
だが、まだ話は終わりではない。
カウントはそこで満足することはなかったからだ。
 

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最後のミッション、無人機が地下トンネルの中に逃げ込み、軌道エレベーターに辿り着こうとする。トリガーは無人機を追って地下トンネルへ向かうが、なぜかカウントがついてくることを主張する。
 
諸君らも思ったはずだ。「なぜここでお前がついてくるのか」と。
僚機は言う。トリガーならいい。あいつは特別だから。戦闘機でトンネルだってくぐれるだろう。だがお前は?
 
しかしトリガーは特別だからという言葉にカウントは反発する。自分だって可能だ、と。
 
カウントはあきらめていなかったのだ。自分が特別であることに。
カウントは挑んだのだ。詐欺師として虚偽の撃墜報告で1番の戦果を上げることでもなく、ストライダー隊の2番機に満足することでもなく、ただ一人の戦闘機乗りとして、トリガーのようになることに。
 
一旦安定的な立場を手にすると、人はそれを守りに入ってしまう。安定的な立場から命をかけて再び挑戦者に戻ることのできる人間がどれだけいるだろうか。
 
カウントはこの後トンネル内で無人機の射線からトリガーを庇うような形で被弾し、軌道エレベーターからの脱出は叶わなくなってしまう。そして軌道エレベーター地下で胴体着陸に成功し、一命をとりとめることになるのは諸君らもご存知のとおりだ。
 

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カウントは負けたのだろうか?いや、カウントは勝ったのだ。結果的にお前には無理だと言われていた地下トンネルを被弾しながらもくぐり抜けたのだから。そして軌道エレベーターから空に向かって飛び立ったトリガーを見上げて吹っ切れたように言う。
「やつはいつも俺の頭上を上を飛んでやがる」
こんな気持ちのいい発言ができる男だったろうか。これが、嘘つきで他人を鑑みず愚痴ばかり言っていたあのカウントと同一人物なのだ。
 
エースコンバット7』は、カウントの精神的成長を描いた物語である。それでいて、カウントは大人のように現実を見ながら、子供のように可能性を追いかけた。
覚えていてほしい、カウントのようなキャラクターがいたことを。あきらめないでほしい、どんな立場に変わっても自分の可能性に挑戦し続けることを。
 
このブリーフィングをもって諸君らが『エースコンバット7』の僚機についての認識を新たにしたものと私は確信している。諸君らも今一度、カウントら懲罰部隊をはじめとした僚機に思いを馳せてプレイしてみてほしい。
 
わかったら各自速やかに次の作戦に移れ!解散!
 

「面白かった漫画は~」という上の句が詠まれたら「ワンピース」か「キングダム」の札を取れ

最近肩こりがひどいんで整体行ってるんですよ。美容院でも整体でもそうですけど、ああいう1対1でサービスする業種ってある程度会話が発生するじゃないですか。「連休何してました~?」みたいなやつ。
 
今回も整体師のおじさんに、お正月何してました?みたいなこと聞かれて、ゴロゴロして漫画読んでましたわと返すと「へぇ、何か面白い漫画ありました?」みたいなセンタリングが上がってきたんですね。
 
たまたま『AIの遺電子』をまとめ買いで読んでたんで「アイの…」と言いそうになったところで気がついたんすよ。ダメだ。これを打つとワールドカップクロアチア戦の柳沢みたいにゴールの枠を外してしまう。これは求められているキックじゃない。確実に「愛の遺伝子?」って聞き返されてしまう…。何かエロ本みたいだ。いや、掛詞的にタイトルにそういう意味が込められていないわけじゃないんだけど、話にすると長くなるんだ…。整体師のおじさんにそこまで噛み砕いて説明していく必要ってここであるのか…?
 
大体ゲームや漫画なんかの固有名詞って、音に出して知らない人に説明するのって果てしなく面倒じゃないですか。せめて文字にするなら伝わるけれど、口に出したら伝わらない。『幽遊白書』とかみんな知ってるからいいものの、超マイナーな作品だったりしたら「アルファベットのU?」とか言われかねない。音に出して伝えるのって本当に面倒で難しい。だからラノベの文章調のタイトルの作品なんかは、オタがお互い文字で理解した上でコミュニケートすることを前提としているわけで、最初から一般層への口伝は放棄しているのでしょう。
 
そういう意味では『ワンピース』とか『キングダム』は強い。
キングダム芸人の功績というのは非常に大きくて、『キングダム』の一言で漫画の作品であることに多くの人が頭の中で辿り着いてくれるのでコミュニケーションのコストが低いんですよね。地上波イズ偉大。
 
詠み手が「面白かった漫画は~」と上の句を詠み始めたら、ワンピースかキングダムの下の句が書かれた札を取ってしまえばいいんですよ。ここで求められているのは、本当に好きなものがどうこうという話ではなく、お互い全く違う人生の道を歩んできた者同士がコミュニケーションを円滑に成立させる方法。「これやこの~」と聞こえてきたら「しるもしらぬも~」の札を取ることがルールとして決まっているわけで、自分は天智天皇が好きだからと言って「わかころもでは~」を取ってしまったら百人一首にならないのです。
 
コミュニケーションには定められた手続きがあるのですよ。
 
そう、数日前の私までならそう思っていたでしょう。でも、そうじゃないんですね。それは正しくない姿勢なのだ…。
 
この前『レイジングループ』やってて思ったんですけど、この作品って非常に丁寧なんですよね。
タイトルのとおりループものなんですけど、最初のループはとにかく謎を撒き散らして進んでいくルートで、それこそエンドの瞬間は「???」で終わるものの、2周目、3週目と回っていくにあたって、RPGツクールのフラグ管理かよって感じにちゃんと一つ一つについて理由の説明をしていきます。『うみねこのなく頃に』もこれくらい真摯に説明する姿勢を見せていればあんな悲しいことには…とは思うものの、この「謎の提示→理由の提示」の繰り返しこそが物語のカタルシスの根本でもあるわけです。
 
すなわち、物語の価値は「わからないこと」にこそ由来します。語り手は明らかに情報を制限しながら受け手に物語を伝えることが許容され、受け手はそれを承知の上で「わからないこと」の融解に価値を見出していることになります。
 
これを考え出すと案外広くて、例えば格ゲーだって、相手の読みがわかってしまっては対戦にならないので「わからない」からゲームになるし、価値がある。一見わかりあえているように見える日常系の物語だって、ひとりひとりのキャラクターの性格が違ってお互い「わかりあっていない」から物語として面白いし、本当にわかりあえているなら紅茶飲みながら「わかる~」を繰り返すだけの有閑マダムかって話になってしまう。奴らはお互いを「わかる」しすぎて統合思念体かよってところあるけど、あれはきっと楽しくない。
 
それほど「わかりあえないこと」には価値があるのです。
 
とすると、面白かった漫画を聞かれたとき、私には「AIの遺電子」と答える義務があるような気がするんですよね。「わかりあっていないこと」に真摯に向き合って、相互不理解を融解していくそのプロセスにこそ人間関係の価値があるのだと理解しているのだから。
 
だから言ってやりましたよ。
「キングダム読んでました。面白いですよね」と。
 
私は上の句が流れてきたら、正確に下の句を返すロボット…。

2018年のゲーム遍歴

今年の思い出は死ぬほど残業をしたことと、死ぬほど残業して稼いだ金を年末の株価暴落で全部溶かしたことです。あとは忘れた。すべて…。
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Ruiner(PS4
サイバーパンクの標準形みたいな舞台設定なので、人によって思い出す作品が違いそう。個人的にはニール・スティーブンスンの『スノウ・クラッシュ』思い出した。主人公がカタナで大暴れするしね。システムはわりとオーソドックスな見下ろし型アクションだけど、比較的難易度が高くて何度か心折れかけた。年々ゲーム下手になってしまってる感ある。しかしサイバーパンク作品ってどれもこれも本当に治安悪いよな。
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Downwell(PS4
上から下に落ちていくゲーム。とにかく下に進めばいいというシングルイシューは、小泉政権かよってくらいわかりやすい。ゲームというものが作者とプレイヤーのコミュニケーションとするならば、とにかくわかりやすさってのは大事だ。文章書くときもそうだし、仕事で方針立てるときもそうだけど、すべきことを言いだしたらキリがない。けど、本当に人に伝えたいことは優先度つけて絞る作業が必要なんだ。
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Hyper Light Drifter(PS4
見下ろし型の2Dアクション、よくSFCゼルダに例えられるゲーム。これだけ技術が発達して3DやらVRやら言ってる時代に、いつまで経っても2Dアクションをやりたくなる気持ちが衰えないのは、2Dアクションの情報量の少なさがある。自分がどこにいてどういう状況で周りにどういうモノがあるかさえ考えなければならないゲームより、いつだって画面全体が把握できてボタン一つで攻撃できる情報量は疲れがない。
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人間一生買い続けるコンテンツというものはあるもので、自分にとってはそれがパワプロだったということだろう。2018に関して言うと、メインコンテンツこそ従来のままだけど、球場の日差しの陰り方とか、打った後のバットの転がり方とか、細かい部分で野球の「空気」みたいなの再現しにきててかなり好き。VRをつけると野球の空気感がもう一段化ける。野球ゲームとVRの組み合わせは伸びしろがありそうね。
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NieR:Automata(PS4
廃墟いいよね廃墟。建物の廃墟って、物理的にただの建造物と何か違うのかと言われれば別に何も変わらないんだけど、廃墟にはストーリーがあるのよね。廃墟というのはその時点で「終わっている」存在だから、それそのものの存在自体に救いがない。だからといってそれは否定されるものではなくて、救われなかった結果に至る流れには美しさがある。だから廃墟を巡るのはいつだって楽しい。ヨロコビヲ ワカチアオウ!
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真・三國無双8(PS4
新しいことをやってみようという気概は伝わってきたけど、その新しいことが「大軍が再現できず、曹操が小舟で敵陣に単騎乗り込む赤壁」になってしまった悲しみ。全体的に演出力に欠けるオープンワールドの弱みを存分にさらけ出した感じ。無双というゲームは、歴史オタ的には歴史ドラマと同じで「今回はどういうやり方で合肥の戦いを描くのかな?」という様式美の演出を楽しむところあったので、その点が完全に死んでた。
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モンスターハンター:ワールド(PS4
今作のモンハンはすごいぞ!オトモアイルー、テトルーに加えて、モンスターをオトモダチとしてパーティーに加えることで最大4人でのマルチプレイを行うことができる。モンハンと言えば「孤独に狩らなければならず、とても寂しい」という印象のゲームだったけど、今作に関して言えば全く寂しさを感じさせなかった。ただ不思議なことに「マルチプレイでクエストをクリアした」のトロフィーが解除されてないんだよな。バグか?
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オクトパストラベラー(Switch)
諸国漫遊してたら悪いやつが現れて、問答やってたら音楽が流れてくるので「成敗!」ってやるゲームであり、要は水戸黄門。…ってのはわかるんだけど、ボス戦のイントロ流れてきたら、ダメ!わかってても気分上がっちゃう!ってなる。そういう意味ではやはり音楽は偉大だ。しかし、かよわい女の子だったトレサちゃんが、ルーンマスターになった瞬間にターン10万以上のダメージ与える畜生になってしまうなんて…。
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DETROIT: BECOME HUMAN(PS4
バリバリ偏見なんだけど、世の中にはHuluとかで海外ドラマ観るけどゲームに興味ない主婦層とかいっぱいいそうじゃん。そういう人にデトロイト一回触ってみてほしい。今のゲームこんな凄いんだって知ってほしい。遊んでさえもらえれば、本来ゲームを遊ばない層の心にリーチできる威力を持ったゲームだと思う。ただ、惜しむらくは、そこを繋ぐ役割を果たせる存在がどこにもないことなんよね。
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Minit(PS4
寿命が1分の主人公を使って、死にながら少しずつできることを増やして行動範囲を広げていくゲーム。文字どおり死にゲー。間違いなく今年1番死んだゲーム。自殺するボタンまであって、ボタン押し間違えた時点で死ぬ。NPCキャラクターのセリフがひらがなでほのぼのとした雰囲気なんだけど、英語にもこんな表現ってあるのかなということが気になって仕方がなかった。学校で習った英語とFuckくらいしか知らないので…。
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鉱石を集めてピッケルを鍛えて鉱石を掘るゲーム。ネトゲの生産職とかでひたすら鉱山で作業できる人とかいるじゃないっすか。ああいうのが合う人なら合うんだろうけど、反復作業が全くダメな人間なので早々に飽きてしまい、ただひたすら縦に伸びる穴ばかり掘ってDownwellみたいなマップ作ってサクっとクリアする人になってしまった。生産職のみなさんの忍耐力には尊敬しかない…。
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ゴーストブレイド HD(PS4
拡散ショットと集中ショットとボムしかないシンプルで遊びやすいケイブ弾幕系フォロワーゲー。ただ、いいところがあるかと言えばなく、悪いところがあるかと言えばなく、クラスの中で目立たずにテストでも75点くらい取る子どもみたいな感じ。特に尖ったところはないんだけど、唯一尖っている点としてトロフィー取得条件があまりにヌルく、3時間でプラチナトロフィーがゲットできる。
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すばらしきこのせかい-Final Remix- (Switch)
日本一服屋に行きたくなるゲーム。たまたま遊んだあとラフォーレ原宿に行ったんだけど、服屋で4つ打ちのBGM流れてるとノムリッシュ感じてまう。どうでもいいけど、ラフォーレ原宿のB1.5Fの世界観完全にヤーナム市街よね。ゴスロリは一歩間違えるとすぐブラッドボーンになってしまうんだぜ。DSで絶賛されたゲームシステムはSwitchにも馴染んでたんだけど、最後に新キャラちらっと見せて「つづく」で終わるシナリオひどくない?

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Rez Infinite(PSVR
21世紀になっても、人々は花火が打ち上がるとなると混雑にもめげずこぞって見に行く。人は花火が好きだ。音がなり、光が弾けるというプリミティブな刺激はシンプルに気持ちいい。無重力空間で上から右から左から展開される電子花火もまた美しい。元は17年前にリリースされたゲームのはずなんだけど、これだけVRにマッチするのすごいね。完全に時代の先を行っていたオーパーツみたいなRezに、時代が遂に追いついてきた。

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ロックマン11 運命の歯車!!(PS4
ゲームやりこんでた時代の昔の自分ってめっちゃゲーム上手かった気がしますやん?ただそれって錯覚で、実際に昔の自分のリプレイとか見てみると、別に上手くなかったりするんだよね。ゲームの腕なんて案外急に変わらない。ロックマンって昔は平気でクリアできてた気がするんだけど、多分それも美化された思い出で、実際は相当死にまくってたんだろうな。久々にロックマン遊んでみると、ロックマンに申し訳ないほど死にました。

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髪がピンク色とか、語尾に「にゃ」とかつけてるキャラでわかりやすく区別された日本文化で育ってきたので、似たような外人が最初から10人以上ワラワラ出てきても誰が誰か全然覚えられなかったんだけど、最後には一人ひとりに愛着持てるくらい気合が入ったシナリオだった。あれだけいた登場人物が、自分の運命に対して選択を行い、それぞれの道に進んでいくというのは、ハリウッド脚本術の見本みたいなところあるね。

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1年に1回草刈りやりたくなる病にかかるんだけど、ちょうどいいときに出てくれて病死を免れた。下手に歴史が好きな人は、三國無双戦国無双で単騎無双でクリアするよりイベントで史実再現する方に楽しみ覚えちゃったりするんだけど、OROCHIの場合は史実もへったくれもないから純粋に草刈りに専念できるね。あと、最近の無双はアクション追加しすぎた結果、あまりにキャラクターが強くなりすぎてる気がする。

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BLACK BIRD(Switch)
パターンを考えてリプレイするゲームなので、MMOの生産職とか信長の野望の内政が楽しめる人が合うのかもしれない。ファンシーな見た目によらず理詰めのゲームだ。喋り方甘ったるいのにやたら勉強ができる女の子か。あと、コントローラーにワガママを言い出す結局すべてアケコンに行き着いてしまうので良くないんだけど、SwitchのコントローラーはSTGに合わんなぁというのはあった。

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Shu(シュウ)(Switch)
自キャラが滑空できるので、フワフワ感のある2Dアクションゲー。ゲーム中の1/4くらいは追いつかれたら即死の化物に追われながら進むことになるので必然的にスリルとスピーディーさがある。鬼ごっこのスリルというのはゲームの原初的な面白さがあって、現代的なゲームも結局これのアレンジなんだなって感じだ。これまでお世話になったキャラ全員の力を借りながら化物から逃げきる最後のステージがかなり熱い。
 
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Until Dawn: Rush of Blood(PSVR)
小さい頃、お化け屋敷に行ったとき妹の服の裾を持って怯えながら付いて行った記憶があるんだけど、お化け屋敷の何が怖いって自分の足であるかなきゃならんところよね。そういう意味でバイオ7の怖いところはそこだった。その点、ラッシュオブブラッドは自分はジェットコースターに乗ってるのでホラーに見世物感出るし、何より自分の足で歩かないで良いのは楽で怖さがない。自分の意志で義務を果たすのは無理だ。
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テトリス エフェクト(PSVR
ゲーム性の議論は一切ない。だってテトリスだもん。空いた端っこの列に長い棒を入れるテトリス、それ以外の何でもない。だけど、凡庸な役者が演じる真田昌幸と違って、草刈正雄真田昌幸は圧倒的な質感をもって迫ってくるように、同じ役でも演者によって見違えることはある。ゲームにだってそれは言えるということが示された。絶対にVRでやれ。眼の前に見たこともないテトリスが現れるから。
 
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Hollow Knight(PS4
アムンゼンとスコットが南極にまで行っちゃって、世界には探索すべきところがほとんど残されてないけど、探検したい欲は人間から消えてくれないので定期的にメトロイドヴァニアで消化する必要がある。死んだ場所での回収や、ボスへのショートカットなどソウルシリーズを彷彿とさせる作りの部分あって、こう見るとソウルシリーズのアイディアは何度使われても色あせない強度があることが証明されたようなもんやね。
 
今年の一本を上げろと言われれば『テトリス エフェクト』。
VRHMDを装着し、初めて起動してタイトル画面が表示されたとき、この2018年まで生き延びれたことを幸せに思えた。死んだらこれが体験できなかったんやで。死んだらあかんのやで。これだけで自殺ダメゼッタイの理由にならん?ならんか。
 
思えば、んじゃめな本舗さんのゲーム放談みたいに楽しく今年のゲームを振り返る雰囲気出したかったんだけど、だんだんひとりで壁にブツブツ話してるみたいな感じで不気味になってきた。つらい。世の中どうにも上手くいかないね。
 
では、ちょっと早いけど良いお年を。